第72話

「なんだか調子が悪いんです。先に戻っていますね……」


 広場に到着するやいなや、しょぼくれたナデァはそう言いだした。帰る気満々ね。


「あ、それでしたら私もナデァ嬢を送っていきます。銀狼団の皆さんに酒場に誘われていたので。お二人は認識不可の魔法で正体は知られないし、知られたとしてもレン卿がいらっしゃれば問題ないですよね?」


 キーランド卿までもが帰る宣言。あなたたち、あるじの世話を放棄するのね。


 そして私たちだけが残された。



「あなたもお祭りは好きじゃなさそうね」


 傍らのレンを仰ぎ見ると、彼は口の端を引き上げた。


「平和とは無縁の生活が長かったからな」


 私はため息をつく。


「仕方ない、あまり得意じゃない者同士、楽しみを見出してみましょうか」



 ブラッツ卿によると、彼のかけた魔法のせいで私たちはごくごく一般市民にしか見えないらしい。人混みの中で警護するよりは紛れ込ませてしまったほうが楽で安全だと、彼はしれっと言ってたっけ。数時間しか持たなくてもまあ、すごく助かるわ。


 私たちと同じ衣装を着た人たちがたくさんいる。ヴィヴェカは王子妃になってからはこんな人混みをぬって歩くことはなかった。前世の私には日常の一部だったけど、この世界でのお祭りは初めてだから興味深い。


 なによりもここは海辺のローテンブルクみたいな感じで、街並みがかわいい。


 ぐいぐいとレンの手を引っ張って、マーケット中を冷やかす。チープなアクセサリーや海産物、お守りチャーム、普段着、麦わら帽子に植物を編んだサンダル。色とりどりの花やおいしそうな果物。


 わざと体重をかけて私が引っ張りづらくして歩くレンは意地悪だけど、ちゃんとおとなしく出店見物につき合ってくれてる。珍しい食べ物を一つ買って、半分にして食べたり。これってデートだね、すっごく楽しい。


 数時間しか持たないのがちょっと残念だけど……



「あっ!」


 人ごみのむこう、建物と建物の間の狭くて暗い路地。黒いフードをかぶった背の高い人。ちらり、フードの隙間から見えたのは白銀の髪。


「あれ、あそこの路地にいる人って、ベーレンドルク辺境伯じゃない?」


「誰だって?」


「西の辺境伯よ。銀髪で、大きな剣を背負ってた。でもまさか、こんなところにいるわけないか……」


「人違いだろう」


「きっとそうね」


 レンはたいして興味がなさそうにそっけなく言った。私も、それきりそのことは忘れてしまった。私に求婚しに来た、死神辺境伯。彼は王都にいる……はず。



 運河が何本も張り巡らされた港のそばの商業地区。ここではレモンオイルをまぜたキャンドルを、シンプルな紙のランタンに入れて運河に流すらしい。数千のランタンが水面を揺らめく様子は、すごく幻想的で素敵。


 人混みを外れた小さな運河に架かる短い橋の上で、私たちは欄干にもたれて揺らめき流れて行くランタンを眺めている。


「そろそろ戻るか」


「時間が経つのが早い気がする」


「楽しかったか?」


「すっっっごく!」


 見上げて笑む私に、レンは屈みこんで口づけた。



 ゆらゆら、水面に揺れるあまたのランタンが、すごくロマンティック。


 このまま永遠に、時間が止まってしまえばいいのに。

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