魔獣召喚と魔塔の魔術師

第21話

狩猟大会の朝が来た。



 飾りの少ない屋外用の動きやすいドレスを身にまとったジゼルは、公爵邸の玄関ホールでポカンと口を開けて従姉妹とその従者たちを見つめた。


 カミーユは長い銀の髪を青灰色のサテンのリボンで後ろにひとつに括り、ルエル公爵家の騎士団のネイビーのテールコートに白のトラウザーズ、黒のロングブーツという姿。剣帯ソードベルトには大きなサファイアがはめ込まれた銀細工の美しいレイピアをさしている。


 普段のドレス姿はいかにも令嬢然として美しいが、男装もかぐわしい色香を放っている。男装だが、男には見えない。


 さらに、同じ格好で長剣を佩いたウァラクが並ぶと、どちらが少年でどちらが少女なのかどちらも少年もしくはどちらも少女なのか、判別しがたいなまめかしさが漂う。


 そしてふたりの背後にはひときわすらりと長身の妖艶な美女が、これまた同じ騎士服でルビーのはめ込まれた長剣を佩き矢筒クィヴァーと弓を背負い、長い黒髪を後ろでひとつに編んでいる。


 三人とも「魅了」というものは使っていないだろうが、十分に見るものを惑わす魔力があると思う。現に、使用人たちは男女問わずみんな彼らに見とれてしまって、ぼんやりと佇んでいる。


「私たちは本日は騎馬で向かうので、お前だけ馬車で行け」


「あなた、まさか軍馬に乗れるの?」


「無論」


 カミーユは余裕の笑みを口元に浮かべる。なんだか騎士の制服姿の彼女は凛々しくて、ジゼルはつい顔を赤らめて恥ずかしさで目をそらしてしまった。



 ジゼルの乗る馬車に並んで馬を歩かせながら、カミーユは狩場に着いてからのことを彼女に説明する。


「当家から参加する騎士団は、私たち三人のみ。私たちは一般の狩場に入ったように見せかけて、こっそり魔獣の狩場のゲートに入る」


「はぁ、なるほど。それであなたたちは何をし終えたら戻ってくるの?」


「そうだな。やってみないと何がどうなるかはわからない」


「カム。実際には、危ないことはないの?」


「心配ない。あの二匹もいるから、魔獣の狩場にいる人間たちを害することはない」


「いえ、あなたが危なくはないのかということよ」


「なんだ。それは全く心配ない。それでお前のほうだが。幕舎の中ではなるべく、サビーナを監視しておいてほしい。ただし、見ているだけでいい。もし彼女が途中でどこかに姿を消しても、決して追いかけようとは思うな」


「わかった。幕舎の中のお茶会は、またなにかひと波乱ありそうね。でも彼女が案外強いことはわかったから、私も気が楽だわ」


「おとなしく幕舎の中で令嬢たちの勢力争いを鑑賞していれば、そのうちお前に獲物をささげに行ってやる」


「えっ、そんな、目立ったら困るわ」


「自分の家門の令嬢に獲物をささげることについては、誰も文句は言えないだろう。そんなに心配するほどのことでもない」




 会場となるブノワの森は、王宮の西側に広がる王の管轄する狩猟場である。


 およそ四十キロ平方メートルほどの原生林で、最西端は国境の山脈のふもとまで続く。年に一度の狩猟大会は、森の役半分までに国家魔術師たちが結界を張り、その中で開催される。


 まず森の入り口の野原に、白い幕舎がいくつか立てられる。即席の厩舎や場所止め、使用人たちの休憩所、小川を利用した手洗い所、調理場などもつくられる。この幕舎が大会事務所であり、狩りに出ない貴族たちの休憩所、待合所となる。また、開催前の王族のスピーチや狩りのあとの表彰式も、この幕舎の前で行われる。


 表彰式のあとは表彰後にはウサギやシカ、イノシシなのど獲物を調理して、野外晩餐会が行われる。


 そしてこの幕舎から見て森の正面に、魔塔の魔術師たちによってふたつのゲートが作られる。


 左側のゲートは一般の狩猟場への入り口で、結界の内部は手前がウサギやキツネなどの小動物がいる初級エリア、奥がクマやオオカミのいる上級エリアとなっている。年少者、女性、あまり狩りが得意ではない参加者たちは初級エリアで狩りを楽しむ。


 もし万が一、上級エリアに足を踏み入れてしまった場合は警告音が鳴るように設定されている。警告音が鳴った時に決まった言葉を発すれば上級エリアへの意図的な立ち入りとみなされ、警告音は鳴りやむ。


 右側のゲートは養殖魔獣の狩場への入り口だ。こちらは小型魔獣エリア、中型魔獣エリア、大型魔獣エリアと三段階に分けられている。いずれも魔塔で人工的に繁殖された魔獣たちで、本来毒を持つものは毒を持たず、キバやツメの鋭い獰猛な肉食系の種属も抜かされている。


 ふたつの狩場は常に魔塔の魔術師数名によって監視されていて、万が一何かあればすぐに対処される。


 

 カミーユたちと別れた後、ジゼルは令嬢たちの幕舎へ向かった。

 

 令嬢たち専用の幕舎は、森の入り口、つまり二種類の狩場に出入りするためのゲートに向かってよく見える位置にある。大会の趣旨の一部によれば、未来の花婿候補を物色するための特等席だといえる。早くも中では令嬢たちの楽しそうにはしゃぐ声が聞こえてくる。お目当ての騎士や令息が通りかかるたびに、きゃあきゃあと騒ぐ。


