第60話

私ったら……ぐらぐらじゃない?



 いやいや。婚約者のいる男なんて、好きになっちゃダメ。なるべく、距離を置いておこう。





 なんて考えて気合を入れていたら……肩透かし。


 氷の美貌の男・ブラッツ卿が絶対零度のおすまし顔で言った。


「ボスはあなたが滞在する辺りの安全確認のために、昨日一足先に出発しました」


 それって、「お前のせいで余計な手間がかかって、レンは一足先に行く羽目になったんだ」って意味に聞こえるわ。ブラッツ卿、嫌味の才能ありね。ナデァはこんなツンだけの人のどこがいいの? はいはい、美貌ね。そうでしょ? それだけでしょ?


 もういっそのこと、レンに「俺の妹と結婚しろ」って命令してもらえば、明日にでもブラッツ卿はあなたのものよ。



 そう言うことで、私たちはほか五名の傭兵たちと共に、レンを追って隣国のオストホフ大公領の港町・ツヴァイター・ハーフェンへ向かうことになった。



 馬車は何の装飾もない地味なもの。私とナデァは白のチュニックにこげ茶のブリーチズ、黒のヘッセンブーツにカーキ色のフードという、キーランド卿やブラッツ卿と同様に地味な動きやすい恰好。途中には大きな森があり、盗賊や猛獣が出る可能性があるんですって。でも「銀狼団」の副団長と団員が五人も一緒にいれば、あんまり心配はないでしょう。


 目的地まではまる一日かかる。ということは、どこか南部の村で一泊することになる。


 レンがいないことにちょっとほっとしちゃう自分に困惑する。連れて行ってくれると言った人がいないとは思わなかったけど、いなくてよかったとも思う。会ったら、ちょっと意識しちゃいそうだから。


 はぁ……距離を置こうって決めたくせに、会ったらどうしようとか、私もブレまくり。あの人は私のことはお荷物としか思ってないのに。



 昼過ぎまでは順調だった。天気はいいし、道も状態がよかった。私とナデァは二人、馬車の中でおしゃべりをしながら外の景色を楽しんでいた。遠出なんて初めて。目指すはリゾート地とくれば、テンション上がらずにはいられない。



 結局、私は暢気なのだろう。


 物事は直面してみないと対処できないのかも。明日までは時間があるから、ちょっとゆっくりと対策を考えよう。



「明るいうちにこの森を越えて、今夜は早めに宿に入ります」


 小さな森の手前で、ブラッツ卿が淡々と言った。ツアーガイドなら、いくらカオがよくても愛想なさ過ぎてクレームきてクビよ。でも彼は商団の護衛であり、傭兵団の副団長。はいはい、愛想がなくても問題ありませんよね?


 氷のブラッツ卿が先頭で、キーランド卿、私たちの馬車、馬車の脇に二人の傭兵たちと、後部に三人。並足で抜けても十分もかからないらしいけど、木漏れ日がぼんやりと射すだけの薄暗い森。日が暮れたら途端に不気味になるに違いない。


 コンコンと、誰かが窓を叩く。カーテンを開けると馬上のキーランド卿だった。


「盗賊が出たようです。お二人とも、窓もドアもしっかりと閉じていてください」


 私とナデァは抱き合って悲鳴を飲み込んだ。予想できなかったわけではない。馬車の旅と聞けば想定内だった。でも、心配はないだろう。私とナデァ以外は全員凄腕だ。盗賊が何人いるかにも……よるだろうけど。



 馬がいななき、蹄の音が乱れる。男たちの大声、馬車に矢が刺さる音、剣戟けんげきの音。


「!」


 どかっ! と音がして馬車が横に揺れる。誰かがぶつかったのかも。私とナデァはただ抱き合って悲鳴を飲み込み、体を縮めていた。


 バリン! と窓が割られる。ばらばらとかけらが馬車の中に飛び散る。カーテンのむこうから皮の手袋をした太い腕が伸びてきて、馬車の取っ手に手をかけて内側から扉を開けようとした。



 ナデァが私にしがみつく。私は彼女を背後にかばい、一か八か、勝負に出ることを決心した。

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