異国で恋の予感

第55話

「偽善の自己満足だろう? そういうのは、国がやるべきことであって、個人がすべきことじゃない」



 確かにね。正論。


「いいじゃない。王家を出るとき、生きているうちに使いきれないほどの財産をもらったし、年金だって一生もらい続けるらしいから。そのお金を使うんだから、国のお金って言えなくもないでしょ」


 隣でナデァが小さなため息をついた。湖に落ちて死にかけて(いや、実際は死んだ)以来、私が言うことを聞かなくなったので彼女は諦めている。


 とりあえずはヨーンの身辺調査をブラッツ卿がし終えるまでは、私のブリリアントな計画は保留にされた。でもきっと、レンはダメとは言わない気がする。




「——いっそ、私利私欲に無駄金を使ってくれてたほうが、事後報告だけ聞いてればいいから楽なんだが」


 事務所を出るとき、背後でレンがそんなことをつぶやいた。私利私欲に無駄金って。どれだけ私を世間知らずのばかな女だと思ってるのよ。ハーブで稼いだお金を使えば、もうけがある限り資金は底をつくことはないでしょ。


 そう。ある程度自由を満喫したら、商売を始めたかったの。ハーブなら前世での知識が豊富にあるし、自信があるわ。第一、うちのライバルのガイスラー商会がヨーンみたいに細々と暮らす人たちの仕事を奪って対抗して来ようとするのも気に食わない。


 それからレンの、私をばかにしたあの目。見てなさい。感心させてあげるわ。



「申しわけございません」


 家に戻ってお茶にすると、ナデァがうなだれた。


「あなたは何も悪くないでしょ」


「でもあれでも一応、私の兄ですから」


「兄でも妹でも、別々の人間よ。長い間戦場を渡り歩いて生き残った人だもの、私が能天気に見えても仕方がないわ」


「ヴィ様。最近、変わられましたね……」


 ぎく。


 そりゃ、中身は別の人ですからね。



「あ……はは。み、湖に落ちて、人生観が変わったの……かな?」


 笑ってごまかしたつもりだったのに、ナデァは真顔でため息をついた。


「ヴィ様、あの時のことは覚えていらっしゃいますか?」


 私は素直に首を横にふるふると振った。


「いいえ。まったく」


 あの時、本物のヴィヴェカは間違いなく命を落としたんでしょうね。「にいな」のまま目覚めて「ヴィヴェカ」の記憶と混ざり合ったのは、三月ぶりの同衾の儀の翌朝だった。湖で助けられてからの三か月間、全く記憶がないのだ。



 中身が入れ替わるための準備期間だったとか?



 まあ、いくら考えてもわからないけどね。



「ブラッツ卿も……レンが私にかまけて時間を無駄にするのが嫌みたい」


「あの方は……もともと、喜怒哀楽が薄いみたいです」


 ぽ。ナデァが頬を染める。まったく、あんな氷でできたような冷たい人のどこがいいの?


「剣術はちゃんと教えてくれてるからいいけど。アダリーもこの前でちょっとは打ち解けてくれたけど、面白くないかもね」


「どうしてですか?」


「だって、恋人がお荷物にかまけてたら、気分良くないでしょ」


「は? 誰が彼女の、恋人ですって?」


 眉をひそめるナデァに私は首をかしげる。


「ええ? レンと彼女は、そんな感じでしょ?」


「はい? そんなわけないじゃないですか! 兄は彼女にとって、ただの上司ですよ!」


 噛みつかんばかりのナデァの剣幕に私はちょっと怯んだ。あなた、そんなブラコンでしたっけ?



「で、でも、彼女はたぶん……」


「いいえ! 兄には、婚約者がいますので!」



 私は素直に驚いた。

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