第68話

「ヴィ様……どこか具合が悪いのですか? 朝食にはほとんど口をつけられませんでしたね。心なしかお熱があるようで、唇も腫れているようですし……」

 

 ナデァが困惑した悲しげな表情で首をかしげる。


 朝食後のお茶のテーブル。


 私は慌てて彼女の杞憂を否定した。


「あっ、違うの。ちょっと……移動疲れ、かな」


 はは、と苦笑してみせると、彼女は唇を尖らせた。


「そうでうか? 具合が悪いなら、すぐに教えてくださいね? ヴィ様は、頭が痛くてもいつも無理をなさるから……」



 うーん。


 まさか、昨夜はキスのし過ぎで唇が腫れたなんて……言え……ないかな。


 ナデァは私を置いて公衆大浴場で楽しく過ごしてきたらしく、メイドたちとほぼ徹夜で話した気になる異性の話をたくさんしてくれたけど、私は全く聞いていなかった(ごめんね、ナデァ)。自分のことで、いっぱいいっぱいだったの。


 昨夜は足に力の入らなくなった私を、レンが支えて部屋の前まで連れてきてくれた。彼は言っていた通り、明け方にはもう出かけたらしい。


 私ったら。


 せっかく、気持ちをセーブしたのに。昨夜のことでもう、止まら無くなっっちゃったと思う。アダリーが私の予想通りレンを好きだとしても、悪いけど、好きになるのに順番はないから引く気はない。でも、もしナデァの言ったことが本当なら。彼には、婚約者がいるんでしょう? 婚約者っていうことはいずれは結婚する予定ってことだろうし、やっぱりこのまま深い仲になっても私にはせいぜい、愛人になるくらいしかないんじゃないかな……?


 やめよう。


 傷つく前にやめなきゃ。


 でも、本当なのかどうか、本人に確かめてみてからにしようか。



 うーん……




 婚約者がいるとしたら、レンはその人のことをどう思っているんだろう? やっぱり政略結婚なのかな?

 

 それに、どうして私にキスしたんだろう……?


 好きだとも惚れたとも、何も言われてないけど。


 出戻りだから、軽く遊んで捨てるつもりかしら?




「やっぱり、お医者様を呼びましょうか? なんだかとても心配です」


 ナデァは眉根を寄せる。ああ、あなたのお兄様のことで悩んでるだけよ。私のこと、もてあそんでるのかって、ね。なんて……言えるわけないでしょ。


「本当に大丈夫だから。今日は何をしようか?」


「兄が商会の服飾部門を呼んでいるそうなので、ペヒ伯爵の晩餐会に出るドレスや宝飾品を選びましょう。お疲れのようなので、午後は温室か海辺で読書でもないさいますか?」


「そうね。そうしましょう」



 もともとはしゃぐようなタイプ出なかったのが幸い。その日はほとんど考え事をしてうわの空で過ごしたけど、それ以上ナデァにも怪しまれることはなかった。ブラッツ卿はレンと一緒に出掛けているらしく、キーランド卿は私たちが出張ショッピングしている間は傭兵たちと剣の訓練をしていたみたい。午後は温室でナデァと二人、お茶をしながらのんびりと過ごしていた。



「正直に言いますと、私はすごく嬉しいんです」


 ソファに埋もれて恋愛小説を膝に置いたナデァがへへへと笑った。

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