堕天使令嬢の決意
1
第44話
ふたりと二匹の失望は大きかった。
特にジゼル以外の全員は多くの魔力を使い果たし、疲労困憊していた。
二匹の悪魔たちは小さな猫になり、遠くまで弾き飛ばされたマクスはしばらく起き上がることができない程に衰弱していた。
ジゼルは壊れた魔方陣にそっと足を踏み入れて、青い玉を覗き込んだ。
「カム……」
それは美しいいとこの美しい瞳と同じ色合いのまま、何の変化もなく宝石箱の中に納まっていた。
「失敗か」
青い目の猫がつぶやいた。
「いいとこまで入ったと思ったのにね」
赤い目の猫がぶるぶると小さな頭を振って言った。
「そんなはずは、ない……」
立ち上がり玉に歩み寄りながら、苦し気にマクスがつぶやいた。
ジゼルは悲し気に玉を見つめた。
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気が付くとカミーユは「無」の空間にいた。
――ここはどこだ?
確か、怒りに任せて西の帝国の宮殿を破壊したところまでは覚えていた。
その後、目の前が真っ赤になって……多分、気を失ったのだ。
できるだけ小さく体を丸めて、膝を抱えるような形でとろとろの水の中を漂っていたように思う。
ああ、気持ちいいな。ずっとこのままでいたい。
そう思っていたのに、ふと気がついたら真っ暗な中にふわふわと浮いていた。
右を見ても左を見ても、上を向いても下を向いても、闇、闇、闇、闇。
イラっとしたところに、後ろから声をかけられた。
「おい。少し見ない間に美しく成長したのだな、アスタロトの末娘よ」
はっ、と振り返るとそこにはえもいわれぬ美しい悪魔が、七色の光を放つ大きな黒い翼を背に付けて立っていた。絹糸のような銀の髪、ブルーグリーンに金色が散った瞳に、華やかな美貌。彼は妖艶な微笑みを浮かべながら、魅惑的な低い声でカミーユに話しかけた。
「あなた様は……ベリアル様……」
カミーユは驚きに目を見張る。
「覚醒したからと言っていきなり魔力を使い切るのは、どうかと思うぞ、カミーユ」
「私の名を……ご存じですか」
「無論。お前が幼き頃、お前を初めて見て驚いた。お前は私が二千年の間、ずっと生まれ変わるのを心待ちにしていた魂を持って生まれてきた」
「それは……恋人、だったのですか?」
「いや、残念ながら結ばれることはなかった魂だ。彼女はある
「それで、どうなったんですか?」
カミーユは身を乗り出して首をかしげた。ベリアルはふと寂し気に笑んだ。
「彼女はあまりにも純粋すぎて……天の炎に焼かれて、消えてしまったのだ」
「堕天するとき、天界から落ちる際に通らなければいけない、猛火の層のことですね」
「ああ。そこを抜けられない者は、魔界に落ちることなく命を失う」
「私がその、名もなき天使の生まれ変わり……」
「名はなかったが、私の心をつかんで離さなかった愛しい存在だった。だからお前を、ずっと見守ることに決めた」
カミーユは胸が苦しくて小さく喘いだ。
「だから私は……あなたに惹かれずにはいられないのですね」
ベリアルは美しい微笑を浮かべて静かにうなずいた。
「ああ。お前の魂には、前世に私に恋焦がれて焼き付いた傷が残っているから」
「なんとなく……思い出してきました。幼い頃、私はあなたに庭園でお会いした……」
「そうだ」
「あの時あなたは、おっしゃいました。私は魔力が少ないのではなく、何かに阻まれているようだ、と」
「ああ、そう言ったな」
「その通りでした。私はつい少し前に、人間界で覚醒したのです」
「そうだな。お前は先祖がえりを起こしたのだな。お前の父も私と同様、堕天使だったから。今世では、お前は半人半魔ではなく、堕天使として覚醒したようだ。天界へ行くがよい。徳を積めば、天使になることができるだろう」
カミーユはすかさず首を横に振って、穏やかな微笑をベリアルに向けた。
「いいえ、ベリアル様。私は天界へは行きません」
ベリアルは首をかしげた。
「では、地獄の天使として魔界で暮らすのか? お前の資質は、魔界には向かないようだが」
「魔界へも、戻りません。私は、人間界で生きていきたいのです。人間界には私の生きる理由がいくつかあり、私の居場所もあるようなので」
ベリアルは魅力的な笑みを口の端に浮かべた。
「そうか。では、もう二度と、両親に会えずとも後悔はしないか?」
カミーユは穏やかに、素直にこくりとうなずいた。
「母が人間界を去るとき、おそらく今の私と同じような気持ちだったのかもしれません」
「そうか。やっと一人前になってきたようだな。どこでどのように生きるかは、お前次第だ。お前が人間界で行きたいのならば、お前の寿命が尽きるその時まで、私がお前を守護してやろう。我が血筋の者と、思うがままに生きればよい」
カミーユはああ、と小さく呟く。
「幼い頃は、半分人間であることが恨めしくて仕方がありませんでした。でも今は、それでよかったと思っています」
「そうか。では、そろそろ戻るがよい。みんな、お前を案じているようだからな」
「えっ? あっ?」
すとん。
目の前が、真っ赤になった。
「カム!」
「カミーユ!」
「お嬢っ!」
「嬢様ぁぁっ!」
一斉に、四方八方から降り注いでくる声。
カミーユはうっすらと目を開けた。
マクスの疲れ切った、それなのに幸せそうな顔。
その後ろに、大泣きしたジゼルと二匹の黒い子猫が見えた。
「カミーユ! やっと成功した! よかった、本当に良かった!」
ぎゅうぎゅうに抱きしめられて、息ができない。
何て苦しい、なんて茫漠とした幸福感。
マクスの暖かな腕の中で、カミーユは猫のように目を細めた。
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