第二王子の求婚と陰謀と

第19話

「あ、ファビアン」


ジゼルは笑顔を向けた。王室第二騎士団の青鈍色の騎士服の少年が手を振りながら駆け寄ってくる。


ひとつ年下の幼馴染の少年騎士、ファビアンだ。


彼はまだ少年らしい細く華奢な体形だが、相当厳しい訓練を受けていることは姿勢や歩き方、走り方からよくわかる。


ふたりの前まで来ると、彼は満面の笑みを浮かべた。


「サロンのあとワトー家の令嬢に呼ばれたって聞いて、用事が終わるのを待ってたんだ」


「そうなの? 何かあった?」


「なんだ、何かなくちゃ待ってたらいけないわけ?」


「そんなことないけど……あ、カム、彼はシャイエ侯爵令息のファビアンよ。ひとつ下の私の幼馴染。今は王室第二騎士団に所属していて、第二王子の護衛の任務に就いているの。ファビアン、こちらは隣国から魔術を習いに来た私の従姉妹、ルエル公爵令嬢のカミーユよ」


ジゼルに紹介を受けて、カミーユとファビアンはお互いに目を向ける。ファビアンは明るく澄んだグリーンの瞳を丸くしてカミーユの美貌に見とれてから我に返り、身を屈めて彼女の手の甲に口づけて騎士の礼を取った。



「失礼しましたレディ。第二王子の護衛を務めております、王室第二騎士団所属のファビアンと申します。お会いできて光栄です」


やんちゃだった幼馴染が騎士の礼を取ったところを初めて目にしたジゼルは、感動で涙が出そうになる。


「ファビアン……立派になったわね」


「うるさいぞ、そこ。ガキのころのままの俺だと思うなよ」


先日の朝の囚人の脱獄騒ぎの時に回廊で会ったことは、彼の記憶にはない。カミーユが時を止めてその場を去るときに消し去ったからだ。


「はじめまして、ファビアン卿。どうぞよろしく」


カミーユも完璧な礼を返した。



「それでなんだけど。クリストフ王子殿下がルエル公爵令嬢とちょっとお会いしたいとのことなんだ」


「第二王子殿下が?」


ジゼルは驚きで目を見開いた。ファビアンはジゼルの懸念を察したらしく、苦笑を浮かべて肩をすくめた。


「心配するなよ。政治的な意図はなにもないから。ただ、由緒ある公爵家の令嬢に公の席で会う前に挨拶なさりたいだけらしいから。第一王子殿下にも了承を得てある」


それを聞いてジゼルは安堵した。彼女はカミーユを振り返って首をかしげる。


「カム、どう?」


 カミーユは唇の端に薄い笑みを浮かべる。


「いいだろう。せっかくめかしこんで登城したんだ、まとめて用事をすませよう」


 ファビアンはぷっと吹き出してジゼルの腕をつつく。


「お前の従姉妹どのは、なかなかおもしろいな!」


「やだ、不敬だとか言い出さないでよね? 第二王子殿下に言いつけるとか、なしよ?」


「はいはい。それじゃあ、ついてきて」




 王城の西棟。


 そこは国王の第二夫人で現シャイエ侯爵の妹であるマルグリット夫人と、彼女の産んだ第二王子が暮らしている。


 ジゼルの幼馴染の少年騎士ファビアンはシャイエ侯爵の次男なので、第二王子とは従兄弟同士となる。出入りする貴族たち、侍女として働く貴族の令嬢たちはみなシャイエ派で、第一王子派のルエル公爵家の人間たちは足を踏み入れることはない。


 ジゼルはいたって平静な様子のカミーユを横目で見ながら、内心では不安に押しつぶされそうなくらいドキドキしていた。


 幼い頃は派閥を気にすることなく、第二王子やファビアンも第一王子やセヴランたちと一緒に遊んでいた。しかし、成人してからはなんとなく隔たりができたように感じていた。



「ここ。殿下の客間、入るよ」


 長い廊下の突き当り。ファビアンはふたりを振り返って親指を立てて大きなドアを差した。


 ノックを三回。


「殿下! お連れいたしました」


 ファビアンが呼びかける。


「入れ」


 中から別の声がして、ファビアンはドアを開け、ふたりを招き入れた。


 空色の地に金糸で植物の模様が縫い込まれた壁に、モス・グレイのカーペット。全体的にしゃれた感じの明るい部屋。ソファから立ち上がり、第二王子はふたりを歓迎した。


「急な誘いですまなかった。話すのは久しぶりだな、レディ・ジゼル。ファビアンからきみの話はよく聞くけど。そしてようこそ、ルエル公爵令嬢。第二王子クリストフだ」


 ストロベリーブロンドの髪に、角度や明るさによっては青く見える好奇心に満ちた灰色の瞳。色白で背が高くほっそりとしている。陶器の人形のように繊細に整った顔立ち。


 どちらかというと異母兄のオーブリーよりは母方の従弟のファビアンに似ている。ファビアンはまだ幼い感じだが、クリストフはどこか危うげな色気があって、それが女性たちを惹きつけるのだ。

