毒殺された王子
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第46話
延期されていた第一王子の王太子お披露目の日の前日。
カミーユはジゼルとともに王宮の一室にいた。
「いよいよ、明日だな」
「ええ。ついに」
「緊張しているのか?」
「ええ……していないと言えば、うそになるわね。大勢の人たちの前で失敗しないか、とても心配で……」
カミーユはくす、と口元を引き上げてそっとジゼルの手を取った。
「お前はただ胸を張って、第一王子の隣にいればいい。誰にも遠慮するな。お前は私の自慢のいとこだ」
「カム……あなた、ずいぶん変わってきたのね」
「そうか?」
「そうよ。私もあなたのおかげで自信を持てるようになってきたけど、あなたも表情が豊かになってきたわ」
二人は微笑みあった。
「ジス。お前はお前らしく生きればいい。第一王子はお前を守り、慈しんでくれるだろう。だからお前も彼を信じて頼っていけばいいんだ」
「そうするつもりよ。それから……カム、あなたは……その、これからも……」
ジゼルは少しうつむいた。彼女はカミーユが地獄に戻るとか天界に行ってみるとか言い出さないかと、ここ数日ずっと思い悩んでいた。
「もしも……もしも、よ? あなたがこのままいてくれたら、新しい魔塔主は喜ぶと思うし、悪魔たちだって魔塔から養殖魔獣をもらえるならずっといてもいいと言っていたし、その……私も、あなたがいてくれたら……」
――むしろ、本当はずっと人間界に、自分のそばにいてほしい。
もしかしたらカミーユが涼しい顔で「いや、そんなことはできない」と言い出すのではないかと怖くて、そジゼルはの重要な一言がどうしても言えずにいた。
「ジス」
もじもじとうつむいていると、カミーユがジゼルの両手をそっと握りしめた。
「お前はもう、大丈夫だ。誰かの子分でも言いなりでもない。意地悪な奴にいいように使われるつまらない存在でもない。だから、私がそばにいなくてももう大丈夫だ」
「……」
言いようのない悲しみに、ジゼルのヘイゼルの瞳に深いグリーンの影が差した。
「むしろ私のほうが、お前にいろいろなことを教わった。お前のそばで、『こころ』とか『きもち』とか、そういう実体のない不確定なものたちの存在が自分の中にもあることが分かった。私は腹違いの兄姉たちのだれよりも、お前が好きだ。だから」
ふわりと、カミーユはジゼルを抱きしめた。
「お前がやがてこの国の王妃になり、国の民たちに愛される姿を見ていきたいと思うのだ。私は魔界へは帰らないし、天界にも行かない」
「……!」
ジゼルは嬉しさの悲鳴を飲み込んだ。そして彼女は人間ではない同い年の従姉妹をぎゅっと抱きしめ返した。
「本当? 本当なのね? 撤回は無しよ?」
カミーユはジゼルの肩でふと笑みを漏らした。
「ああ。私は魔塔主のところで、お前の専属魔術師として人間界で生きていくことにした」
ジゼルは体を離してカミーユをキョトンとしたまま見つめた。
「私の……専属、魔術師って……?」
カミーユは薄い唇の端を引き上げた。
翌日は夜明け前から、ジゼルの身支度があわただしく始まった。
公爵邸にいるカミーユのもとに、第二王子からの使いがやってきた。そのために彼女は、大聖堂で正午の金とともに始まる予定の立太子の儀式よりも三時間ほど早く、王宮の第二王子をひそかに尋ねることにした。
王室第二騎士団の白い礼服を着たファビアンが、彼女を馬車止めまで迎えに来た。まだ少年ぽさの残る普段は元気な感じの彼は、どこかそわそわと落ち着きのない感じで緊張しているように見えた。
「こちらからお願いいたします」
彼は小声でそう告げると、通路の途中にある隠し扉を押し開けてカミーユを誘導した。普通の人間の礼状ならば不安を覚えるような状況だが、カミーユにとっては人間の行動で不安や恐怖を感じるようなものは何もない。彼女は冷静なままファビアンに続いて、ランタンの光に照らされた無機質な暗い通路を歩いて行った。
