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第20話
「まあ、重要と言えば重要だな。万が一、大型の獰猛な魔獣が現れたら、そいつを倒そうとはせずに逃げること。それは私の獲物だから。魔獣部門の狩場の一番奥には誰も近づくなと言っておけばいい」
クリストフは五秒ほど、カミーユの言葉の意味を頭の中で反芻してからはっと灰色の目を大きくした。
「まさか、養殖魔獣の中にそういうやつを放とうというのか?」
「ああ。そうする時は、誰も周囲にいないことを確かめてからすることにしよう」
「いや、そういう問題じゃなくないか? いったい、きみの目的って……?」
「断言する。迷惑はかけない。だから安心して陰謀を妨害することに集中してくれていい」
「……」
クリストフはしばし呆然とする。
「殿下?」
ソファの後ろからファビアンが上半身をかたむけて彼の顔を覗き込む。
「クリス?」
ジゼルも首をかしげて、ローテーブルの向かい側から彼の様子を観察する。
カミーユは相変わらず人形のように澄ましている。
「……ふ、あははっ。いいね。なんか、惚れた。きみ、俺の妃にならない?」
ええええ? とジゼルとファビアンが同時に叫ぶ。
「遠慮しておく。この国にとどまる気はない」
「即答か。でも俺のことが嫌だから断るわけではないんだね?」
「私に惚れたら田舎での悠々自適なのんびり生活ではなくて、文字通り地獄の日々になるぞ」
カミーユの忠告を聞いてジゼルはこくこくとうなずく。しかしクリストフは、「地獄の日々」を比喩としかとらえない。
「ははは。確かに、帝国の北部ならば一年中極寒の永久凍土の地なのだろう。うん、そこまで行けば、母上もおいそれとは俺を追いかけては来られないだろうな」
カミーユはジゼルを見てあきれ顔で肩をすくめた。ジゼルは苦笑を返す。
「まあ、これから仲よくしような? ほかの奴からの求婚は受けるなよ?」
「――今日は、いろんな意味でいろいろ驚いたわ」
馬車の中。
向かい合って座り、ジゼルは窓枠に頬杖をついてほう、とため息をつく。
「私、すごく嬉しかった。今まで誰も彼女のああいう言い方に気づいて、注意してくれなかったから」
「いくらあの女が腹黒く巧妙でも、半魔の私の邪悪さに比べればかわいいものだ」
カミーユがすましたままで言う。ジゼルはくすくすと笑う。
「それに彼女が令嬢たちに責められているのはわざとだってあなたに教えてもらったから、これからは目の前で彼女がいびられていても、私は気が楽だと思うわ」
「あんな演技にだまされているのは、お前と第一王子くらいだ」
カミーユは肩をすくめた。
「え? そうなの?」
「セヴラン卿もノエル卿もだまされてはいない。まあ、どうでもよさそうな感じだな」
「ああ、今日のノエルお兄様にも驚いたわ。あなたのことが好きみたい。それにクリス! まさか、初対面で求婚するなんて」
ジゼルはくすくすと笑う。
「あれはただの軽口だ。大した意味はない。私が魅了を使って誘惑しようと思えば焦がれ死にさせるくらいはたやすいが」
「それ、なんかすごそう」
「異性でも同性でも有効だ」
「魅了って……そんなに簡単にできるものなの?」
「リリアなどは夢魔だから、目が合った瞬間に相手を落とせるぞ。美しい容姿をしていれば、悪魔なら誰でも生まれたときから可能だ。単純な能力だから半魔にもたやすい。なんなら今、お前を魅了で誘惑してみせようか?」
「い、いいえ、遠慮しておくわ」
「お前のように鈍感では、いつまでたっても同じく鈍感なあの第一王子には、何も気づいてもらえないだろうな」
「うっ。反論できない。ねぇ、カムは誰か気になるひとっていうか悪魔っていうか、そういう存在はいる?」
「いるが……今の私では到底つりあわないお方だ。私が課題を無事に終えて下級から脱しなければ、私だけ魔界でも人間のようにどんどん老化して、容姿が衰えてあっという間に死んでしまうのだ。不死になるにはまず、中級にならねばならない」
「だから人間界に来てまで課題をこなしたいの?」
「そうだな、自分の成長のためというのが一番の理由だ。中途半端な存在で大した魔力もない。大悪魔の娘なのに半人半魔とばかにされてザコ供にまで軽んじられる。今のままでは両親よりはるか先に年老いて死ぬしな。だから私はまず、成長したいのだ」
ジゼルはそっとカミーユの手に自分の手を重ねる。
「もしもなれなかったら、ずっと人間として暮らせばいいわ。私たちと一緒に、年を取って死んでいくのもいいでしょう?」
カミーユはジゼルの心配そうな表情をじっと見つめ、ふと口元に笑みを浮かべた。
「ああ、それもいいかもな」
公爵邸の門をくぐると、まずは別館の伯爵邸でジゼルが馬車を降りた。カミーユはそのまま公爵邸へ向かう。
自分の部屋に戻ると、彼女は防音魔法を施した。
