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第14話
振り返るとそこには、黒いローブに身を包んだ十歳くらいの童女が無表情で立っていた。
立っていた、が……彼女の両足は十センチほど宙に浮いている。
艶やかな濡烏の髪は顎の下までのおかっぱで、大きなつり気味の瞳は紫水晶のようにつややかな紫色。そしてその瞳孔は、爬虫類のような縦長の楕円形だ。
「ジネブラさま?」
カミーユの問いに少女はこくりと小さくうなずいた。
「いかにも」
「お招きありがとうございます」
カミーユがカーテシーをすると、ジネブラは右手をひらひらと振った。
「人間の貴族の挨拶などここではどうでもよいだろう。さぁ、かけられよ」
彼女は中央のテーブルセットを指さした。カミーユは素直に従う。二匹の子猫の姿の悪魔たちもそれに続く。
ジネブラが席について両手を広げると、テーブルの上にはティースタンドに載った様々な菓子やフルーツ、茶器のセットが現れる。二匹の子猫たちの目がきらりと光る。
ポッドから勝手に茶がカップに注がれる。
「これ、お好きだと師からききました」
カミーユは一本のボトルを差し出した。受け取ったジネブラの眉がピクリと上がる。それは
「かたじけない」
ジネブラは喜怒哀楽をはっきりとは表さない。基本的に魔術師たちは対人スキルが極めて低いと師から聞いていたカミーユは、彼女の眉がピクリと上がったことで喜んでいるのだろうと判断した。
「ずっと二百年以上も、その姿ですか」
カミーユの質問にジネブラはうむ、とうなずく。
「子供の姿をしていても、実際は子供ではない。私は魂だけが年を取り続けている。入れ物の見てくれはどうとでも変えられるが、この姿だと魔力の消費量が少ないし身軽だし、何よりも相手を油断させることができるからな」
人間であっても、マナの調節が可能になるほどの魔力を身につければ、外見を思いのままに変えられる。
ジネブラはじっとカミーユを見つめる。それから小刻みに何度かうなずいて言った。
「――ふむ。メフィストの言うとおり、確かに生まれながらの魔力は半分人間と思えないほどに強い。だが、悪魔としてみれば、人間の私から見ても何の脅威も感じない。メフィスが心配するのもわかるな」
「それは、私がどうにかできるものでしょうか」
「どうだか。初めて会って数分では判断がしかねる。だが彼の言うように、人間界でしばらく暮らしてやるべきことをやってみればわかってくるかもしれないな」
「そうですか」
「まあ、困りごとがあれば何でも言えばよい。私のことはこちらの世界の後見人と思ってくれればいいだろう」
「ありがたいです。早速ですが、この者たちの餌を定期的に入手したいのですが」
カミーユはテーブルの上でがつがつとタルトやケーキを食い漁る子猫たちを視線で示した。先ほどから無表情のカミーユとジネブラが会話を交わす間、二匹の子猫の姿をした悪魔たちはスイーツに夢中て食らいついている。
「承知した。この者たちにとっては、人間の食べ物などいくら食べようが腹は満たされないであろう。魔塔で研究実験に使う中型の養殖魔獣たちを毎日一頭ずつ支給しよう。それだけでいいのか?」
「ひとつ、ききたいことがあります。上級魔術師の濃い紫のローブを着た銀髪の魔術師は何者ですか? なぜ、ベリアルさまに姿や魔力が似ているのでしょうか? なぜ正体を隠しているのでしょうか?」
ジネブラは紫の瞳でじっとカミーユを見つめた。
「――それについて私はあなたには何も教えることはできない。だが、今のままであればあなたにとって彼は利害の対象ではないし、彼にとってのあなたもしかり。それだけは断言しておこう」
カミーユはかすかにいら立ちのため息をついた。つまり、かかわるなということか。
「彼は、どこにいるのですか?」
「今日あの者は北西の辺境に国家魔術師グリとして赴いている。魔獣によって破壊された国境の壁の修繕をしている。明日は討伐隊と合流して、危険種に指定されている魔獣を山間部から一掃する予定だ。三、四日のうちには帰京するだろう」
今日は、「グリ」として。
つまり、国家魔術師として働くときが「グリ」であるならば、本当の彼は別の名のはずだ。
「どこで会ったことがあるのかなぜ知っているのか、訊かないのですか」
「グリが囚人を殺したところに居合わせたのだろう?」
「……ええ」
「カミーユ嬢」
「はい」
「彼に近づくべきではない。このまま互いに一定の距離を保って利害なく、つつがなくやり過ごしなさい。あなたは課題を達成することに集中すればいい」
「ならばせめて何者かだけでも」
「――彼はベリアル様に似てはいるが、ご本人ではない。それだけだ」