「やあ、カム。久しぶりだね。最近、寝込んでいたんだって? もうよくなったようだね」
小さな扉を開けると、そこは以前にジゼルとともに案内された第二王子クリストフの私室だった。彼は相変わらずの危うげな美貌でソファにゆったりと腰かけて、魅惑的な微笑みをカミーユに向けた。ファビアンはカミーユに王子の向かいの席を勧めると、王子の隣に控えた。
まだ固い面持ちのファビアンをちらりと見てから、カミーユはクリストフを目をすがめて見つめた。
「今日はまた、何を企んでいる? 立太子の儀式の邪魔をしようというわけではなさそうだが」
カミーユは受け取った伝言を思い出して、呆れ口調で王子に言った。クリストフはふふ、と笑みを漏らす。
「まさか、邪魔するどころかゆるぎない祝福をささげようと思っているだけさ。伝言を見てくれたんだろう? また母上と伯父上が良からぬことを企んでいるんだよ」
第二王子は他人事のようにそう言って肩をすくめた。
「だからと言って、どうしてあなたが死ぬのだ?」
カミーユが受け取ったクリストフからの伝言。そこには、『俺は今日、死ぬことにするから協力してほしい。詳しい話は儀式の前に話すから、王宮に来てほしい』と書かれていた。だからこそカミーユは王宮の西棟まで王子を訪ねてきたのだ。
「うん。もうあの人たちに無駄な野望を抱かせないために、さ。そして俺ももう、あの人たちの謀反の理由でいるのは終わりにしたいんだ」
「だからと言って、死ぬ必要はないのでは?」
「あはは。もちろん、本当に死ぬわけじゃないさ。第二王子クリストフが死ぬのであって、俺が死ぬわけじゃない」
王子はカミーユにウィンクしていたずらっ子のように口の端を引き上げた。カミーユはやっと合点がいってああ、と小さくうなずいた。
「なるほど。そういうことか」
「ああ、そういうことなんだ。それで、キミに協力してもらいたいんだ」
「協力?」
「うんうん。キミは魔塔の上級魔術師たちよりもすごい魔術師なんだろう? だからさ、母上たちを懲らしめるのに協力してほしいんだよ」
ジスカール王国の高位貴族たち、聖職者たち、各国の貴賓たち。
大聖堂には多くの人々が集まっている。
第一王子オーブリー・エドゥアール・ド・ジスカールが、立太子する儀式が厳かに始まった。
彼は王太子の冠を王から授けられ、教皇の祝福を受ける。王家に代々伝わる聖杯で教皇から注がれたワインに口をつけ、祭壇の前で王太子の誓いを立てるのだ。彼は王室第一騎士団の黒い礼服を身にまとい、儀式用の細やかな装飾の施された剣を佩き、王太子用の儀式用の冠を王から授けられた。ジゼルは最前列で国王夫妻とともに、未来の夫の堂々とした姿を見守っている。
傍らで聞こえた小さなため息に、カミーユはその主を振り仰いだ。
「第二王子は本気なのか?」
黒いローブを目深にかぶったマクスは静かにつぶやいた。
「楽しそうに言ってたな。まぁ、立太子の儀式には多少ケチがつくだろうが、シャイエ派は壊滅するだろう」
カミーユはうなずきながら答えた。
二人は大聖堂の後方上部、パイプオルガンの置かれたところからひそかに儀式を見下ろしている。ぎっしりと席を埋め尽くす人々は、誰一人としてはるか上方の彼らの存在には気づいてはいない。
「かなり無謀に思えるが、彼らしいと言えばらしいのか……」
マクスのつぶやきにカミーユはふと笑みを漏らす。
「小さな子供のようにはしゃいでいた。ああ、そろそろ始まるな」
彼らは祭壇で教皇からワインの聖杯を受け取った第一王子に注目した。
毒入りのワイン。
第一王子はそれをゆっくりと口元に近づけた。
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