第11話

七年前のあの夜。



 一目だけでも、きらびやかな世界をのぞいてみたかった。そんな少女の純粋な好奇心だけで、舞踏会に参加するために城へ向かったのだ。


 そこで王子に一目惚れされて求婚されたことは、彼女の予想をはるかに超えた非現実的な出来事だった。


 彼女に差し出された白い手袋の手。優しく降り注がれた低い声と熱いまなざし。美しい王子にうっとりと見つめられて、正直、悪い気はしなかった。でも王子とはその時が初対面でありただただ恐れ多くて混乱してしまい、ヴィは大ホールを逃げ出してしまったのだ。


 華やかな舞踏会で、王子と踊る。それはきっと、一生の思い出になるだろうと彼女は思っていた。


 ぼろぼろのドレスに着替えて長い髪をひとつにひっつめて姉のための繕い物をしていると、時々その夜のことを思い出しては甘い余韻に浸った。かまどの灰まみれになりながら、きっとあの夜に一生分の運を使い果たしたんだわと唇に寂しい微笑みが浮かんだ。


 それなのに……


 奇しくも、王子妃になってしまった。



 ロイスはヴィを見つけ出して有頂天だった。彼にとってヴィは初恋だった。



 ナデァが言うには、ロイスはヴィへの虐待で継母とその娘を捕らえ、むち打ちの刑に処したらしい。そしてナデァの父でヴィの後見人となったラルドにアルトマン家の管理を一任した。ラルドはヴィが取り上げられた亡き母の宝石類を取り返し、彼女たちを追いだした。母の形見はすべて、ナデァが城まで持ってきてくれた。


 ヴィはロイスの心遣いに深く感謝した。そして、毎日毎日「あなたが好きだ」と告白してくる彼に好感を持つようになった。彼は毎日違った種類の花をくれたり、ドレスや宝石をプレゼントしてくれた。最大のプレゼントは、王子宮の南側に増設された温室だった。


 世間知らずの純粋な娘が若く美しい一国の王子にそこまで尽くされれば、彼を好きになることには何の不思議もなかった。


 だから彼女は、彼と結婚してもいいと思ったのだ。彼女は恋愛に関して、全くの無知だった。手をつないだのも一緒に踊ったのもロイスが初めてで、彼女にとって彼は唯一の異性だった。男女の関係や夫婦生活について何もよくわからないまま、彼女は王子の気持ちに応えることにした。



「とにかく、殿下にすべてお任せになればよろしいのです。最初だけ。我慢なされば、あとは慣れると思いますので」



 ねや教育で、ヴィはそれだけを教わった。


「残念ながら、殿方によって閨の進め方は十人十色なのです。ですから今わたくしがお嬢様に事細かく指導できることはないのです」としか言わない教育係のある伯爵夫人に、もやっとしたものだった。


「最初だけ我慢なされば」って何だろうと疑問が浮かんだが、それ以上は訊かないでほしいという雰囲気を醸し出されたので何も質問できなかった。なんて乏しい情報しか得られない授業だったのだろう? 


 王子妃教育で一番時間の無駄な授業だったみたいね。「我慢する」? 何を? どうして、初夜で何かを「我慢する」必要があるの? 


 意味が分からない。結婚前にその心配をすることはなかったけれど、毎日のように口説いてくる王子とは、だんだん親密になっていった。


 そして……


 幼い頃に両親の仲睦まじい姿を見ていたので、初めてのキスはうまくいったと思う。それでもキスとは唇と唇が触れ合うようなものだという認識しかなかったので、何度も唇をついばまれた後に彼の舌が口内に入ってきたときには、驚きすぎて悲鳴を上げそうになった。


 そしてそして……




 ヴィにとって初夜は、地獄の一夜だったと言ってよかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る