魔力を失った悪魔令嬢
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第40話
ルエル公爵邸、カミーユの部屋。
底なし沼の泥の中からゆっくりと引き上げられるように、マクスはベッドの上で目を覚ました。
見慣れない天蓋が目に映る。
ここは、どこだ?
頭を左に向けると、左腕に重心がかかり鈍い痛みを感じた。
小さくうめいたその声を聴いて、誰かが話しかけてきた。
「お目覚めになりましたか」
若い女の声。
声のする右側を見ると、黒髪をおさげにした赤い目の少女が彼を無表情で覗き込んでいた。
「……」
彼が無言なのを見て、彼女は少し目を見開いた。
「ああ、この姿ではお目にかかったことがありませんでしたね。ここはカミーユ様のお部屋です」
「では、お前は夢魔か?」
「そうです。嬢様の二匹のうちの、賢いほうです」
「……どうして私はここに?」
「お忘れですか? フルカスどもと死闘の末に、気を失われたではありませんか」
「そうか……どれくらい眠っていた?」
「あれから八日経ちました」
「なっ、八日も? 彼女……カム、カミーユはどこに? 話したい」
人間のような喜怒哀楽など持ち合わせていないはずの夢魔は、悲し気に目を伏せた。
「——その前にあの日の前後のことから確認させてください。あなたには先に、魔塔に呼び戻されたときのことを教えていただきたいのですが」
「ああ、あの日は確か—―」
温室でカミーユとマクスが突然の襲撃を偶然にも受けたあと。
魔塔の最上階に呼び出されたマクスは、養い親の魔塔主からあることを聞いた。西の皇帝が魔術師たちを雇い、マクスの居場所をついに見つけ出してしまった。そして皇帝はマクスを暗殺する命令を下し、西帝国の暗殺団が魔塔に向かっているという。
そのうえ、皇帝は十年前に召喚した悪魔を再び召喚しようと試みた。だがバァルは召喚に応じず、代わりにそのしもべのフルカスが召喚に応じたのだ。皇帝は新たな悪魔にも、マクスを殺させるという契約を結んだ。
「私は……皇帝の第一皇子らしいから……」
マクスの苦し気な言葉に、リリアは微かにうなずいた。
「一連の流れを調べるうちに、それは我々も察知しましたよ」
マクスもうなずいて話を進めた。
人間の暗殺団だけではなく、地獄の騎士たちも――一度上空を通り過ぎたが—―自分を探しに来るだろう。マクスは魔塔主ジブネラに、自分はすぐに魔塔を発って暗殺団と地獄の騎士たちを国境を超える前に迎え撃つと告げた。
「お前には悪魔たちを食い止めることは無理だ、絶対に命を落とす、と言われた。確かにそうだと思ったが……魔塔を巻き込むわけにはいかなかった。カミーユも巻き込みたくはなかったし……」
「嬢様が止めても聞かない性格なのは、お気づきでしたか。だから詳しいことは何も言わずに去ったのですね」
マクスは淡い苦笑を口元に浮かべた。
「とにかく、地獄の騎士たちをこの国に向かうことから回避させることが最優先だと思った。だから急いで発つ必要があった」
ただの悪魔たちではない、地獄の騎士を複数相手にして勝つ自信はなかった。だから彼はジブネラに、いままで育ててくれた感謝を述べた。もう帰っては来られないことを前提とした、別れの挨拶をした。
「生きて帰れなくてもいいのかと訊かれて、それでいいと答えた。隠し育ててもらった恩を返せるし、お前たちの大切な主人のことも守れると思ったから」
「そうですね。嬢様は人間界では強いですが、それでも複数の地獄の騎士相手には、勝てない可能性のほうが大きいですから」
マクスは西へ向かった。そしてグラニエ領の西側の森の手前で五十騎ほどの暗殺団を見つけた。一時間もかからずに全員をしとめた。しかしその後からはおびただしい数の魔物が襲いかかってきた。
倒しても倒しても、つぎつぎと向かってくる。森の上空からどんどん押され、日が暮れるころには廃城の丘のあたりまで流されていた。
そして丘の上で、ついに地獄の騎士たちと対峙した、ということだった。
「おおかた、我々が予測した通りでした。あなたは丘で力尽きて、死を覚悟したでしょう? それをウァラクの背に乗った嬢様が気づいて、ウァラクに地獄の騎士たちを焼き殺せと命じたんです」
黒いドラゴンは闇に紛れて悪魔たちにさえも目視しづらかった。その背にはカミーユとリリアが乗っていたという。マクスを今にもしとめようとするフルカスを見て、カミーユはウァラクに命じて火炎を放射させた。
空から降ってきた炎は、油断していた地獄の騎士たちにもろに襲い掛かった。
だがその程度では彼らを完全に倒すことはできない。リリアの制止も耳に届かず、カミーユは闇に溶ける赤い翼ではるか上空のウァラクの背から、マクスが倒れている地上へと矢のように降り立った。
マクスが気を失うと、カミーユは「報復」を始めた。
彼女はウァラクの火炎で動きが鈍っていた悪魔たちに、領地全体が地響くほどの特大級の雷をお見舞いした。一撃でフルカス達は塵と化してしまった。覚醒したカミーユの膨大な魔力を目の当たりにしたウァラクとリリアは、情けないことにぶるぶると震えてしまった。
「どうやら嬢様はあなたの腕と脚からの流血を見て、怒りを制御できなくなってしまったみたいでした。我々も制止しようとしたけど、下手に近づくと塵にされそうでめちゃ怖かったんですよ。ついでに言うと、丘の上の廃城はその衝撃ですべて崩れ落ちてがれきの山になっちゃいました」
初めはあっけに取られていたマクスは、リリアの疲れ切った顔で語られるカミーユの大荒れの状態を聞いて、力なくふっと笑ってしまった。
リリアは首を横に振りながらため息をついた。
「笑い事じゃありませんよ。それだけでは済まなかったんですから」
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