第18話

サロンがお開きになり、第一王子オーブリーとセヴランは迎えに来た護衛騎士ジェレミーと共に足早に王子宮へと戻って行ってしまった。


 ノエルも用事があると言って三人の令嬢に恭しく礼をすると、修練場のほうへ消えた。


「では私も……」とサビーナが言いかけたとき、待ち構えていたように物陰からひとりの令嬢が姿を現して、三人の前に立ちはだかった。


 それはアレットのとりまきの一人である、とある伯爵家の令嬢だった。



「ごきげんよう、みなさん。ワトー公爵令嬢が皆さんをお茶に招待したいとのことで、サロンが終わるのをお待ちしておりました」


 ほとんど強引に、三人は王城内のワトー公爵家専用の豪華な客間へ通された。


「はじめてお目にかかります。ワトー公爵の娘、アレットと申します。ルエル公爵令嬢カミーユ様にお会いできてうれしく思います」


 アレットは完璧なお辞儀を披露した。


 カミーユもお辞儀を返す。


「どうぞよろしくお願いいたします、レディ・アレット。帝国とは作法が異なり失礼を働いてしまうことがあるかもしれませんが」


 同じ公爵令嬢でも、家格はルエル公爵家のほうが高い。アレットはカミーユの感情の読めない淡々とした完璧な態度に感心した。


「なにかおわかりにならなければ、何なりとお尋ねください」


 ジゼルは感心する。


 そうだ。アレットは確かにロマンス小説に出てくる主人公をいじめて苦しめるような悪役令嬢みたいだが、誰でもいじめるわけではない。幼い頃から厳しく完璧なマナーを徹底的にしこまれたため、安易に身勝手な行動をとって秩序を乱し、貴族令嬢としての品位を下げるような言動をするマナー違反のサビーナのような令嬢が許せないだけなのだ。


 実際、味噌っかす扱いだが、彼女はジゼルに対しては何も理不尽なことを言ったり攻撃したりしてきたことはない(サロンでサビーナを見張れという命令が理不尽でなければ)。


 それについては公爵邸で現状について説明しているときにカミーユに話してあったが、ジゼルに火の粉が降りかからなければ問題ないだろうと彼女は言っていた。


 第一王子オーブリーが立太子すれば、王太子妃の座は自分のものと思い込んでいるアレットの、その野望の障害とならない限りはやり過ごすに限るというのが、ふたりで決定した最善策だった。しかしカミーユは、だからと言ってアレットの言いなりになったり彼女やサビーナを気にして地味で無難な格好ばかりするのは別の話だと言った。


「お前は自分のしたい恰好をしてやりたいことをして、やりたくないことを強要されてもしなくていいのだ」


 そういわれたとき、ジゼルは呆然としてしまった。


 サビーナを監視して報告しろだとか、無視されるのはわかっているのにサビーナに話しかけたりとか、嫌だなとは思っても自分の意思でそんなことはしたくないと拒否したことが今まで一度もなかったのだ。


 セヴランも言っていた。サビーナを監視しろと言われても、適当なことを報告しておけばいいと。


 カミーユもセヴランも、誰かに不本意な命令をされて心を痛めているジゼルのことをよく考えていてくれるのがわかる。とても、ありがたい。



「当分、様子見でいいだろう。やはり腹黒女のほうを注意すべきだ」


 カミーユが小声でジゼルの耳にささやく。もちろん、サビーナのことだ。


 アレットとそのとりまきの令嬢たちに取り囲まれたとき、助けに割って入ったオーブリーの背の陰で彼女は笑った。セヴランも目撃したから、ジゼルの勘違いや見間違いではない。あれ以来どうも、ジゼルにはサビーナが純粋な田舎の修道院育ちのかわいそうな生い立ちの令嬢には見えなくなっていた。


 セヴランはサビーナが無邪気でも純粋でもないと言った。オーブリーの同情を誘いほかの令嬢たちにいじめられている姿を彼に見せるために、アレットを利用しているのだと。彼女は意図的に・・・・、オーブリーに近づいているのだと。


 単に、王太子妃の座を狙っているだけだろうか。その割には、他の令息たちにも手広く媚びを売っている。


「第一王子がだめならば、第二王子でも未来の側近たちでも、誰でも引っかかればいいと思ってるんでしょうね!」と、ジゼルとカミーユの話を聞いていた夢魔のリリアが言っていたが、それも一理あるかもしれない。カミーユはとにかくサビーナに会ったら、今度はちょっと注意して観察してみると言っていた。


