第57話

「あ、悪かった。つい無意識で薙ぎ払った」



 はうっ。



 大きな手が私の右手首を捕らえて、ぐいっと引っ張り上げた。そして私はレンの腕の中に抱きとめられる。


「もうっ! ど素人相手に反射的に攻撃するのやめて!」


 私はキッ! とレンを睨み上げて彼の胸を拳で叩いた。びくともしない。手首は掴まれ、背中にはもう一方の手が添えられて私を支えている。


「だから、悪かったって。木剣だから命の危機はないだろう?」


 何が一体悪いのかという、悪かったと言いつつも少しも悪いとは思っていないようなきょとんとした表情で、レンは私を見下ろした。わぁ……至近距離で見ても本当にイケメンね。すごく珍しい紺青色の切れ長の瞳に、憤慨する私の不満顔が移っている。


 うん?


 何か言いたいことでもある? レンは少しだけ驚いたような表情で私を見つめる。ひとが怒ったカオを見て何が楽しいの? あれ? 


 私はレンを叩く手を止めた。彼はほんの一瞬だけ……息をのんで紺青の瞳の瞳孔を大きくした。その深い水底のような瞳に吸い込まれそうになって……全身の力がかっくりと抜けてしまった。恐るべし、至近距離の超絶イケメン(性格は考慮せず)。


「なん……」


 なんだよ、と言いかけたのかな? レンは力が抜けて腕の中でバランスを崩した私をとっさに抱えなおした。運動神経、いいのね。私は無意識に彼の腕にしがみついた。


「きゃっ……」


「おい。いきなり力抜くな。危ないだろう?」


「ご、ごめん、ありがとう……」


 私はほぅ、と息をついて安堵した。それにしても……力持ちね。私がよろめいたくらいでは、びくともしないのね。



「?」


 私はまたレンを見上げる。どうして、離さないの? もういいんだってば。


 声にしなくても私の表情を読んだらしいレンは、はっと気が付いて私を解放した。


「気をつけろ」


「なによ、もとはと言えば誰が悪いのよ?」


「……」


 あ、スルーした。レンは花壇の土に刺さった私の木剣を拾って渡してくれた。


「もう一度、構えから」


 えっ? やるの? あなた、素人に教えるの、向いてないってさっき分かったんじゃないの?


 私は唇を尖らせて、少し離れたところに控えているキーランド卿を見た。彼は赤くなったり青くなったりしながら、不安げにこちらを遠巻きに見ていた。私ははぁ、と諦めのため息をついた。




 手首が、痛い。腕はしびれるし、膝も笑ってる。ちょっと、厳しすぎでしょ。私は明日戦争に行く新米の傭兵じゃないのよ。ブラッツ卿だってかなり手加減してくれるのに、あなたは手加減ナシなのね。


「お茶にしましょう~」


 ナデァが扉の前から手を振る。


「あの、ちょっと……」


 家のほうに歩き出すレンの袖を必死につかむ。


「なんだよ」


「置いて……行かないで」


 私は今、猟師に射られた瀕死のキツネのように見えるかもしれない。でもこんなふうになったのは、三十分間休憩なしで百回素振りしてそのあと休みなく打ち込みをやらせた人のせいだと思うのよ。


 がくがくと震える私の足元からぷるぷる振るえる腕までを見て、レンはため息をついた。



 そして次の瞬間、私の体がふわりと宙に浮いた。


「えっ? ちょっ……ひゃっ⁈」

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