第65話

ナデァは自信満々に断言した。


「兄上を求婚よけに利用すればいいのです!」


「——おいチビ。利用ってなんだ」


 レンが妹の発言に片眉を上げる。


「いいえ、確かにその通りです。それはいいかもしれません」


 ブラッツ卿までがナデァに賛同する。


 なぜ? 声にしてないけど、ブラッツ卿は私がそう言いたい空気を読み取った。


「うちの商会のオーナーの正体を明かすつもりはなかったのですが、ボスのせいでばらしてしまいました。若い女性だと知られれば、いろいろと面倒なことが起きるでしょう。ならばいっそのこと、ボスと特別な仲だと知らしめておけば、大部分の面倒事は防げそうです」


「大部分、ということは?」


 いぶかし気な私の問いにブラッツ卿は苦笑する。


「銀狼の特別な女性なら大抵の人々は手を出そうと思いませんが、ボスに恨みを持つ者ならあなたを狙うかもしれません。しかし、目の届くところにいて下されば、我々がお守りすることはできます」


「はぁ……そうですか」


「俺にも都合がいい。ああいう変な女よけになるしな」


「……」



 結局、そうなるのね。


 この世界に来て(?)から初めて、はるばるリゾート地まで来たのに、着いて早々もめごとに巻き込まれるなんて。


 でもまあ、普段お世話になって迷惑もかけてることだし、世の中はギヴ&テイクだものね。




 初日から疲れてしまった。


「ヴィ様、長時間移動の末にあんなごたごたでお疲れでしょう。この邸には温泉が引いてあるそうですよ。浴場にご案内いたしましょうか?」


 部屋でぐったりしていると、どこからか話を聞いてきたナデァがとっておきの秘密を話すように言った。


 温泉が引いてあるですって? なんて贅沢なの?


 前世が日本人なら、温泉と聞いてスルーするわけがない。行く行く。身も心も疲れ切ってるの。ゆっくりと温泉につかりたいに決まってるじゃない!


「お願いするわ」


 ということで、私は温泉に向かった。



 そこは日本の露天風呂のような感じではなくて……室内の温水プールみたいな感じ。高い天井にはロココ調の天使のフレスコ画。白い円柱の間に青く揺らめく……ぬるま湯。古代ローマの大浴場みたいな? 感じで、あちこちにろうそくの明かりがほのかに揺らめいていて、ロマンティック。


 日本のお風呂みたいに裸で入るわけじゃなくて、入浴用の薄いドレスを着たまま入る。


「あとからお手伝いに参りますね」と言っていたのに、ナデァは遅い。まあ、いいわ。前世は庶民だったから、ひとりでもお風呂くらい入れるからね。


 旅の疲れもそのあとの精神的な疲れもどこかへ吹き飛ぶくらいリラックスできた。ナデァがなかなか来ないと思っていたら、もう上がろうかなというくらいにやってきたけど、なんだかそわそわしてる。


「実は、ここの使用人の同じ年頃のメイドたちと、公衆大浴場に行く約束をしたんです」って。なにそれ、私も行きたかった、と言うと、「ヴィ様はダメです。そんなところにお連れしたらキーランド卿どころか、ブラッツ卿にも兄上にも絶対にお説教されます」だって。


 彼女も同年代の子達と楽しく恋バナとかしたいんでしょうね。子爵家の令嬢が公衆大浴場に行くのも問題あると思うけど、私に正論を言える義理はないし。彼女が楽しければそれくらいはいいかも。


 

 この海辺の邸は広いけれど、敷地内のセキュリティは万全なの。なにせ、傭兵たちがたくさんいるし、副団長はソードマスターで魔術師で、不審者の侵入を防ぐ結界を貼ってくれているから。




 王都よりもさらに鮮明で美しい満天の星を眺めながら、回廊をゆっくりと歩く。海が近いせいか、夜風が気持ちいい。



 あら。



 私は歩みを止めて、星影の庭園に目を凝らした。

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