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第73話
邸に帰ると、なぜか人の気配なく静まり返っている。
私たちは手をつないで階段を静かに上る。途中、レンが私の髪からレモンの花を抜き取って廊下に落とす。
「どうして?」
首をかしげると、レンは花を落とした前のドアを視線で示した。そこは、ナデァの部屋だ。
「ここに落としておけば、帰って来たってわかるからってあいつが」
ナデァ……さすがね。
廊下の一番奥の部屋。
初めて入る、そこはレンの部屋。
大きな開き窓を開けてバルコニーに出る。空を仰ぎ星たちの位置を確認してレンが言った。
「そろそろだな」
「なにが?」
「海のほうを見てみろ」
「?」
星の瞬く濃紺の空の下に、かろうじて見える黒い闇の水平線。何もないじゃない。そう思ったら……
ひゅぅぅぅぅぅぅ……と音がして、大きな破裂音が連続した。銃声? と思い身を固くする。
でもそれは違って……夜空が紫色に明るく染まる。色とりどりの光がさく裂して花火の花が空一面、幾重にも広がった。
「!」
私が目を丸くして夜空を見上げて祭りの初日のフィナーレに見とれていると、背後から私の肩に顔を載せたレンがふっと笑った。彼の鼻先が私の首に触れてくすぐったい。
「うちの商団で東の大陸から仕入れたやつだ。五日間毎晩見られる。気に入ったか?」
「気に入らないわけないでしょ。ここの大公領の人たちは、すごく幸せね。あんなきれいな花火も見られて……」
「花火が見られると幸せなのか?」
「違う。街を歩けばわかるでしょ? 老人も子供も働く人たちも、みんな幸せそうだもの。初めて訪れたところがここで、私も幸運だと思う」
レンはまた笑った。私は後ろ向きになってレンの首に腕を回すと、彼の頬に自分のを擦りよせた。
そのまま自然に目を閉じると……今日はもう何度目かわからないキスを交わす。レンの肩越しにはまだ、夜空に現れては消える大輪の光の花々が見える。まるで溺れる寸前みたいに息も絶え絶えになる。
そのまま抱きかかえられてベッドに落とされて……どこまでが私なのか、どこからがレンなのかわからないくらいもつれあう。混ざり合って溶け合って、ひと塊の流動体にでもなってしまったみたい。
夜空の儚い大輪のひかりがぼんやりと視界に入る。くびすじを甘噛みされて思わず切ない声が漏れるけど、花火の音に打ち消される。
横たわる私の上に両手をついて見下ろすレンの瞳は、獲物に狙いを定めた獣みたい。こんなにまっすぐに、情欲をむき出しのまなざしを向けられたことがあったかしら? そんな強いまなざしで縫い留められると、言うことをきかない得体のしれない疼きが、私の心をめちゃくちゃにかき乱してなけなしの理性を吹き飛ばす。
それなのに彼は一つ一つの動作をゆっくりと、時間をかける。長い指が黒いワンピースドレスの紐を解いてゆく。私のむき出しの喉がこくりと鳴る。じらしてるの? 声に出したわけじゃないけれど、私の表情からそれを読み取ったレンが意地悪な笑みを口元に浮かべる。
「どうした? レディ」
揶揄的な囁きが耳から入って、背筋から尾てい骨にぞくぞくと振動が走る。
私は胸いっぱいに空気を吸ってゆっくり吐き出すと、再びこくりと喉を鳴らして訴えた。
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