第36話

マイツェン伯爵家の騎士団の証であるラピスブルーの制服に身を包んだキーランド卿と淡い黄緑のドレス姿のナデァを従えて、アイリス色の落ち着いたデザインのドレスに着替えた私は、西の辺境伯が待っているであろう応接室に向かう。


 シュタインベルク国唯一の若きソードマスターであり、死神の異名を持つ銀髪の美丈夫。なんだかそそられる人物設定だけど、はっきり言って私には想像もつかない。王子妃教育で習ったので名前や経歴ぐらいは(ヴィの記憶で)覚えているが、王宮にはめったに顔を出さない人物なので正直言ってよく思い出せない。


 「お待たせいたしました」


 私が入室すると、ソファから立ち上がった若く長身の男は恭しく礼をした。



「突然の訪問をお許しください。ベーレンドルク辺境伯ルドヴィク・フォン・エクスラーと申します」


 私も丁寧にカーテシーで応える。


「マイツェン伯爵ヴィヴェカ・アルトマンと申します」


 二人はほぼ同時に顔を上げた。


 私の背後でキーランド卿とナデァがひそかに感嘆する気配を感じ取る。普段から沈着冷静なキーランド卿が、今日はそわそわと落ち着かないことには気づいていた。国唯一のソードマスターが来たのだ。彼にとっては憧れの存在に違いない。ナデァは単に、彼の美貌に感心したのだろう。


 まあ、私もひそかに驚いた。


 記憶にはないが、長い銀髪を首の後ろでひとつに束ねて黒い礼装の軍服を着ている彼は、死神というよりは大天使のように優雅で美しい。長年戦場にばかりいたとは思えない。筋骨隆々としているわけでも、真っ黒に日に焼けているわけでもない。そしてそのアメシストのような瞳。その知的なまなざしからは、彼が戦争しか知らない粗野な辺境貴族ではないことがわかる。


 私と彼はソファに向かい合って座った。



「あの……」


 困惑した固い表情のまま、私は正面に座る美貌の辺境伯を見た。


「数年前に一度だけ、王城で挨拶を受けたと思いますが。卿の本日突然のこのご訪問の意図が分かりかねます」


「ルース」


「え?」


「ルース、とお呼びください、レディ」


「……それは……いたしかねます」


 私がますます困惑した表情をしたので、辺境伯は薄い唇の片端に苦笑を浮かべた。本当に、見れば見るほど信じられない美貌だけど、突然なんだっていうの?


 ほとんど初対面なのに、いきなり愛称で呼ぶほど私も図々しくないわ。



「先の戦争で盗賊化した敵兵たちの討伐が、やっと一息ついたことを報告に王城へ参りました」


「そうでしたか」


「普段、辺境の地で戦にばかりかまけているので、世間で起こっていることには疎いのですが、王城であなたが廃妃になったことを知りました」


 辺境伯はじっとまっすぐに私を見つめた。鋭く深いアメシストの瞳に見つめられて、私はこくりと息をのむ。


「それで、用事が済んで帰途に就く前に、ここに立ち寄りました」


「ええ、ですから何故……」



 本当に訳が分からない。特別に親しかったことはないし、ましてや一度挨拶を交わしたくらいしか本当に接点がないのだ。廃妃になったことを知ったからといって、なにかひとこと声をかけるような知人でもないのに。


「求婚するためです。レディ、あなたに結婚の申し込みをしに参りました」


 背後でひっ、とナデァが息をのんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る