 

「お久しぶりです、殿下」


「はじめてお目にかかります。ルエル公爵の孫、カミーユと申します」


 ふたりは王子にカーテシーをした。ファビアンに促されて、クリストフの向かい側のソファに並んで座る。ふたりが座ったことを確認してクリストフは笑顔をふっとひっこめてどさりと腰を下ろし、腕と足を組む。


「紹介が終わったということで、ここからはお互い気楽にしような、ジス」


 先ほどの背筋を伸ばした気品にあふれる王子スマイルは、魔法が解けたようにどこかへ消え失せた。王子はジゼルたちよりもひとつ年上の十七歳、小さなころは一番活発で一番やんちゃないたずら坊主だった。今でも基本的に性格は変わっていないようだ。


「はい、クリスお兄様」


「あー、お兄様とかいらないよ。ただのクリスでいいって。昔はそうだったでしょ。一歳しか違わないし。なんでも短いのが手っ取り早くていい」


 クリストフはひらひらと手を振った。そして彼はソファから身を乗り出してカミーユを見つめた。


 不躾な動作なのに彼がするとそうでもなくなるのが不思議だと、ジゼルは思う。


「ジスにこんな美人の従姉妹がいたとは驚きだな。人形みたいだ。しかもちょっと聞いた話では、魔力持ちなんだって? あ、きみも気楽に話してね」

 


 気楽なのか失礼なのかわからないが、本人がいいという非公式な場なのでカミーユはうなずく。


「では、単刀直入に訊こう。何が知りたくて呼びつけた?」


 ジゼルはひっと短い悲鳴を飲み込む。適当なファビアンさえ少し引いている。しかしクリストフは背もたれに体を預けて首をのけぞらせて笑った。


「はは。そうそう、そうでなきゃ。きみ、狩猟大会に参加したいって、兄上に言ったらしいね。きみほどの美女なら、幕舎の中でほかの令嬢たちとお茶しておしゃべりしていれば、あちこちの令息たちが頼まなくてもたくさん獲物をささげてきそうだけど。狩るほうに参加したいって、その目的はなんなの?」


 こちらも単刀直入だ。カミーユはフンと鼻を鳴らした。


「あなたに言う必要はない。第一王子派とかシャイエ派とか政治的なことには一切興味がないので、なにも勘ぐらなくて結構」


「俺だってそんなことはどうでもいいんだけど。ああちょっと、お願いがあるんだ。この部屋に防音魔法かけてくれないかな?」


「入ってきたときからかけてある」


「うわぁ。惚れそう。俺もカムって呼んでもいい?」


「好きにしたらいい」


 淡々とした無表情のカミーユを見つめて、クリストフはいたずらっ子のような笑みを口の端に浮かべる。


「今度の狩猟大会で、母上と伯父上はなにかよからぬ大事を企んでいるみたいなんだ」


 楽しげなクリストフの言葉にジゼルはえっと叫ぶ。


「もしや、ビーお兄様になにかなさるということですか?」


 クリストフは左手をひらひらと振った。


「まあ、落ちつけ。たぶん事故に見せかけて暗殺しようとするかもな。なにせ立太子の儀のひと月前だ。なにかあったら大変な時期だろう?」


「あ、あ、暗殺とかっ、聞いたら落ちつけませんっ!」


「大丈夫だよ。もう兄上もセヴランたちと対策は立ててるから。たださ、もしカムが狩りに参加することで、よからぬことを企む大人たちに優位な状況になると困るんだ。なにせ未知の駒だから、俺達には動きが読めないだろう?」


 クリストフの背後に立っているファビアンがうなずく。ジゼルは首をかしげる。


「あの、それはつまり……クリスやファビアンは、アメリア夫人や侯爵閣下とは違う考え、ということでしょうか?」


「あたりまえだろう? 俺は王位なんて興味ない。兄上が王位に就いたら、俺は臣籍に下って田舎の領地でも貰って楽しくのんびりと暮らすんだ。おい、そしたらお前も一緒にくるよな? ファブ」


 クリストフは首をひねって背後に立っている従弟を振り返る。少年騎士は肩をすくめて口をへの字に曲げた。


「殿下が田舎に引っ込んだら俺はオーブリー殿下にお願いして、第二騎士団にずっと置いてもらうことにすると思う。ゆくゆくは団長かな」


「なんだよ、つまらない奴だな。そこはついて行く気がなくても絶対について行くって言っとくべきだろ?」


 クリストフは舌打ちして苦笑する。


「では私は、あなた方の気が散らないように不可視となって行動するとしよう。誰の邪魔も一切しないと確約する」


「なるほど。それならいいか。でも、ますますきみの狩りに参加する目的が分からなくなるな」


「第一王子にも第二王子にも関係ないから気にしなくていい。あ、ただ、ひとつだけ周知しておいてほしいことがあるな」


「なに? 重要なこと?」


 カミーユは口の端をつり上げて不敵な笑みを浮かべた。

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