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第35話

「なに……? 一体、何がどうしちゃったの? あなたから、つ、翼が……」


あわあわと動揺するジゼルの背後に回り、リリアが扉を閉めた。


 ダークレッドの大きな翼を背に付けて宙に浮きあがり発光しているカミーユは、ジゼルを見て肩をすくめた。


「私にもよくわからないが、今は体中に何かの力がみなぎっている気がする」


「あなた……半魔だって言ってたでしょう? でも、半分天使だったの?」


「そうではないが、そうでもあるのかもしれない」


「どういうこと?」


 肩をすくめるカミーユの代わりにウァラクがジゼルの問いに答える。



「お父上のアスタロト様はもとは天界にいらっしゃったからだよ。いわるる、堕天使ってやつだから、先祖返りかなんかでその性質がお嬢に現れたのかもしれないな」


「先祖返り……?」


「今までの何千というアスタロト様のお子がたの誰一人にも現れなかったのに。やはり悪魔としての要素が足りないことは事実でした。その代わりに堕天使の要素がこんなにも顕著に現れるとは」


 ふう、とリリアがため息をついた。


「どうして突然、そんな姿になったの?」


「さあ。今少し前に突然こうなった」


「覚醒したんでしょうね。普通、悪魔は十二、三歳くらいで覚醒するんですよ。でも嬢様がいままで覚醒しなかったのは、人間になるのか悪魔になるのかの二択ではなく、天使の要素がその二つのどちらかに傾くことを邪魔していたからなのかもしれないです」


「覚醒か。今更だな」


「しないよりは良くないか? まさかお嬢が、堕天使こっちだとは思わかなかったけどな」


「こうなると私はもう魔界へは帰れないのだろうか?」


「いや? そんなことはないと思うよ。もと堕天使はお嬢のお父上をはじめたくさんいるし、地獄の天使たちだっているしね」


「ええ? 地獄にも天使がいるの?」


「いるよ。天国にだって悪魔はいるし」


「なんか……そうなると定義が難しいわね……って、いや、そう言うことじゃなくて。カム、それ、ずっとそのままになるの?」


 ジゼルがカミーユの翼を差して首をかしげた。カミーユは首をすくめる。


「お嬢、とりあえず眩しいから。全部いったん引っ込めて。念じればいいだけだから」


 ウァラクがひらひらと左手を振った。リリアもうなずく。


「そうか。では」



 カミーユが全身から発していた光はだんだんと消え、大きなダークレッドの翼も幻のように消えた。


「念じればまた出てくるはずです」


 リリアの言葉にカミーユはうなずいた。


「なるほど、お前たちは普段こうして姿を変えているんだな。ひとつ、勉強になった」





 空にはまだ灰色の雲が低く厚く立ち込めていて、時折その隙間から雷光が洩れてくる。


 お茶を飲みながら、カミーユはマクスのことについてジゼルに話した。

 

 自分がお妃教育で城に軟禁状態だった間にカミーユに起こった出来事を聞いて、ジゼルは大きなため息をついて天井を見上げた。何を言えばよいのか思い浮かばずにしばし天井のあちこちに視線をさまよわせ逡巡すると、彼女は目の前に男装で座るカミーユに視線を落とした。


「はあ……それであなたは彼を助けに行きたくて、覚醒? しちゃったってことね。カム、そんなにあの魔術師のことが好きなのね……」


 カミーユはきょとんとして首をかしげる。


「好き?」


「ええ。彼のこと、気になるでしょう? 心配だから、行きたいんでしょう?」


「まあ、気になるのは事実だな。心配? よくわからないが」


「ああ、そうかもね。誰かを特別に心配したり、思いやったり。そういうのは、すごく人間らしい感情だから」


「人間らしい? 憎しみとか嫉妬とか殺意とかのほうが、人間らしいが」


「それだけじゃないの。誰かを大切に思うことも、人間らしい感情なの。きっとあなたにとって、自分よりも弱い存在を大切に思うことは、人間界に来て初めて知った感情なのかもね」


「私が、ジスに対する感情と一緒か?」


「うーん。同じようなものではあるけど、彼に対しては違うんじゃないかな?」


「どう違う?」


 カミーユは理解できずに眉根を寄せる。二匹の悪魔は今は二匹の黒い子猫の姿となって、「出発」のために魔力を温存し、ベッドの上で丸くなって眠っている。


 ジゼルは困惑の苦笑を浮かべた。


「なんて説明したらいいかな……私もこの手のことに関しては、アドバイスできるほどじゃないし……そうだ、たとえばね、私はカムが大好き。ずっと一緒にいられたらすごく嬉しい。あなたは無口なほうだけど、一緒にいると安心するし、楽しい。あなたはたったひとりの私の大切な、愛すべきいとこなの」


「愛?」


「そうよ。あなたを好きなのは、おじいさまやおばあさま、両親を好きなことと同じなの。そして小さなころからずっと一緒だったセヴィお兄様たちのことも好き。アレット様も性格に多少の難はあるけれど好き。それは友達の好き。それから、ビーお兄様のことは、胸が苦しくなるほど好き」


「ええ? 苦しくなるほど、好き? 苦しいのに、好きなのか?」


「そうよ。殿下のことを思うと、胸がいっぱいになって、一緒にいるとどきどきしてすごく幸せで、ふわふわと宙に浮いているような感じがして、それで胸が苦しくなって泣きそうになるの」


 カミーユは首をかしげる。


「言っているいる意味が、よく分からないな。なぜ嬉しいのに、苦しくて泣きそうになる?」



 ジゼルはくすっと笑う。


「それが家族や友達とは違う、好きってことよ。私にはその魔術師の正体は見えないからよくわからないけど、あなたには見えるんでしょう? 彼を見ると、ずっと見ていたいと思わない? ずっと一緒にいたいと思わない?」


「……」


 カミーユが考え込んだ。私が? 確かに、マクスの瞳は美しいから、ずっと見ていたくなる。彼の声は耳に心地いいし、あの銀の雨のような髪に指を通すのも悪くない。


「だからあなたは、あの子たちの反対を押し切ってでも彼に会いに行こうとしていたんでしょう? あなたが好きな大悪魔に対する憧れではなく、その悪魔に似ているからでもなく、彼自身を、好きってことでしょう?」


「……」


 カミーユは呆然と目の前のいとこを見つめた。


 ほかの気の強い令嬢たちの標的にされないように、腹黒い令嬢に利用され、地味な格好でぼんやりとした印象だった数か月前のジゼルは、今や愛し愛される自信に満ち溢れ、自分の魅力を最大限に引き出す美しさを身に着けて輝いている。


「私が、マクスを……好き……?」


 確かに、嫌いではない。確かに、気になる。初めは、ベリアルにそっくりだから正体を知りたくて追い回した。でも実際に会って行動を共にしたり話をしたりすると、いつの間にか彼自身に興味を抱いた。


「私が……」



 ゴツン。


「あっ! カム?!」


 ジゼルが驚いて立ち上がる。


 カミーユはテーブルに思い切り額を打ちつけた。



 私が、マクスを、好き?



 私が……?

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