「始まったぞ。じっくり観察させてもらうかな」


 華やかな飾りつけとおいしそうなお菓子がたくさん載せられている円卓では、早くもアレットがサビーナを攻撃している。


 第一王子を「オーブリー様」とうっかり名前で呼んでしまったためだ。周りの令嬢たちも怒っている。王子を名前で呼ぶなんて無礼だ、婚約者気取りだと責め立てる。それをジゼルとカミーユは、少し離れたソファに座って観察している。


「ああ、またやっているわ。サビーナ嬢も、どうして毎回同じミスを犯すのかしら」


 はらはらおろおろと見守るジゼルの脇で、カミーユが鼻で笑った。


「あれは、わざとやっているのだ」


「え?」


「あの女はわざと王子を名前で呼んで、令嬢たちの神経を逆なでして面白がっているということだ」


「そんな」


「人間にしてはかなり邪悪だな。なんだか懐かしい感じがして、見ていて安心する」



 カミーユが半魔なのを思い出して、彼女の善悪の基準が自分とずれていることは仕方がないと思い、ジゼルは苦笑した。

 

「あなたも彼女はなにか悪意があると思うのね?」


「少なくとも、何か企んではいるだろう。いくら不幸な生い立ちだったとしても今や子爵令嬢だ。裕福な暮らしをするには十分だ。だが彼女は野心が大きすぎるのかもしれない。子爵家の後継者であるよりも、さらに人からうらやましがられる地位に上り詰めたいのかも」


「あんな純粋そうに見える人が……?」


「見かけに簡単に騙されるから、悪魔にとって人間はだましやすいのだ。人間が人間をだますのも同じこと」


「な、なるほど」


「見ろジス。悪魔が好む人間の感情のひとつがあの辺に駄々洩れだ。令嬢たちの表情、あれは嫉妬だ。第一王子を名前で呼べることへの、第一王子のサロンに呼ばれたことへの、不幸な生い立ちを武器に同情を誘って気にかけてもらうことへの、な」


「私には見えないけど……雰囲気は、伝わって来るかな」


「あの女、修道院で育ったにしてはかなり邪悪だ。私よりも立派な悪魔になれるかもしれない。人の負の感情を煽るのがうまいようだ」


「へぇ……そうなのね」


「ちなみに、お前が同情してやる必要はない。あの女には何も響いていない、というか、むしろむきになっている令嬢たちをばかにして楽しんでいる。さて、腹黒令嬢も悪役令嬢も目通りはしたし、これ以上ここにいても何もすることはないから帰ってゆっくりするか。狩猟大会の服も準備しなければならないしな」


「あっ、そうよ……カム、どうして狩りに参加したいなんて言い出したの? まぁ、あなたには上級魔術師並みの魔力があるから、心配ないのだろうけれど……」


「天幕の中でおしゃべりしながら腹の探り合いして過ごすなんて、地獄の浅層のいろいろな拷問よりも面倒だ。なんなら、魔界からたくさんの魔獣や悪魔たちを召喚して狩りを盛り上げてやってもいいだろう。楽しいだろうな」


「いや、それはやめたほうが……狩猟大会が、間違いなく本物の地獄絵図になるわ」



 カミーユの本当の目的は、ジゼルには話せない。


 狩猟大会の当日は魔塔の上級魔術師たちが万が一の緊急事態対応のために控えているらしいから、なにか巨大な魔獣でもおびき寄せて手負いの凶暴な状態にすれば、グリが現れるかもしれない。ほかの上級魔術師たちの実力はよくわからないが、おそらく魔塔主を除けばグリが最強だろうから、彼をおびき出すとすれば最善の策だろう。



 魔塔主は彼を知ろうとするなと言った。


 しかしどうしても諦めきれない。


 ベリアルにそっくりな人間。


 狩猟大会は彼を捕まえる絶好の機会だ。

 




 アレットに途中退室の挨拶をして、ふたりは公爵邸へ帰るために回廊を馬車止めへ向かう。


「あ、いたいた! おーいジス! ちょっと待って!」


 背後から呼び止められて振り向くと、ジゼルは笑顔を見せた。

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