第29話

七歳児の茶番劇を反対側のソファから観察していたエラードは、ルキ王子の泣き落としが失敗したことに爽快感を覚えた。


(私にも、彼女を妻にできるチャンスがめぐってきたんだ)

 


「ごめんなさい、公子。ごたごたしてしまいましたね」


 私がキーランド卿にルキ王子を託して申し訳なさそうに苦笑を向けると、エラードは優雅な微笑みを私に返した。


「いいえ。七歳児の我儘は、道理がわからないから困ったものです」



 普段の彼を知る周りの者たちが聞いたら、どの口がそんなことを言うかと眉をひそめるだろう。


 しかしエラードは落ち着いた微笑を浮かべた。


「その後、準備はいかがですか?」


 メイドが新しく入れてくれたお茶を啜り、私は穏やかな笑顔を浮かべた。


「ええ。今週中には城を出ようと思って。王子殿下は……会ってくださいませんが、そのまま去ろうと思います」


「そうですか。殿下は両陛下とも口をきいていないようです」


 私はため息をつく。


「そのうち……お子が生まれれば、ご機嫌も直るでしょう」


「廃妃申請とは、お姉様も大胆な手段に出ましたね」


「黙って進めてしまったことで殿下には申し訳なかったのですが、そのうちきっと、わかっていただけると信じています」


「ええ、そうでしょうね」


 エラードは適当に相槌を打った。第一王子がどうなろうと彼にはどうでもよかった。



「それで、これからはどのように?」


「はい。しばらくの間は、のんびりしようと思います。それからはまた、考えます」


「伯爵位を授与されましたね。確か、三代前の王弟だった大公が持っていた爵位のひとつでしたね?」


「そうです。陛下が所有なさっていた、今では誰も叙されていない爵位だそうです。私が亡くなるときに王家に返還することになりました」



 エラードは壁際の侍女とメイドたちを一瞥して、そっと身を屈めて声を潜めた。


「落ち着いたら、演劇や読書会など、ご一緒したいです」


 私は眉尻を下げた。


「いいえ……私にはもう関わらないほうがよいでしょう」


「私は気になりません」


「お父上の大公は気になるはずです」


「そうだとしても、今まで通り、弟分と思ってください」


「もう王子妃ではないので、公子のほうが身分は上になりますよ」


「関係ありません。ご存じのように、私には親しい友がひとりもいないのです。お姉様がなってください。そのためなら……」



 エラードはさらに声を潜めた。口元を手で囲って、囁き声で言った。


「私はまた、女装して……女友達としてご一緒します」


 私は呆れて目を見開いた。そうしながらも私の瞳に安堵の色が広がったのを、エラードは見過ごさなかった。





 自分の邸に戻る馬車の中で、エラードは鼻歌を歌いだしたいくらい機嫌がよかった。



 まさか、破婚とは。


 もう一生、彼女を自分のものにするチャンスなどないと思っていたのに。



(私が彼女を手に入れる。浮気するなんて、ロイスは本当にバカだ。あのちびも論外だ。彼女は私だけのものだ。いつか必ず、私の妻にするんだ)



 再婚だろうがもと王子妃だろうが、両親には文句は言わせない。いや、誰にも文句は言わせるつもりはない。彼女がロイスの隣に立っているのを初めて見たときから、奪いたいとずっと思っていた。彼の思いはこの七年間、一度も揺らいだことはない。


 (魔術で惑わして手に入れてもいいけど……)


 エラードはくらい苦笑を浮かべた。


 いや、やはり、自力で手に入れたい。


(それだけの価値が、彼女にはある。私の大切なひと。たったひとりの、愛するひと)




 狂気をはらんだ美しい瞳が潤んで、馬車の車窓を流れる暮れかけた並木道を映していた。

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