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第23話
グリの放った魔力の雷撃を食らったカルキュドリの死体は、風に吹かれると塵と化して消え去った。
カミーユはリリアの腕の中から抜け出して一歩前へ慎重に足を踏み出した。
リリアもウァラクも一歩も動くことができずに固まったまま驚愕と動揺で青ざめている。
「うそでしょう……?」
「まじかよ……」
数百年生きている二匹でさえ、本能的な恐怖で体が小刻みに震えている。
怒りと驚愕と困惑の浮かんだ美しい双眸を見つめ、カミーユはどんな言葉を発したらよいのか逡巡していた。
「私は……魔塔主にあなたのことを訊ねたが、教えてもらえなかった」
視線をそらさずにカミーユは呟いた。
「でもどうしても、もう一度会って訊きたいことがあったから……」
魔術師の美しい眉間に縦ジワが浮かんだ。
「は? 私を呼び出すために、魔界の魔獣を召喚したと? この前の囚人の時といい、どうやらあなたはただの公爵令嬢ではいらっしゃらないようだ」
「あなたも、普通の人間の魔術師ではないのだろう? その魔力……悪魔たちも怯えている……」
カミーユはちらりとリリアとウァラクに視線を向けた。それをたどって二匹を見ると、魔術師グリははっと目を見開いてカミーユを見た。
「悪魔を召喚しているのか? あなたからも普通じゃない魔力の強さを感じるが……」
濃淡のブルーが重なり中心に琥珀がちりばめられたえもいわれぬ美しい瞳を見つめ返し、グリは苦し気にかすれた声で静かに言う。
二人は見つめ合ったまま、互いから目が離せない。
「……嬢様っ! あの、ちょっと……お取込み中、申し訳ないのですけど」
背後から苦し気なリリアの遠慮がちな声がする。
「大変です、ジゼル様が……何者かにさらわれたようです!」
カミーユはリリアを振り返る。
「えっ?」
「お嬢様につけておいたあたしの使い魔が、ジゼル様が例の性悪子爵令嬢と一緒に袋詰めにされて、数人の男たちに川沿いの道のほうに騎馬で連れていかれたって!」
リリアの肩にはカラスが止まっている。それが彼女の使い魔というのは容易にわかる。
カミーユはグリを振り返り、彼のローブの襟元を両手でつかんだ。
「お願いだ、あの者たちの呪縛を解いてくれ。従姉妹がさらわれた、助けに行かねば!」
グリはカミーユの手首をそっとつかんで自分のローブから離すと、深いため息をついた。
「——どうやらあなたの従姉妹殿は、意図せず巻き込まれたようだ。川沿いのほうへ消えたのなら、おそらくカイユ男爵夫人の高台の別邸に連れ去られたはずだ」
「は? なぜわかる? カイユ男爵夫人とは何者だ?」
「落ち着いて。ベルジュロン子爵令嬢と一緒にさらわれたのなら、あなたの従姉妹殿は必ずそこにいる。カイユ男爵夫人は、シャイエ侯爵の愛人だから」
「では、今日の王太子暗殺計画に関係していると?」
「ああ、暗殺から注意をそらすためだろう。川沿いの絶壁で、地下は牢獄になっている。案内しよう」
「待て。あなたもシャイエ派なのだろう? 私を騙すつもりか?」
カミーユが食って掛かると、グリはふと口元に苦笑を浮かべた。
「さらわれたのはあなたの従姉妹のジゼル嬢だろう? ならばなんとしても救出せねばならない。何かあればあのかたをお守りせよと、未来の王の命だ」
「一体、どういう……?」
困惑するカミーユを人差し指を立てて制し、グリは指を鳴らした。
「あっ!」
「おっ!」
リリアとウァラクの呪縛が解かれた。喜ぶ暇もなくウァラクは巨大な黒いドラゴンに姿を変える。
「——詳しい話は救出のあとで」
グリはカミーユを抱え、一瞬のうちにウァラクの背に飛び乗った。
「リリア、お前は第一王子にジスがさらわれたことを報告して、静かに待つように伝えて。暗殺されそうなら彼を守っておくように」
「はい!」
夢魔は返事をするとすぐに猫の姿になって俊敏に姿を消した。
ウァラクは首の付け根にカミーユとグリを乗せたまま木々をなぎ倒しながら宙に舞い上がる。黒いドラゴンとなったウァラクの背びれを掴み、風圧にさらわれないようにカミーユを支え、グリは羽ばたきに負けない大声で指示を出す。
「北西の方角へ! 川を見下ろす高台にある古い城塞だ!」
巨大なコウモリのような黒い翼が轟音を立てながら風を切る。
カミーユの思考は千々に乱れてまとまりがつかなくなっていた。
今、自分の背後にいる男の正体について。人間とは思えないほどの強力な魔力。大悪魔並みの稲妻を操り、人間界にはいないはずの魔獣を一撃で
敵なのか、味方なのか。人間なのか、それとも自分のような、混血なのか……
濃い青の雷光は、上級悪魔の魔力を示す。半魔の半人前のカミーユは、まだ青白い炎しか操れていない。つまりグリは、カミーユよりもはるかに強い魔力を持っているということになる。
彼女は薄い下唇をかみしめた。ここ数週間、ずっと会いたいと思っていた魔術師がすぐ後ろにいるのに、今は彼にかまけている暇はない。
第二王子には邪魔はしないと言ったが、シャイエ派がジゼルをさらったとなれば話は別だ。もしも彼女を手荒く扱って怪我でもさせていたら、貴族だろうがごろつきだろうが全員殺してやる。
「——あそこだ」
ごうごうとうなる風の中でも、なぜかその低い声はカミーユの耳にはっきりと届いた。声までもがベリアルにそっくりだ。カミーユはびくりと身を縮める。
長い指が指し示したほうを見下ろす。樹海の中に大蛇のように緩くうねる川が見える。数キロ続く断崖の、S字の緩やかな内側、川を見下ろす黒っぽい石造りの建物が見えた。
ウァラクは城塞のはるか上空を旋回してカミーユの指示を待つ。
「ウァラク、お前は第一王子にこの場所を知らせて、ジスを乗せる馬車を連れてこい」
カミーユの言葉にウァラクは思念で応える。
【お嬢だけ残していけないっしょ! 得体のしれない魔術師と一緒なんだし!】
「心配するな。お前の主は必ず守るから」
グリは静かに言って、ドラゴン姿のウァラクのうろこに覆われた首元をぽんぽんと叩いた。
【っ! なんだよ、思念を読めるのか?】
「普通に聴こえてくるだけだ」
グリは苦笑交じりに応えた。
「では、行こうか」
「えっ? あっ!」
背後からカミーユのウエストに手を回して彼女をしっかりととらえると、魔塔の謎の上級魔術師はドラゴンのウァラクの背から空中にふわりとダイブした。あまりにも突然のことだったので、カミーユは間抜けな悲鳴を上げた。
そして主が落下して行くのを見て、言葉にならないドラゴンの咆哮があたり一帯に響き渡った。
【うわっ! おじょぉぉぉぉおぉぉぉぉぉおぉぉぉっっ――!!】
そのせいで、森の上空には黒い雲が立ち込めて南中にも達していない太陽がかき消された。遠くから雷鳴がとどろき、城塞の上で稲妻が細かくぴりぴりと光りだす。
空中を数メートルほど急速降下していた魔術師と令嬢の姿は、いつの間にか跡形もなく消え去っていた。
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