第41話

大男は右腕を押さえてひいひい喘ぎながら床をのたうち回り始めた。


 馬鹿力に解放されてバランスを崩してよろめいたナデァを、私は背後から全力で受け止めた。


 よく見ると、男の右上腕には短剣ドルヒが突き刺さり、刃の先端が腕を貫通して見えていた。うわぁ、週末の繁華街の暴力沙汰みたい!



 数組の客、男の仲間、男の仲間に羽交い絞めにされたウェイトレス、そのほかの二人のウェイトレスと女将。店内はしんと静まり返り、大男のうめき声だけが聞こえる。



「く、くっ、くそぉぉぉぉぉ! 誰だ、こんなもの投げやがってっ!」


 大男が痛みにうなり声を上げる。まるで手負いのクマだ。


 男の仲間たちが男に駆け寄る。



 ダンッ!




 突然、二階から何か大きなものが落ちてきた。私とナデァはひっ、と小さな悲鳴を上げてお互いを抱きしめて身を縮めた。



 ――落ちてきたのはモノではなく、ダークシルバーの短髪の、一人の長身の若い男だった。



 男は手負いのクマに向かって声を荒げた。


 

「うるせぇのはお前らだろうが! どこのどあほうどもがどのツラさげて俺の店で暴れていやがる?」


 獰猛な獣のような、低いうなり声のような声。機嫌が悪そう。



 すとん。



 なにかまた二階から華麗に落ちてくる。あ、これも若い男だ。さっきの人よりはひょろっと細い、中性的な感じ。


「あ」


 先に落ちてきたほうの男を見上げて、ナデァの表情が安堵にゆるんだ。



 ぱちん。



 指をスナップする音が聞こえる。


「はっ!」


 キーランド卿の拘束が解けて、彼はその場に膝をつく。自由になった途端、彼は私に走り寄る。



 こつこつこつ。完璧な等間隔の足音が二つ、クマ男に近づく。


「なっ……」


 大男が近づいた足音の主たちを仰ぎ見てなにか悪態をつこうとした……が、次の瞬間、彼の大きく醜い顔は戦闘用のブーツで思い切り蹴り上げられた。


 巨体が文字通り、宙に舞い上がった。


 人々はあっと声にならない叫び声をあげて宙に弧を描く男を目で追う。


 どしゃん!


 「でぎゃぁぁぁっ!」


 落とし穴に落ちた獣じみた叫び声をあげて、彼は床にどすんと腰から着地した。



 その時、大男の仲間たちの塊から、先ほどキーランド卿に魔術をかけた痩せた男が左のてのひらを挙げて呪文を詠唱し始めた。すると、大男を蹴り倒した男の背後にいた細い男がすかさず短剣を投げた。


「うぐっ!」


 瘦せこけた長衣の魔術師は、てのひらを短剣で貫かれた。




 大男を蹴り上げた長身の男が、短剣を投げた黒髪の男に文句を言う。


「だから前から言ってるだろう? 店内は魔術が使えないように無効化の術をかけとけって!」


 黒髪の細身の男が、眉根を寄せて振り返る。青ざめていると言えるほど白い、氷のような美貌。切れ長のグレイアイズは永久に溶けない氷のように冷たい感じだ。


「いっそ魔術師は出入り禁止になさっては?」


 彼は冷たい表情を変えず、片目をすがめただけで反論する。


「ならお前も出禁だな?」


 言われたダークシルバーの髪の男が嫌味を嫌味で返す。彼は鼻で笑いながら蹴り上げた男をげしげしと足蹴にして忌々し気に言う。



「それで、何がしたかったんだよ? まさかいちげんのくせに憂さ晴らしに暴れただけじゃなくて、うちの客を攫おうとしてたのか? あ? いい度胸してるな?」


 大男は苦し気にもがくだけで、踏みつけてきている足をどかすこともできずにうめいている。


「ばかっ、もう動くな! 気でも失っておけ!」


 大男の仲間が悲壮な叫び声をあげる。踏みつけている若い男はちっ、と舌打ちをする。


「いや、迷惑だし。こんなとこで気絶なんてするなよ? それよりお前ら、もうこの店は出禁な? てか、この街からとっとと出たほうがいいんじゃないか?」


 彼は皮肉めいた口調でそう言うと、吹き抜けの二階部分を見上げて言った。


「おい、お前んとこの店にもこいつらが現れたらちゃんと門前払いしろよ?」



 誰に話しかけてるの?


 私は彼の視線の先をたどってはっと息をのんだ。

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