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第45話

マクスと二匹の悪魔がカミーユの玉に魔力を入れ始めて三日が過ぎた。



 マクスのはからいで二匹は毎日中型の養殖魔獣を二頭ずつ支給されたが、それでも一度のセッションを終えると、膨大な魔力を失ったせいで手のひらに乗るくらいの大きさの黒い子猫に変わってしまった。


 一度目は失敗に終わったが、誰一人としてもうあきらめようと言い出す者はいなかった。


 二度目も、思わしくない結果に終わった。それでも誰もめげなかった。


 そして三度目。


 一度目よりも大きな閃光が放たれたと思うと、魔方陣の上には元の姿のカミーユが気を失ったまま横たわっていた、とう次第。




「それでは私は十日ほど、てのひらに載るくらいの玉だったと?」


 魔塔の最上階の部屋のひとつ。


 ベッドに座るカミーユに、ジゼルはカミーユが気を失ってからのことを話し終えた。


「そうよ。魔力を失いすぎて、元の姿ではいられなくなってしまったのですって。元に戻るには数日か数年か数百年かわからないって、リリアが言ってたわ」


 ベッドの隅で丸くなって眠る二匹の子猫を見て、ジゼルはふっと苦笑した。


「でも新しい魔塔主様が、もしかしたら歴代の魔塔主たちの魔力に満ちた魔塔で魔力を注げば、戻るかもしれないとおっしゃってね。二度、失敗したけど今回三度目でこうして成功したってわけよ」


「新しい、魔塔主?」


「あなたが会いたがっていた上級魔術師が、ジブネラ様の生前からの遺言によって、新しい魔塔主になられたのよ」


「ああ……どうりでさっき、黒いローブ姿だったのか。マ……ああ、ええと、グリは、今どこに?」


「国王陛下に呼び出されて、王宮へ向かったわ。私には相変わらず、彼の姿はぼんやりとしか見えていないんだけど。それでもあなたが目覚めたときの彼の喜びようは、すごくよく分かった」