あたりはすっかり暗くなっている。ぱちんと指をすり合わすと、頭上のシャンデリアのキャンドルが一斉に灯り、大きな窓にはカーテンが引かれた。
「報告を始めろ」
窓辺の暗がりに向かって彼女が静かに声を発すると、カーテンが揺らめいてメイド姿の少女と騎士服姿の少年が現れた。彼らはカミーユの目の前に音もなく近づいてひざまずいた。
「では私から行きます。先ほどワトー公爵令嬢たちにいびられたサビーナは、王城から子爵邸に帰ると間もなく地味な男装でマントをかぶり、ひそかに街まで馬で出かけました」
「そうか。どこに行った?」
「港のそばの『双子の黒山羊』という大衆酒場に入りました。私も姿を消してあとに続いて店内に入り……こいつに出くわしました!」
リリアは傍らのウァラクを忌々し気に睨み上げた。
「なるほどね。それは興味深いな」
カミーユは微かにうなずいた。
ウァラクはちっと小さく舌打ちしてリリアを睨み返すとカミーユに報告する。
「俺はお嬢に言われた通り、この前街中を逃走していた奴らのマナの流れを探し回っていたんだ。あの恐ろしい魔力の男の気配はどこにもなかったけど、一緒に逃げていた奴らのは見つけたんだ。追って行ったらあの酒場にたどり着いてこいつに出くわしたってこと」
ウァラクはリリアを睨み下ろす。カミーユは呆れてため息をつく。まったく、仲が悪すぎる。
「サビーナはこいつが追っていた男たちふたりと、目立たない隅の席で待ち合わせていました」
リリアが付け加える。
「それでお嬢、その男たちは帯剣してたんだけどさ。そいつらの剣の
「クマの手? 手の部分だけか?」
「そうだよ。手首までの手。鋭いツメが出てる毛むくじゃらの手」
カミーユは唇に左手の人差し指を当てて考えをめぐらせた。そして微かに口元を緩めた。
「今度の狩猟大会で、シャイエ派は第一王子を暗殺する計画を立てているらしい」
「あ、では、邪魔しますか? 第一王子が暗殺されては、ジゼル嬢を喜ばせることができなくなりますね」
リリアの問いにカミーユは首を横に振った。
「いや、第一王子はもう知っているらしいから、暗殺の計画は放っておいても失敗するだろう。それに、この情報を教えてくれたのは第二王子だ」
「ん? 第二王子が何で暗殺計画をお嬢に教えるのさ?」
「彼は王位には興味がないらしい。母親と伯父が首謀者だそうだ」
「へぇぇ。それ、罠じゃないよね?」
「彼は私が狩りに参加したいと第一王子に申し込んだ後、私を呼び出してきた。私がシャイエ派の陰謀を妨害する彼らの障害になるかどうか確かめるためにな。だから私は彼らの邪魔をしないと言っておいた。あちらの邪魔をしない代わりに、こちらの計画の足手まといにもなってほしくはないからな」
「嬢さま? 計画とは何ですか?」
リリアが首をかしげる。ウァラクはもいぶかし気にカミーユを見る。
カミーユは二匹の悪魔を交互に見た。
「少しばかり、狩猟大会を面白くしようと思って。大型の凶暴な奴を放すから見かけたら逃げろと、それは私の獲物だと伝えておいた」
リリアははっと息をのむ。
「まさか、嬢さま。魔塔主にくぎを刺されたのに……あの魔術師を、おびき寄せる気ですか?」
ウァラクは口をへの字に曲げて首をかしげる。
「誰のことだよ?」
リリアはち、と舌打ちして忌々し気にウァラクを睨む。
「あんたがビビってた銀髪の魔術師でしょうが」
ああ、とウァラクは真顔でうなずいた。それからはっと目を見開く。
「いや、それはマズいでしょ! もし魔塔主に知れたら、養殖魔獣くれなくなるかも!」
「ばか! そこが大事か! そうじゃなくて、その魔術師は、ほら、ベリアル様に似てて……」
リリアはちらりとカミーユを見る。
「その……魔塔主が正体を教えてくれなかったじゃない? 嬢さまに関わるなと言っていたし……」
「あーあ。そうだよなぁ。うちのお嬢の性格をもっとよく知っていてほしいよなぁ。秘密にされると気になっちゃうんだ。凶暴で手に負えないような奴が貴族を襲おうとしたら、魔塔の上級魔術師の出番だもんなぁ。しかも、一番魔力が強い奴」
「魔塔主が来ちゃうとか、ないですか?」
はは、とリリアが苦笑する。
「大丈夫だろう。彼女は一日十三時間も寝る。しかも普段は夜型らしい。私たちが魔塔に訪ねたときも、最後のほうは眠気に耐えられず棺桶に潜り込んでいただろう? 狩猟大会の最中はぐっすり眠っているはずだ」
「お嬢、あいつはただものじゃないよ。気を付けて」
「そうですね。気を付けてくださいね、嬢さま」
「狩りの時はお前たちも私と共に来て、凶暴魔獣が万が一人間を襲わないように見張るんだぞ。あの魔術師をおびき出した後は魔獣は食ってもいい」
はぁぁぁぁ……と二匹の悪魔は深いため息をついた。
様々な思惑と陰謀が渦巻く中、王室主催の狩猟大会は幕を開けようとしていた。
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