第34話

「ああああああ、ヴィ様!!!!」



 ナデァは知らない場所に初めて連れてこられた室内犬のように、ナーバスにティーテーブルと出入り口のドアをせわしく行ったり来たりしている。


 ずず、と紅茶を啜りながら読んでいた小説から視線を上げ、私はたったひとりの侍女を見て息をつく。


「おちついて、ナデァ」


「でも……」


「何かの間違いよ。きっと、人違いだわ」


「いいえ!」


 ナデァはティーテーブルの端に無造作に積み上げられた封書の前まで戻ってくる。それらは全部で二十通ほどある。


「これら! これらはすべて、マイツェン伯爵あてに送られてまいりました!」



 ヴィーはついに本を閉じて苦笑する。


「うーん。間違いで送られて来たのでは……」


「いいえ、いいえ、ヴィ様。送り主の方々は、確実にマイツェン伯爵が女性であること、そしてヴィ様であることをご存じです。だってこれらはすべて、上位家門からの求婚書ですから!」


「一体、どこでばれたのかしらねぇ? どこの記録にも載っていないはずよ」


「いくら内密に進められたとしても、貴族会議で議決されたことですから、会議に出ていた一部の家門はご存じです」


「なるほど。それでばれてるのね……」


「それにしても……なんていうか、王宮を出てひと月も経たないうちにもう求婚書ですよ……しかも、ここ数日、毎日増え続けています」


「廃妃と結婚しても、何の得にもならないのにね?」


「何をおっしゃいますか。有力家門の次男以下の方々、奥方をなくされた方々などにとっては十分価値の高い求婚でしょう」


「価値……困ったわね。再婚したくて離婚したわけじゃないのに」


「もちろん、お断りになればよろしいのです!」


 ナデァはテーブルの上の求婚書の山を睨みつけた。


「昨日は……突然のご訪問もあったわね」


 私は本を閉じて苦笑した。



 何の前触れもなく、マイツェン伯爵邸の門をくぐってある伯爵家の二十代半ばの子息が訪ねてきたのだ。彼はぜひマイツェン伯爵に目通り願いたいと申し出た。


 もちろん、突然の訪問に私は面会を拒否した。要件は何かとカスパル卿が尋ねると、求婚書を持ってきたと答えたらしい。どうやら、貴族たちの間ではすでにもと王子妃を誰が射止めるかで水面下の争いが繰り広げられているらしい。



「レ、レディ! 」


 ドアが三度ノックされて、青ざめたキーランド卿が珍しくうろたえながら足をもつれさせ、なだれ込むように入ってきた。


「あら、キーランド卿。修練の時間なのではなかったの?」


 私がのんきに首をかしげると、キーランド卿は練習用のシンプルなシャツとトラウザーズのままで額に汗を浮かべながら頭を下げた。


「はい、そうですが……大変なことが起きましたので、取り急ぎお知らせに上がりました」


 普段は優秀な護衛騎士として冷静沈着な彼がこんなにも動揺するのは実に珍しいことだった。



「大変なこと?」


 ヴィは首をかしげた。ナデァが一歩前に出て訊いた。


「それは何ですか? キーランド卿」


 キーランド卿は明らかに動揺していた。顔色がすこぶる悪い。彼はためらいながらも意を決して主に注げた。


「……お客様がいらっしゃいました。その、無下に門前払いできないようなお方が」


「ええ? まさか、王宮のどなたか?」


「いいえ。その……」


 キーランド卿は珍しく歯切れが悪く一度視線を床に落としてから顔を上げ、意を決したように言った。

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