第30話

いよいよ王宮を離れる日がやってきた。


 身支度を整えると、私は王子妃付きの使用人たち全員を集めて別れの挨拶をした。


 外出用のシンプルなドレスに身を包み、私はトリーシャとキーランド卿だけを連れて王子宮を出た。



 国民への正式発表はまだ少し先で、本日は極秘の引っ越しなのだ。


 トリーシャのお腹の中の子が安定期に入ったころに新しい王子妃の発表がなされる。その時ついでに、前の王子妃が離婚したことを公表するの。


 私についてくることにしたキーランド卿には、近衛騎士団の所属として騎士の称号はそのまま保持するようにという王命が下された。彼は私個人の護衛になった後も、国から給与をもらえるのだ。


 ナデァも同様に、侍女でなくなっても私に使える限りは侍女扱いで給与がもらえる。


 私も伯爵位、領地、別荘、タウンハウスまでもらった。破格の待遇だと思う。


 王子宮の出入り口の扉の前まで来ると、国王夫妻が彼女を待っていた。私は驚いて少し足早に二人のもとに向かう。




「そなたの新たな門出を祝おう」


 国王と王妃としての公の立場では、後継の産めない王子妃が去ることは都合がよい。しかし彼らには私への六年間の情がある。私もそれはよく理解している。


「生まれてくる王孫の健やかなご成長をお祈り申し上げます」


 私の最後の挨拶を受け入れながら、王妃は無言で優しく私を抱きしめた。




 地味な馬車が去って行く様子を西の宮殿の窓から見つめていたリシェル夫人は、閉じた扇を口元に当てて魅惑的な微笑を浮かべていた。


「邪魔者が去って行くわ」


 歌うようにつぶやくご機嫌な彼女の少し後ろで、トリーシャも唇の端をつり上げた。


「予想よりもはるかに簡単でした。王子も愛想をつかしたようで、見送りにも来ていないようです」


 リシェル夫人は片眉をつり上げてトリーシャを振り返る。


「ふふ。あの妃のいないロイスなど、失脚させるのはたやすいこと」


「私はいつ、流産したことにすれば……」


「お前が王子妃になって……そうね……ひと月くらいしたら。緊張と疲れとストレスで流産したことにすればいい」


「自然な感じで、周りに疑われなそうですね」


「それまで、決してぼろを出さないように。わかっているな?」


 真の女主人の美しく狡猾な微笑みに、トリーシャはくすりと笑って「はい」と短く答えた。





「どうかくれぐれもご自愛ください」


 私は丁寧な挨拶をした。両陛下は無言でゆっくりとうなずいた。


 私が乗り込むと、御者は静かに馬車を進ませた。


 廃妃が城を去る。王子宮で王子妃に仕えていた使用人たちは、しばらくのあいだ無言で頭を下げて私を送り出してくれた。



 王子は結局、姿を現さなかった。きっと、怒っているのだ。


 最後に、挨拶がしたかった。仮にも七年間、夫婦だったから。


 私は小さなため息をつき、遠ざかる王子宮を振り返ってつぶやいた。


「さようなら」


 私なんて早く忘れて、幸せになってね。

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