誘拐と暗殺未遂

第24話

両方の肺いっぱいに悲鳴を飲み込んだカミーユは、グリに必死にしがみついていることに気づいた。


 ひんやりとした冷気が立ち込める湿った石壁のらせん階段の途中。


 先ほど、ドラゴンのウァラクの背から真っ逆さまに落下していたはず。


 顔を上げるとすぐ鼻先で、金色がちりばめられた青緑色の瞳が彼女を見つめていた。


「……」


 カミーユはまた、呼吸するのも忘れてグリの瞳に見入った。「魅了」を使っている気配はないのに……目が離せない。


「……あの」


 美貌の魔術師は少し困ったような微かな笑みを浮かべて首をかしげた。さらりと、春のやわらかな雨のような銀の髪が彼の左目の上にはらりと落ちてくる。美しい瞳を遮る銀糸を、カミーユはそっと華奢な指先でグリの耳の後ろに梳いた。


 グリが一瞬瞳孔を大きく開いて、あわてて目を伏せる。長い銀色のまつげが多色マルチカラーサファイアのような瞳に翳りを作る。銀の髪の下で彼の耳がほのかに熱を上げて赤らんだ。


 視線を伏せたまま彼は気まずそうに、長い指でほの暗い階段の下を指さす。


「行かないと。令嬢はたぶん、この下にいらっしゃると思うので……」


 彼は低い声を潜めてぼそぼそと囁く。カミーユははっと我に返る。


「あ! ああ、では……」



 グリに素早く背を向けて、カミーユは石段をひとつ降りる。石段の表面が経年で磨り減っていて感覚が狂い、思いがけず足を踏み外して前のめりになった瞬間、ふわりと後ろに引き戻された。


「危ない」


 濃い紫のローブの中に抱きとめられて、カミーユは陶磁器の人形のように固まった。魔界にいるときも人間界に来てからも、血縁以外の誰かに抱きしめられたことなどたとえアクシデントであっても一度もなかった。もっとも、血縁であってもめったになかったけれど。


「すまない……」


 カミーユはうつむいてぼそぼそとつぶやいた。


 魔術師はそっと離れると、彼女の右手を取って先に段を降り始めた。


「足元に気を付けて」


 大きな手に包まれた自分の手を見つめて、カミーユは今までに一度も感じたことのない不可解な感情に狼狽した。


 不快ではない。


 それなのに胸がもやっとする。嬉しいような困ったような、もう一言では表せないし自分でもそれがどんな感情なのかもわからない感情に支配される。


 ――やはりこれは「魅了」なのか?



 不可視の魔術を自分とカミーユにかけて、薄暗くひんやりした地下の通路をグリは進んでいく。


 人の気配はない。カミーユは意識を集中する。石壁の間から入り込む隙間風、水滴が石床に滴る音。暗がりを移動していくネズミたちの心臓の音、蜘蛛が壁を這う足音。


「——通路の右奥。はぁ。安定した心音。ジスだ」


 安堵して息をつくカミーユを見て、魔術師は彼女の手を取ったまま微かにうなずいて言った。

 