「そうか」



「ねぇ、カム。彼はあなたが好きみたい。あの、まさか彼、すごいおじいちゃんとかかなりのおじさんってことは、ないよね?」


「は?」


 左右に視線を泳がせながらしどろもどろに質問するジゼルを見て、カミーユは思わず吹き出してしまった。


「おじいちゃんかおじさんなら、どうだって?」


「そ、そんなのっ……ああ、でも、魔術師なら外見をいくらでも変えられる、かな? うーん……」


「外見が若ければ、おじさんでもいいのか?」


「あ、いや、まあ、カムがよければ私は別にいいけど」


「おじいちゃんが、私のことを好きでも? それとも、私がおじいちゃんを好きでも?」


「ええ? カム? 新しい魔塔主様のこと、好きなの? えっ、彼は本当におじいちゃんなの?」



 カミーユは穏やかな笑みをいとこに向けた。


「好き、とは、まだよくわからないが。ずっと一緒にいたい、会えなくなったら嫌だ、それは好きということになるかな?」


 ジゼルははっと驚きを飲み込み、得も言われぬ喜びで瞳を潤ませた。


「ええ、ええ。それって、好きってことだと思うわ」


「そうか。それなら私は、彼のことが好きだ」


「ああ、カムったら!」


 ジゼルはカミーユの首に抱き着いた。カミーユはどこかこそばゆくて暖かな気持ちになる。こういう感情が、人間っぽいものなのかもしれない。



 完全に魔力を取り戻すまではしばらくは魔塔で過ごしたほうが良いと二匹の悪魔に勧められ、カミーユはジゼルを見送って魔塔にとどまった。


 青いガラスのクーポルから月光が燦燦と降り注いでくるのを、彼女はぼんやりと眺めていた。今夜は満月。月光浴には最高の夜だ。


 カミーユは瞑想に入る。


 体の中に魔力が少しずつ満ちてくる感覚がする。


 確実に、力強く。今までよりも力がみなぎってくる感じがするのは、覚醒したからなのか、歴代魔塔主たちの多くの様々な魔力を注ぎ込まれたからなのか。


 そう……もう彼女は、半人半魔ではない。堕天使として覚醒したのだ。



「カム」


 さやけき月光のように静かな声に名前を呼ばれる。カミーユはそっと目を開けて、目の前に佇む黒いローブのマクスをゆっくりと見上げて微笑んだ。


「もどったか」


「ああ。体調は?」


 マクスはそっと身をかがめてカミーユの額に触れた。じん、と彼の魔力が指先から伝わってくる。


「だんだん回復してきた。心配かけてすまなかった。それと、魔塔主のことは……残念だった」


 マクスは柔らかな笑みをカミーユに注ぎ、彼女をそっと抱きしめた。


「ああ。でも彼女は義務を果たした。それでいい。それから、あなたが元に戻れてほんとうによかった」


「……」


「カミーユ?」


「……」


 彼女が何も言わないので、マクスは少し体を離して彼女の顔をのぞき込んだ。彼は首をかしげる。カミーユは茫然としたまま固まっていた。


「カム?」


 もう一度呼びかけてみると、彼女は不思議そうに眼を見開いたまま彼を見上げた。


「もしかして、まだ調子が?」


 心配そうな問いかけに、カミーユはかすかに首を横に振った。


「違う、そうじゃなくて……」


「なに?」


「あなたの、ケガは?」


 最後に目にした時、彼は地獄の騎士たちに痛めつけられて負傷していた。


「もう治った」



 マクスはくすっと笑った。カミーユはまっすぐにマクスを見上げた。マクスも彼女の心配そうな美しい瞳を見つめる。


 クーポルの青いガラスを通って差し込む青白い月光のもと、二人はしばし見つめあう。まるで海底にいるような、永遠に続くかのような穏やかな静寂。


「いつのまにか課題などすっかり忘れてしまって……気づいたら、もう半魔ではなくなってしまっていた」


 カミーユは柔らかく笑んだ。マクスはそんな彼女の頬にそっと右手で触れた。


「いつのまにか表情が豊かになったみたいだ。半人でも半魔でもなくなったのに……今が一番、あなたは人間らしいかな」


「ああ。やっと、ジスの言う意味が分かった。今まで、全く知らなかったこと。心とか、気持ちとか、そういうたぐいのもの」


「あなたは、堕天使になったと悪魔たちが言っていた」


「そうみたいだが、実感はないな。ただ一つ言えることは、私が半人半魔だったとしても悪魔だったとしても堕天使だったとしても、あなたのそばにずっといたいということだけ」


 マクスのブルーグリーンの瞳が見開かれた。そして次の瞬間、それらはうれしげに細められる。



 彼はそっとカミーユの頬に触れた。


「私は物心ついた時からずっと、この世に生まれてしまったことを悔いてきた。父が何者か知らなかったが、母の命を奪って生まれたことが嫌で仕方がなかった。ジネブラ様は義務を果たせとおっしゃったいた。やがて彼女の跡を継いで魔塔主となることはわかっていたが、そうして命が尽きる時まで義務を果たすだけが私の一生だと思っていた」


 カミーユはうっとりとマクスの手から伝わる体温を感じ取って目を細める。


「それは……考えただけで気が遠くなるほど孤独だな。地獄で何百年も拷問されるのに似てる」


 マクスはくすりと笑った。


「拷問か。以前はそうも思わなかった。それが私の運命ならば、享受するのがこの世に生まれた理由になると思ったいた。だが今は、何よりもあなたに会えたことが、私の人生の最大事になった。もしもあなたが地獄に帰ると言うなら、引き留めるか……それでもだめならついていこうと思っていた」


 カミーユは一瞬呆れて目を見開いたまま真剣なまなざしのマクスを見上げた。そしてそれからふと笑みを浮かべた。


「なんだ、同じようなことを考えていたのだな。私も……あなたが帰れと言っても、魔塔に居座るつもりだった」


 今度はマクスが呆れたように首をかしげた。



 そして二人は青白い月の光のもとで、額をつけたまましばらくの間、くすくすと笑い合っていた。

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