第16話

カミーユは形の良い唇の右端をくっと吊り上げた。


 一同は彼女を呆然と見つめる。


「今の発言を訂正してください。私の従姉妹は侍女ではなく、やがて公爵令嬢となる身です。彼女を貶めるような軽率な発言は、彼女よりも下位の貴族令嬢として冗談でも今後は一切お控え願いたい」



 しん、とその場が静まる。サビーナは驚きに目を見開いて固まっている。わなわなと、彼女の唇が震えている。


 誰もが思っていたけれど誰も口にしなかった忠言を、カミーユがストレートの顔面パンチのようにサビーナにお見舞いした。


 十秒ほどの沈黙の後、セヴランがふっと笑みを漏らした。


「同意します。ジゼル嬢のお父上が爵位を継承なされば、ジゼル嬢はサビーナ嬢よりもはるかに身分が高くなります。今でも伯爵令嬢で、すでに身分は上ですが。友人なので砕けた接し方を私的な場でしてもかまわないとは思いますが、常に敬意は払っておくべきですし、越えてはいけない線を意識なさった言動をお勧めします」


「うん、確かにそうだね。ジスはどう見ても侍女には見えないよ。いつも控えめな格好だが、気品があってかわいらしいよ。今の発言はちゃんと彼女に謝ったほうがいいね」


 オーブリーも苦笑して小刻みに首を縦に振った。サビーナはざっと青ざめる。


 ジゼルは不安そうにカミーユを見る。カミーユは鼻先をつんと上げてすましている。



「す、すみません。ほんの冗談だったんです……」


 サビーナはうるうると大きな瞳を潤ませてうつむいた。


「泣くほどのことじゃないよ。今後、そういう発言には気を付けるんだよ?」


 オーブリーは焦りだす。彼には姉妹がいないので、女の涙にはうそ泣きも見破れずに無条件でだまされてしまうのだ。


 メギツネのような性格のキツい邪悪な妹を持つセヴランは、うそ泣きを見抜いているので少しも同情を見せず冷たい表情をまったく崩さない。


「泣いても何の解決にも改善にも謝罪にもなりません。分別のない幼子でもないのですから、淑女として家門の恥にならないように道理はわきまえていただきたい。ほんの冗談でもそんな発言は十分に侮辱罪に問えますから」


 カミーユが淡々とさらなる追い打ちをかける。


「そ、そんな……外国育ちなのでまだよくわからなくて……」


 サビーナがうそ涙に頬を濡らしながら言い訳をする。カミーユはそれをふんと鼻で笑う。


「失礼ですが。どこでどう育とうが、少し考えればわかるはずです。子爵家に入られてすでに半年は経っていらっしゃるそうですね。半年あれば理解には十分でしょうから、そういう発言をなされば故意にわが家門を侮辱なさっておられると捉えられます。意図しておられなくとも、そうなるということを肝に銘じていただきたい」


 セヴランが顔を背け拳を口に当てて笑いを堪えている。サビーナが青ざめているのを見て、ジゼルは動揺する。


「しゃ、謝罪を、受け入れます……」


 ジゼルは静かに言った。


 オーブリーはぽんと手を叩く。


「よし、これで解決。いいね?」


 カミーユはくい、と首を傾げた。承諾の意味らしい。そしてジゼルの腕を取ると、王子とセヴランにだけ目礼して優雅な足取りでその場を離れた。


 二人が離れて行く後姿を見て、サビーナは唇をかんだ。


 オーブリーはそれに気づかなかったが、セヴランはしっかりと目撃して口元だけで薄く微笑んだ。



「見事な一撃だったわ、カム。なんか、ずっともやもやしていた胸の異物感が、すっかりなくなった感じよ」


 腕を組んでぴったりと寄り添い歩きながら、ジゼルは囁いた。


「王子はあの腹黒女にだまされているな。セヴラン卿はあの女の正体を見破っているようだが」


 カミーユも囁き返す。


「ありがとう、反撃してくれて」


「やり方はわかっただろう? 今度からは自分でしろ」


「でも……」


「言い返さないとわかっているから、失礼なことを平気で言ってくるんだ。言う隙を与えなければ、お前に対してばかにした発言はしてこなくなるはずだ。沈黙は必ずしも常に美徳ではない」


「わかった。努力する」


「ところで、王子はお前を気品があってかわいいと思っているらしい」


「やだ……あんなの、社交辞令よ」


「社交辞令だと王子が言ったのか?」


「そういうわけじゃないけど……」


「少なくとも、好意は持たれているようだ。よかったな。もっとおしゃれして、視界に入る努力をしろよ」


「そ、そんな……」


「お前が気になるように仕向けないと。そういえば……今日はマルク卿はいないようだな」


 カミーユは図書室を見渡してつぶやく。


「そうね。もしや、あなたに何か……何も訊かれたくないのかも」


「ふん……」


 先日、回廊でカミーユをつけてきたマルクを話した内容については、ジゼルは知らない。もしグリのことを話せば、ジゼルをトラブルに巻き込んでしまうかもしれない。彼女を危険なことに巻き込む気はカミーユには毛頭ない。


「彼は今日は自分の事業の用事で欠席するそうです」


 本棚のほうに歩いてきた二人に向かって、ウィンドウシートにしどけなく座ったノエルが言った。


「ごきげんよう、ノエル卿」


 カミーユが挨拶をすると、彼はひらりとウィンドウシートから立ち上がり、カミーユとジゼルに挨拶を返した。


「ごきげんよう、お嬢様がた」


 さらりと、彼の長めのブラウニッシュブロンドの前髪が落ちてきて、小さめの窓から射す日の光にきらきらと黄金色に輝いた。

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