第16話

「私、廃妃になるわ!」



 

 ここ七年間のうちで、ナデァは初めて、主人のとびきりの笑顔を見たんじゃないかと自分でも思う。


 彼女は大きな青い目を見ひらいて、そして数秒後にはぱちぱちと何度もまたたいた。



「———はい、ひ?」


 彼女はかすれ声でやっとのこと言葉を発し、そしてこくりとつばを飲み込んだ。


 私はもうすでに勝手にテンションが上がっている。


「うんうん。離婚して、王宮を出るのよ。実家に戻るの。幸い、家はあなたのお父様が管理してくれてあるじゃない」


「ヴィ様……? あまりの衝撃に、おかしくなられたのですかね……」


「やだ、私はいたって普通よ。これは人生最大のチャンスなの」


「チャンス……ですか?」


「ええ、大チャンスよ」



そう。


チャンスでしょ!  



若くてきれいで、お金持ちのバツイチ女になって、なんかボロい商売でもしてさらに設けて自由に生きるチャンスよ。



「私よりもましな身分の母親がいるなら、わざわざ私が生まれてくる子の母親になる必要があるかしら? 平民出身の私よりも、子爵家出身の令嬢が王子妃のほうが重臣たちも渋々ながら納得するんじゃないかな?」


「そんなことありませんよ! ヴィ様は、国中の民に祝福されたお妃さまなんですから!」


「いいのいいの。べつに、王子妃になりたかったわけじゃないし……いい? 考えてみて」


 私はナデァに人差し指を振りながら質問した。



「殿下に後継ぎが生まれるの。おめでたいでしょう?」


「はぁ。それはそうですね」


「両陛下にとっては待望の初孫よ。絶対にお喜びなはず」


「えぇ……そりゃ、もちろん」


「お子の生母は子爵令嬢で、アイレンベルク公爵家の遠い御親戚」


「はい。国王の側妃リシェル様の御親戚……で回し者」


「生まれてくるお子も御親戚に当たるわ。だから、リシェル様もないがしろにはなさらないはず」


「うーん……?」


「実の母がいるのに、わざわざさらに身分の低い代理母は必要ないわ」


「……」


「したがって、トリーシャが王子妃になれば、殿下を排斥しようとするアイレンベルク公爵もリシェル様もひどいことはしないはず」



ぽん、と胸の前で手を打ってにっこりと首をかしげる私を見て、ナデァは泣きそうな顔で言う。


「殿下は……ヴィ様を手放さないはずです」


「そうね……だからこそ、殿下にはないしょで、外堀から埋めていく必要があるわ」


「えぇ……?」


「協力してくれるでしょう?」


「……ヴィ様」


 ナデァは大きな瞳を潤ませて、どうしてそんなことを言い出すのかと無言で私を責める。私は彼女の手を取りそっと両手で包み込んだ。



「殿下のご寵愛は身に余る幸せだとは思うわ。でも、知りたいことがあるの」


「なんですか?」


「私も誰かを愛してみたいの」


「はい? それは……殿下ではいけないのですか?」


「ん。会いたいときに会えて、対等な関係で、ひと月に一度の苦痛ではなくて、情熱的でうっとりするような幸せを……」


「はっ……ヴィ様っ! そ、そ、そのようなっ……!」


 ナデァは挙動不審に手をばたつかせる。どうせ部屋には私たちしかいないのに。


 まぁこの子もいまだ清らかな乙女だし、ヴィわたしの閨事の事情を知ってはいても、TL読んで妄想している晩熟おくての女子高生とあまり大差はないはず。



 私はナデァの両手を再び捕まえてきゅっと握った。


「だからね、ナデァ。私、離婚して自由になりたいの。王子妃の座はトリーシャに譲るわ」


「本気……なんですね?」


 彼女ははぁ、と小さなため息をついた。私はにっこりと微笑んだ。


「本気本気。さぁ、計画を話すから、キーランド卿も呼んでくれるかしら?」


「はい……」



 ナデァは諦めてこっくりうなずくと、ドアの外に待機しているだろう護衛騎士を呼びに行った。

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