「では、令嬢のことを強く思い浮かべて。彼女に会いたいと願うんだ」


「あっ!」



 ぱちん、と彼が指を鳴らすと、二人は鉄格子の内側の殺風景で小さな部屋に立っていた。


 カミーユは狭い部屋の中を見回して、古い石台に藁を敷いて古びた布をかぶせただけの、粗末なベッドの上に横たわるジゼルを見つけた。


「ジス!」


 走り寄ると、手首の拘束と目隠しの布を取って従姉妹を抱き起す。気を失っているらしいことを確認してグリを振りかえりうなずいた。彼もうなずき返した。


「ジス、目を覚ませ。ジス?」


 ぴたぴたと頬を優しく叩く。するとジゼルはぼんやりと目を覚ました。


「えっ……? カム?」


「ジス! けがは? どこか痛むか? 何をされた?」


 カミーユに支えられてジゼルは上半身を起こした。


「あ……私、散歩していて……サビーナ嬢がさらわれそうなところを偶然見てしまって……刺激臭のする布で口をふさがれて……ここは、どこ?」


「私たちが来たからもう大丈夫だ。お前はシャイエ派の貴族の邸に連れてこられた」


「私、たち? リリアとウァラクじゃ……」


 ジゼルは鉄格子に寄りかかっている、濃い紫のローブの男に気が付いた。不思議と、顔が認識できない。


「魔術師? もしかして、魔塔の……」


 グリはその場で略式の礼を取り軽く頭を下げる。


「偶然、あなたが何者かにさらわれたことを知り、第一王子のご命令で救出に参りました」


「殿下の? え? いったい、何のこと……」


「その点は私も聞きたいが、詳しくはここを出てからだ。立てるか?」


 カミーユの問いかけに軽くうなずき、ジゼルはあることに気づいて従姉妹の腕に縋りついた。


「カム、ねぇ、サビーナ嬢を探さないと。彼女も同じようにつかまっているはずよ」


 真剣に詰め寄るジゼルを理解できないというように困惑顔で見つめて、カミーユは首をかしげた。


「桃髪令嬢のことなど、どうでもいいだろう。むしろこれを機にいなくなれば、お前にとって好都合じゃないか?」


 ジゼルは驚いてうろたえる。


「カム? どうしてそう思うの? あなたに良心はないの?」


「あるとしても、彼女に対しては持ち合わせていない」


 ジゼルははっと目を見開いてからため息をついた。


「ああ、半魔だから、善悪の基準が違うのね!」



 言い合う二人を少し離れたところで傍観していたグリは、呆れたため息をつきながら口をはさんだ。


「——早くここから去るほうがいいと思うが」


 カミーユとジゼルがグリを振り返る。


「詳しいことは後回しで。子爵令嬢のことは心配無用だ」


「どうして、あなたまでそんなことを……彼女だけ置いて行けないわ」


 泣きそうに声を震わせるジゼルに、グリはため息をついて床の隅に置かれたたらいの水を指し示した。


「実際に見れば納得するか? この水を覗いてみるとよい」


「?」


 ジゼルは首をかしげたが、カミーユはああ、と呟いて納得した。


「覗いてみろ、ジス。水鏡の魔法だ」


 カミーユに促されてジゼルは立ち上がり、たらいの水を覗き込んだ。カミーユとグリもその上から覗き込む。




 ゆらゆらと揺れた水面から水紋が消えると、そこには数人の男たちがぼんやりと映し出され、やがて鮮明に見えだした。


 幕舎のそばでサビーナをさらおうとしていた男たちだ。彼らがジゼルのことも連れ去ったに違いない。


「——大ごとになったな。まさか、伯爵令嬢まで連れてきちまうとは」


「ああ。今頃は大騒ぎになっているだろうよ」


「あのご令嬢は、どうします? 我々は顔を見られています。まずいことになりますよ」


「ただの伯爵令嬢じゃねぇぞ。父親が爵位を継げば、国一番の公爵家の令嬢になるからな」


 彼らはどうやら偶然連れてきてしまったジゼルのことについて話しているようだ。


「まさか、殺すわけにもいかねぇよな」


「何言ってるの? 顔を見られたのなら、始末するべきじゃない?」



 ふいに聞き慣れたソプラノの声が聞こえて、ジゼルはびく、と肩を震わせた。


「そうねぇ……あの子、ちょっと邪魔だったからこの際死んでもらうのもいいかもね。あんたたちは二人の令嬢をさらってきた。身代金目的だけど、令嬢たちはさらってすぐに手足を縛って川に投げ捨てたってことにしましょうか」


 物騒な計画を楽しげに話すその声は、あははと高笑いする。


「あの令嬢と、サビーナ様を、ですか?」


 誰かがそう尋ねると、邪悪な提案をした声の主は鼻で笑い飛ばす。


「バカかお前は。そう見せかけて、実際に川に捨てるのはあいつだけだよ。私はロープがほどけで自力で岸にたどり着いたことにして、あとで幕舎に戻るわ。あはは。邪魔者が消えて、第一王子の同情も買えて、一石二鳥だわ」



「……」


 くすくすと楽しそうに笑いながら残酷な思いつきを話すサビーナが水鏡に映る。その邪悪な表情は、今までに見たことのないものだった。


 ジゼルはあまりの衝撃に言葉を失って青ざめた。


「ほら。お前は彼女を助けようというけど、あっちはお前を殺そうとしている」


 カミーユがそっとジゼルにささやく。


「直接会ったことはないが、あの令嬢は残忍な性格だ。生みの母親も育った修道院のシスターたちも、自分の過去を知る者たちはほとんど彼女が毒殺したと聞いた」


 グリが淡々と言う。


「やはりな。あの女のほうがよほど悪魔らしいな」


 呆れるカミーユはそっとジゼルの肩に手を置いた。


「なぁ。川に捨てて殺される前に、もうここを去ろう」


 グリもうなずいて同意する。


「彼女は本当にやると思う。偽物を置いて早く逃げよう」


 カミーユはグリを見る。


「そう言えばさっき、第一王子の命令がなんとかと言っていたな?」


「まぁ、詳しくはあとで。私もあなたに訊きたいことがたくさん出てきた」



 グリの言葉にうなずくと、カミーユはふ、と邪悪な笑みを浮かべた。


「ではそうしよう。殺される前に、な」

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