第58話

「ああ、これは失礼、レディ。断りもせずに触れてしまいました。おゆるしを」


 言ってることとは裏腹な、きわめて不遜な笑み。


 いや全然、悪いと思ってないでしょ? 


 姫抱きされて固まったけれど、レンはお構いなしに大股で庭を横切る。ヴィヴェカ的にはまだ王子妃だった頃に王子にされたことはあるみたいだけど、中身のにいなわたしとしては……人生初! ドキドキはしちゃうけど、まぁ別に、免疫がないわけではないから……緊張して力むのはやめた。


 そんな様子で家の中に入ったので、ナデァが超驚いてあたふたしだしたかと思うと、次第にテンションが上がって大きな青い瞳が何やらの好奇心できらきらと輝きだした。


「あら! いつの間にそんな仲良しに⁈」


 はぁ。私はレンの肩越しに、後ろのキーランド卿を眉をひそませながら振り返った。仲良しじゃないよね? 私の無言の抗議に彼はうわべだけの同情の苦笑を浮かべた。


「俺が無理をさせたみたいだ」


 ちょっと。誤解を招くような意味深な言い方はやめてよ。ぴく、と片眉を上げた私を一瞬見下ろしてふっと笑うと、彼は私をソファに下ろした。



 それにしても……


 お茶を飲みながら、私はこっそりとレンとナデァを観察する。


 似てない兄妹よね。腹黒俺様の超絶イケメンと、おっちょこちょいで早とちりな愛嬌たっぷりの、妖精のようなかわいい子。ナデァの父のラルドはどちらかと言えば精悍な感じのイケオジだから、彼女は母親似かな? お礼なんかで手紙のやり取りはしてるけど、実際にはお会いしたことはない。ああ、彼女はレンの母親でもあるのね。ということは、レンは父親似というナデァの言葉は妥当か。


 

「——それで、ヴァイスベルクのオストホフ領、知ってるか?」


 レンに質問されて私は我に返る。


「もちろん。我が国の南部との国境を分かつ豊かな大公領でしょ。数か所温泉が湧き出ていて、東側に海岸線を持ち外国との交易も盛んだと聞くわ」


 ヴィの知識ですんなりと答えられた。私は首をかしげる。


「それがどうかした?」


「来週、オストホフの港町のツヴァイター・ハーフェンに商談で行くから、ついでに来たらどうかと思って」


「ん? 私たちがどうして商談に?」


「旅行、行きたがってただろう?」


「!」


 私は驚きを飲み込んだ。ナデァがぱちぱちと胸の前で拍手する。


「ヴィ様! 旅行にはもってこいの保養地です!」


「しかも、来週はちょうど祭りが開かれているはずだ」


「兄上、最高! ヴィ様、行きましょ行きましょ!」


「キーランド卿も大変だろうから、ブラッツにも護衛をさせる。行くか?」


 私はこくこくと頷く。リゾート地に旅行! 楽しいに決まってるわ。


「もちろん。行ってみたかった場所のひとつだもの」


 レンは私を見てほんの一瞬、驚いたように紺青の目を見開いた。そして口元に笑みを浮かべると、小さくうなずき返した。



 あれっ? 何だろう……私……なんか変。いつも私に向けるあの皮肉で傲慢な笑みとは違って、今の、なんかすごく……


 鼓動が、速くなる。なんか、なんかわからないけれど、顔が熱くなる。いやだ、ちょっと、何これ?



「きゃあ! やった!」


 ナデァは飛び跳ねそうなくらい全身で喜びを表す。キーランド卿はドア付近で穏やかな笑みを浮かべている。レンは……私を、見つめて、いる。


 やだ、なに? 


 私……



 どうしちゃったの?

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