「……」
奥歯をかみしめていら立ちを押さえ、カミーユは深呼吸した。ジネブラの態度がこれ以上何も訊くなと言っている。
カミーユはいったん引くことにした。
グリのこと以外は、魔塔主ジネブラは何でも気さくに淡々と答えてくれた。
そして、カミーユの魔力が人間の魔術師たちのものとは少々異質だということも教わった。だからもし街中や城内で彼女が魔力を使うときには、魔塔の魔術師たちが敵とみなさないように彼女の魔力について周知してくれた。もちろん、彼女が半人半魔だということは伏せておいてくれた。
半魔だということが知られれば、彼女を利用しようとする者たちが現れないとも限らない。現に世は立太子の儀を間近に控え、反対派と擁立派が対立している。資源が豊かで魔塔を有しているジスカールを虎視眈々と狙う帝国や周辺国のこともある。政治に巻き込まれないようにしろということは、人間界に来る前にも家庭教師のメフィストフェレスからさんざん忠告されている。
*************⊹⊱❖⊰⊹*************
「へぇぇ。魔塔主は、少女のお姿なのね……」
公爵邸。
カミーユの部屋でお茶を飲みながらジゼルはふんふんとうなずいた。
彼女はカミーユが魔塔から戻るのを首を長くして待っていて、馬車が見えるや否や急いで別館の伯爵邸からやってきたのだ。生まれたときから魔塔の存在は知っていたものの、そこに行く用事など一般の貴族にはあるわけがない。ましてや、魔塔主直々に招待状を送られた令嬢もいるはずがなかった。
「何を考えているのか、全く読めないお人だった」
カミーユの言葉を聞いて、子猫のままのウァラクはうひゃひゃとソファの上で笑い転げた。
「お嬢、お嬢もそうなんだぜ。魔塔主とお嬢が話してると、二人とも無表情だからどんな心理戦だよって突っ込み入れたかったぜ」
ジゼルの膝の上でなでなでしてもらってだらんと体を伸ばしているリリア猫は、フンと鼻を鳴らして冷笑した。
「何言ってるの。テーブルの上の食べ物しか見てなかった奴がよく言うわ」
「うるせー。お前だってガツガツ食ってたくせに!」
ウァラクが背中を丸めてシャーっと威嚇するが、リリアは余裕であくびをする。
「お前たち。喧嘩ばかりするなら養殖魔獣は食わせてやらないからな」
二匹の悪魔は「えええええ?」を非難の声を上げる。
「養殖魔獣ってなに?」
ジゼルが首をかしげる。
「魔術の実験のために魔塔の地下で、人工生殖で養殖している魔獣だそうだ。実験動物のようなものか。狩猟大会で放す魔物も、養殖らしい」
「そうなの? 狩猟大会の獲物までそうだとは知らなかったわ……ということは、都の中心の王城の敷地内に、魔獣がたくさんいるということなのね……?」
「まあ、そういうことになる」
「知らないほうがよかったかも……」
口元を引きつらせながらジゼルは乾いた笑いを見せた。
「それで話は戻るけど。魔塔主は本当はおいくつくらいなの?」
「知ってどうする?」
「べつに……十歳くらいの少女の中身は、おいくつなのかなって思っただけ」
「正確にはわからないが、魔塔主になったのが二百二十年前らしいからそれプラスその時までの実年齢か」
「そ、それは相当ご年配ね……」
「私の父は何千歳かわからないぞ。母はまだ人間だが、魔界に嫁入りした時のまま彼女の時間は止まったので外見は老化しないようだ。魔塔主が二百二十歳を軽く超えていたとしても私には別に驚くべきことではないな」
「魔界もいろいろとすごいのね。あなたはまだ実年齢十六歳だよね?」
「私は人間界にいれば上級魔術師と同じくらいの魔力になるから、なりたい外見になることはできる。でも今のところは普通にお前たちと同じく日々老化している」
「そうなのね……」
「あ、魔塔主と言えば、ひとつ面白い話がある」
「なになに?」
「いろいろな話をしていたら突然黙り込んだ。じっとテーブルを見つめて固まっていたからどうしたのか訊いてみたら、もう眠いから寝るので帰ってくれと」
「えっ? いきなり?」
「睡眠時間は一日十三時間だそうだ。さよならを告げてドアを開けかけたとき振り返ってみたら、今までテーブルがあってお茶会をしていたところに代わりにピンク色の子供用棺桶が置かれていた。ジネブラ様が蓋をずらして開けて、その中に片足を突っ込んでいるのが見えた」
「ええ? ピンク色の棺桶でおやすみになるの?」
「帰り際に案内してくれた上級魔術師に訊いたら、魔塔主は毎日半日以上、棺桶の中で眠るのだと認めていた」
「そ、そうなのね……」
ジゼルは力なく苦笑した。
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