第69話

「なにが?」


 寝椅子カウチにもたれてナデァのおすすめの恋愛小説を読んでいた私は、本から顔を上げて首をかしげた。


「たとえフリでも! ヴィ様と兄が、親密な関係になることが、です」


「——はい?」


 私は小さくひゅと悲鳴を飲み込んだ。あ、でもこれ、カマをかけてみるにはいい機会よね。


「ナデァ、前に言ってたけど。あなたの兄君には、婚約者がいるって。私と親密な関係って公言したら、相手の方は気を悪くするでしょう?」


 何でもないように。さりげなぁ~く自然に訊いてみた。


「あっ、そのことはお気になさらないでください。問題ありません! もしもフリじゃなくて……ああ、まぁ、いずれお話ししますね! 私の独断では、めったなことは言えないので」


 うーん。それじゃわからないよ……アダリーが、って話の時は、兄には婚約者がって、あんなにぷんすか怒っていたじゃない?


 渋い表情の私の心情などお構いなしに、ナデァはぽん、と両手を胸の前で会わせて嬉しそうに微笑む。



「それはそうと、ヴィ様! 昨日の子たちにさっき聞いたんですけど。週末から来週の火曜日まで、街でお祭りが開催されるそうです。兄上たちに連れて行ってもらいましょうね!」


 ええ? 一体、ナデァは私をどうしたいのかな? まさか、今彼女がハマってる恋愛小説の、婚約者のいる人を好きになって修羅場を迎える主人公みたいになってほしいのかしら⁈


「ヴィ様? まだ顔色がお悪いみたいですね。安静にしましょう! 週末には元気になっていただかないと!」


 はしゃぐ彼女に気づかれないよう、私はひそかにため息をついた。


 ナデァは、何を隠しているんだろう? レンが言っていた、「覚えていないんだな」という謎の言葉と、何か関係があり……そう。


 う――――ん……




 夕食の後、ダイニングルームから部屋に戻りかけたとき、玄関ホールを横切ろうとすると何やら騒がしい。数人がレンを取り囲んでいる。なにあれ。白シャツにカーキ色のブリーチズ、なめし皮のダークブラウンのコート姿。いるだけでイケメン。どんだけ目立つの? 


 わたわたと両手を上下に動かしながら、レンに何かを必死に訴えている補佐官のウェンダル、そしてレンの背後でこめかみを揉みながら渋い表情で心もちうつむくブラッツ卿の姿も見える。


「なんか、揉めてますね」


 私の前を歩いていたナデァが私を振り返る。


「そのようね」


 こくりとうなずく私。


 ああ。そ知らぬふりして通り過ぎることが……できるわけ、ないよね。



 レンは私を見つけると、いたずらっ子のような笑みを口元に浮かべてゆっくりと近づいてきた。彼の歩みによって、ブラッツ卿たちの視線もこちらに向く。


 いやもう、ほんっっとにいいから! 私の心臓が、制御不能にドキドキするじゃない。



 ——森の中で、狼に出くわしたシカにでもなった気分。足がすくんで、逃げることができない。


 彼はナデァの傍らで足を止めて彼女を見下ろした。


「おい、お前のあるじはもう食事はとったのか?」


 ナデァは兄の傲慢な態度にカチンときたらしく、フンとそっぽを向きながらそっけなく一言だけ答える。


「はい」


 すると彼は私の手首をつかみ、ぐいっと引っ張って歩き出した。

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