第10話

I beg your perdon, what did you say?


今、なんとおっしゃいましたか?




「トリーシャの腹の中に……私の子がいるそうなのだ」


「トリーシャ? トリーシャとは、あの、私の侍女のトリーシャでしょうか?」


 王子宮にいる侍女たちの名前は全員把握しているが、トリーシャという名前の女性は私の侍女一人しか思い当たらなかった。側近の侍女はナデァだけで構わないのだが、体裁のために国王の命令によって一応配属されている侍女。


「うん、そのトリーシャだ」


 王子は他人事のようにこくりとうなずいた。



 トリーシャは子爵令嬢で、半年ほど前からヴィの侍女として王子宮で働いている。国王の側室であるリシェル夫人の紹介で配属した。主にパーティやお茶会の手配をしてくれている侍女だ。赤毛に青い瞳、気が強くて言いたいことは結構はっきり口にするタイプ。



「信じられない」と、王子には聞こえない大きさでナデァが素早く呟いた。


「それで、今年の冬の始めぐらいには生まれると思う」


「左様ですか。それは……おめでとうございます」


 私はぺこりと頭を下げた。そしてぼんやりと考える。


 (子供……あのトリーシャといつの間にそんな仲に……)


 私の頭の中のヴィヴェカの記憶をたどってみても、ふたりに特別な接点は思い当たらない。言ってみれば、意外な組み合わせ?


 やだ……王子妃になったのに、サレ妻ってこと? でもなぜか、不思議と怒りが湧いてこない。



「それで、だ。頼みごとがひとつあるのだ」


「はい?」


 ロイスはもう一度、今度は深めに息を吐いた。


「あなたには……」


 テーブルに落とした視線がおろおろとさまよう。さすがに、後ろめたいのかしら。


 少し迷って、彼は私を見て言った。




「あなたには、その子が生まれたら母親になってほしい」


 王子は真顔で、こころもち小首をかしげて言った。



「――はい?」


 柔らかな微笑を浮かべて私は訊き返した。もしかしたら、聞き間違いだったかもしれない。いや、そんなはずはないか。


「トリーシャに子供ができたから、あなたとは離婚したい」という言葉が出てくると思っていたのに。生まれてくる子供の母親になれ、とは?


 (トリーシャが産む子の母親になれということ?)


 ワケがわからず、私は膝の上においた右手で左手をきゅっと握りしめた。



「子が生まれるまでは、トリーシャを離れに移そうと思う。生まれた後は男爵位と郊外に邸をひとつ与えて、生涯手厚く遇すということで父上とは話が付いた。心配は無用だ。生まれる子はすぐに乳母に預けられるし、あなたは形式的な母親になればよいだけだから」

 

 夫はにっこりと微笑んだ。いつもの、優しい笑顔。私は混乱してくる。


 怒りの湧いてこないヴィヴェカの思考もよく理解できないが、浮気相手が妊娠して、その子の母になれと言う夫も理解できない。なに? なんなの?



「あの、殿下。彼女のことを愛していらっしゃるのではないのですか?」


 おそるおそる訊ねてみると、ロイスはよくわからないと言ったような困惑した表情で眉根を寄せて首をかしげた。

 

「私が愛しているのは、あなたただけです。トリーシャとは、その、成り行きで……いや、とにかく、あなたは何の心配もいらない。私の妃はこれからもずっと、あなたしかありえないのだから」


「……」




 う—――ん???????


 何なの⁈



 私は夫にあいまいな微笑みを返した。

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