第42話

わぁ……きれーい……!



 二階の手すり部分――多分、二人の男たちはそこを越えて下に飛び降りてきた――から、一人の女が下を覗いていた。赤みががった茶色の長い髪、ヘーゼルのくっきりと大きな瞳。色白で妖艶な超絶美女。彼女は片眉をつり上げて淡々とした表情のまま、赤い唇をちょっと動かした。


「承知いたしました、ボス」


 男は再び大男を見下ろして冷笑した。


「てことだ。もう二度とこの街に来るんじゃねぇぞ、カス!」


「クッソ、この若造がぁぁぁ!」


 大男はぐわっと吠えながら身を起こす。その仲間があたふたと大男に近づいて二人がかりで羽交い絞めにする。


「ばかやろうっ! なにもするなって! このかたが誰なのか、お前、まじで知らないのか?」


「誰だっつーんだよっ、若造が偉そうな口ききやがって!」


「お前、命が惜しくないのか? お前も傭兵なら知ってんだろ? この方は銀狼だっ!」


 仲間に押さえつけられてじたばたと抵抗していた大男はぴたりと静止した。あたりはしんと静まり返る。大男の顔がにわかにざざっと青ざめる。


「ななななな、な、なんだって?」


 スラッ。剣身が鞘に擦れる音。


 

 黒髪の細身の男が一歩前に出て、大男の鼻先に剣舞のような優雅な所作で自分の長剣の切先を突き付ける。


「立て。とっとと消えろ。この辺をうろついているのを見かけたら、その時は即刻命をもらう」


「なんなら超即刻で今もらってもいいけどなぁ? ああ、勘定はちゃんと済ませてから行けよ? 壊した皿や椅子の修理代もな?」


 黒銀ダークシルバー髪の男がにやりと笑む。大男とその仲間たちは、脚をもつれさせながらドアへ向かう。その中の一人が銀貨のぎっちり入った小さい袋を女将に渡した。



 クマ男と仲間たちが転げるように店を出て行く。黒髪の男は長剣を鞘に戻す。女将とウェイトレスたちは慣れっこなのか、もうてきぱきと後片付けを始めている。




「兄上っ!」


 聞き慣れない単語を発するナデァの声で、私ははっと我に返った。キーランド卿も同じだったみたい。


「おう、ちび。無事か?」


 彼女の呼びかけに答えたのは……ダークシルバーの髪のあのイケメン。



 うそ。ナデァのお兄さんが、あの怖い男なの?




 

 酒場の、一見するとただの壁のような一角。壁にかかった牡鹿の頭部のはく製の左の角を引っ張ると、壁がドアになって開いた。その中の階段を下りれば地下に着く。


 私たちは今、地下の一室――ソファやテーブルがあり、奥に大きな机本棚のある執務室風の部屋――のソファに三人並んで座っている。


 向かい側のひとり掛けソファにはあの男——ナデァの兄。その背後、両側に立っているのは黒髪の美男と赤毛の美女。



 私は立ち上がり、丁寧にお礼を述べた。


「先ほどはどうもありがとうございました」


 そして座ると、ナデァが言った。


「ヴィ様。そちらは私の兄レン・フォルツバルクです。兄上、こちらがお話しした私のあるじヴィヴェカ様です」


「よろしくお願いします、子爵」


「ああ、堅苦しい挨拶はやめてくれ、レディ。呼び方もただのレンでいい。俺もあんたのことはヴィって呼ばしてもらうよ」


 なぜか、嫌な感じがしない。口調も視線も乱暴なのに、態度はそうじゃない。


 彼は長い脚を組んで優雅に座っていたけれど、不意に身を乗り出して私の手を取り、紺青の瞳でじっと私を見据えたまま、指先に口づけた。私はそのミステリアスな濃い紺青の瞳に目が釘付けになって固まってしまった。


 ナデァは満足そうににっこりと笑んでうなずいた。キーランド卿はレンの優雅なしぐさに感心する。レンの側近二人は、珍しいものでも見たかのようにくいっと片眉を上げた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る