覚醒

第33話

カミーユはひゅっと悲鳴を飲み込みながら目を覚ました。


 夢の中での魔塔主との邂逅はほんの数分のように感じていたのに、カーテンの隙間からは朝日が洩れて見える。彼女は視線を投げてカーテンを開けた。


 燦燦と降り注ぐ朝の光を腕を翳して遮り、目を細める。


 そして上半身を起こし、深いため息をつく。




『もう、あの子はここに戻ることはないだろう』




 夢の中で魔塔主ジブネラはそう言った。


 グリ—―いや、マクスが「するべきこと」とは?


 もう戻らないとは、温室で別れてから一体どこに行ったというのか。




「——そんな」


 彼女の唇が、震えながら動く。


「そんなの……いやだ……」



 まだ、話の途中だった。


 自分の正体は話したが、マクスの正体はまだ聞いていない。


 彼は何者なのか。


 カミーユと似たようなものだと言っていたが……



「嬢様っ! 大変、大変ですよっ!」


 ノックもなしにドアが勢い良く開けられる。


 肩で息をする少女メイド姿のリリアが飛び込んできてベッドの上にぽんと飛び乗った。


「なんだ、何が大変だって?」


 寝乱れた髪をかき上げながら、カミーユはため息混じりに夢魔に問いかけた。


「昨日のあの炎の矢。あれを放ったモノが地獄の騎士だって、ウァラクが言ってたでしょう? そいつの魔力の痕跡を、魔塔主の気配が消えた後にウァラクがたどってみたんです」


「ああ、あれか」


「一騎じゃなかったんです」


「それがどうした?」


 まだカミーユが寝ぼけていると思ったのか、反応の薄さに夢魔は苛立って頭をぶんぶんと振った。彼女の長い黒髪のおさげがロープのように宙を舞い、カミーユは顎をあげてそれらをよけた。


「もおぉっ! 地獄の騎士はっ! 五騎! そいつらは大小さまざまな魔物や低級の邪鬼たちを3000匹くらい引き連れて、この国より西のほうへぞくぞくと向かって行ったらしいんです! し・か・も! その一群の先頭には、刈除公かいじょこうがいたらしいんですよ!」


「えっ?」


 カミーユは眉をひそめた。


「刈除公……フルカス?」


「そうです! 炎のたてがみの青い軍馬に乗って、大鎌を抱えていたんですって!」


「どうしてそんな凶暴な奴が、人間界で軍隊を引き連れている?」



 噂には、聞いたことがあった。刈除公フルカス。


 骨と皮ばかりに痩せ細った青黒い艶やかな肌に、飛び出た血走る眼球。長い白髪をなびかせて二十もの軍隊を率いる、地獄の騎士のひとり。悪魔たちが恐れるほど残忍で、契約した人間は望みがかなうと彼によって大鎌とツメで細かく切り刻まれて、彼の眷族の下級魔物たちの餌にされる。


 彼が大鎌を振るった後には、何も残らない……それが二つ名の由来だった。



 下級の魔物たちもいるとはいえ、3000匹も空を飛んで行ったら空が真っ黒になるのは必至だ。まるで宙に浮きうごめくアリの大群のようだろう。


「それが……ウァラクの使い魔の調べによると、西の帝国の皇帝がフルカスを召喚したらしいんです」


「西の帝国の皇帝? それは二十年前のこの辺り一帯の戦争でどさくさに紛れて父親と兄弟たちを皆殺しにいて帝位についた奴のことか?」


「そうです! バァルが手伝ったと言われてますよね。その簒奪さんだつ皇帝が自分の子を殺すために、今回、フルカスを召喚したみたいです」


「どうして自分の子を?」


「詳しくは調査中です」


「そうか……」




 人間界に来る前に、カミーユは家庭教師のメフィストフェレスから、ジスカール王国と周辺国の歴史や事情について学んできた。


 西の帝国。


 二十年前の大規模な大陸戦争の際に、第三皇子がどさくさに紛れて父皇帝と皇后、皇妃たち、兄妹たちを皆殺しにして皇位についた事件があったらしい。第三皇子はバァルを魔術師に召喚させると、皇帝になったら魂を差し出すという条件で皇位簒奪を成功させた。人間の魂など悪魔には大した価値はないが、皇帝の魂ともなれば多くの人間の命を犠牲にしたという付加価値がつく。


 バァルはサタンに継ぐ力を持つと言われている大悪魔で、別名をベルゼブブ、ベルゼビュートなどとして知られている。バァルは数千年前に地獄の騎士を差し向けて、ベリアルを殺したことがあった。殺した、と言っても悪魔は死なないので一時自由を奪われて捕縛されていたようなものだが。


 地獄の騎士たちがバァルの眷族であることは、カミーユも知っていた。



「おじょ、おじょ、お嬢ぉぉぉぉぉぉぉっ!」


 バルコニーに出るための大窓が突如乱暴に左右に開かれる。


 少年騎士姿のウァラクがくるりと一回転してカーペットの上を転がると、あわあわと慌てながらしゃべり始めた。


「たいへんだ! あの魔術師がどこに行ったのか探ってみたんだ。魔塔の奴らはもちろん誰も知るわけないだろう? でも魔塔主も教えてくれるわけがない。だから! 俺は! あの人間にしては強大な魔術の痕跡を使い魔たちにたどらせたんだよ。そしたら! はっきりとはわからないが、なんとなくどこに行ったのかを突き止めたんだよ」


 悪魔と言えど、急ぎ過ぎると息が切れてくるらしい。カミーユはカーペットの上に座り込み肩で息をするウァラクを覗き込んで訊ねた。

 

「どこへ行ったんだ?」


「国外なのは、間違いない。しかも……西の方角だ」


「西? では今回は彼は、フルカスを止めるよう魔塔主に命じられて西の帝国に向かったのか?」


 カミーユの言葉を聞いてウァラクははっと言葉を飲み込んだ。そして主をじっと見つめると、青く冷たい瞳を見開いて言った。


「いや……そうだったら、なんか納得がいったさ。でもさ。違うんだよ」


「何が違う?」


 カミーユはいぶかし気に首をかしげた。


刈除公かいじょこうの軍隊は西の帝国の端、この国ジスカールとの境に駐屯した。あの魔術師が、そこへ向かった後に……皇帝の命令で」


「えっ?」




 カミーユは眉をひそめた。リリアは赤い瞳を左右に動かしながら何かを考えて、そしてつぶやいた。


「なんか……それ、嫌な感じがします。あの銀の魔術師のいるところに地獄の騎士たちが向かったっていうことでしょう?」


 リリアは視線をウァラクに流した。ウァラクは彼女の視線を受けてうなずいてカミーユに言った。


「そうだよ。刈除公はバァルの子分で、バァルと地獄の騎士たちはベリアル様にとっては因縁の相手だろ? あの魔術師は人間ながら、恐ろしいほどベリアル様に似ている……となれば、すべてつながるんじゃない?」



「まさか……」


 カミーユは大きく目を見開いて息をのんだ。

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