 ジゼルの参加は今年で三回目になる。十三歳の時から毎年ファビアンがウサギやキツネを義理でプレゼントしてくれるくらいで、これといって楽しめた年はない。


「ごきげんよう、レディ・アレット」


 ひときわ華やかな屋外用ドレスを身にまとったアレットは、いつもの取り巻きの令嬢たちに囲ま柄れて、とりわけ見晴らしがよい場所に席を陣取っている。ジゼルは彼女にお辞儀をした。


「ごきげんよう、レディ・ジゼル。噂で聞きましたが、レディ・カミーユは狩りに参加されるのですって?」


 扇子を仰ぎながらアレットが首をかしげる。ジゼルはこくりとうなずいた。


「はい、私が幼馴染のファビアン卿以外からはどなたからも獲物をプレゼントされないのは気の毒だから、プレゼントしてくれるのだそうです」


「まあ。うらやましい。私など実の兄からでさえも何も期待できませんのに」


「あら、セヴラン卿は毎年お母上の公爵夫人に獲物をささげておいでですものね」


「そうそう。第一王子殿下も王妃様にささげられますし、仕方ありませんわね」


 アレットの発言には、とりまき令嬢たちから忖度フォローがなされる。



 ジゼルはうすい愛想笑いを浮かべて末席に座る。幕舎に入ってまだ一、二分だが、もう疲れてきた。そっと小さなため息をついたとき、きゃああぁぁ、と悲鳴が上がるのを聴いてびくっと身を縮めた。


「あれはどなたですか? あんなすてきな騎士、初めてお見掛けします」


「なんて美しいかたなのでしょう!」


「あの制服は、ルエル公爵家ではありませんの?」


 好奇の視線が一斉にジゼルに向けられる。ルエル公爵家騎士団の出場者は三名のみ。全員、艶やかな青毛の大柄な馬に乗っている。ダークシルバーの髪をなびかせて、先頭のカミーユが通り過ぎると、令嬢たちからため息が漏れる。


「あら……あのひときわお美しいかたは、カミーユ様ですね」


「麗しい……殿方にはない魅力にあふれていらっしゃいますね」


「狩りなだけに……月の女神アルテミスのようですわ」


 その後、各家門の令息や騎士たちが次々と幕舎の前に集まってくる。アレットの兄でワトー公爵家のセヴラン、王弟エライユ公爵令息のノエルがカミーユに続く。これで三大公爵家がそろい、シャイエ侯爵家以下、上位の家門から入場してくる。お目当ての参加者が通るたびに、幕舎の中ではため息や悲鳴が飛び交う。


 そしてすべての家門が出そろうと、第二王子クリストフと王室第二騎士団が入り、最後には第一王子オーブリーと護衛騎士ジェレミー、彼の所属する王室第一騎士団数名が続いた。


 ふたりの王子たちは前方へ出ると王の両脇に立った。そして王からの開会の言葉が述べられる。王の言葉が終わるとほら貝が空高く鳴り響き、狩りが始まった。参加者たちは次々とゲートから狩場に入ってゆく。


 ほとんどの参加者たちが狩場に入ると、夫人たちの幕舎と令嬢たちの幕舎ではそれぞれお茶会が始まる。



 それは長い一日の始まりを意味する。



 お茶会が始まるとすぐに、アレットのとりまきの令嬢たちは下位の令嬢たちをいじめ始める。本人たちはアドバイスをしてあげているつもりなのだろうが、口調がきついし表現も嫌味に満ちている。あなたのドレスは地味すぎると派手すぎるとか、そのデザインは遅れているとかその色はもう流行っていないとか。




(どうでもいいことなのに。もし彼女たちのドレスが流行遅れなら、自分たちがかえって引き立つからむしろいいことじゃない?)




 ジゼルのドレスも野外用なので動きやすく装飾もあまりないのだが、地味なデザインであるから眼中にないのか、未来の筆頭公爵家の令嬢に恨みを買うことは避けたいのか、ジゼルに嫌味を言ってくる令嬢はいない。




(それでも、人がおとしめられているところに居合わせるのは、気分が悪いわ)




 最近はカミーユと一緒にいたから、嫌な思いをすることが全くなかったなと考える。


 ジゼルはそっと席を立つと、気分転換に幕舎の周りを散歩してみようと席を立った。




 各家門の侍従やほかの使用人たち用の幕舎のあたりを通りかかった時、積みあがった木箱の裏あたりに、ピンクブラウンの髪がちらりと動いたのが、ふと視界に入った。


「サビーナ嬢?」


 ジゼルは短い草を踏み、木箱のほうへ歩み寄る。先ほどの令嬢たちの幕舎には、まだ彼女の姿は見かけていなかった。


(確かに、彼女の髪の色だったわ)


「サビー……」


 木箱の裏側に回り込んだ時、ジゼルははっと息をのんだ。


 そこにはフードを目深にかぶったり顔の下半分を布で隠したりした五人の男たちが、サビーナの口を布でふさいで羽交い絞めにしていたのだ。


「んー! んんんーっ!」


 口元を覆われたサビーナは顔を真っ赤にしながら大きな目をさらに大きく見開いて、何かを訴えかけてくる。逃げろ、とでも言っていたのだろうか? あまりの恐怖に足がすくんで動けない。


「!」


 叫び声も出せないあまりの怖さに目を閉じると、次の瞬間、首元に激痛が走り目の前が真っ赤になったジゼルは、そこで意識を手放してしまった。

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