魔塔へ
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第13話
王城の敷地内の本館から離れた北側の隅に、独立した一棟の巨大な塔がそびえ立っている。
上階へ行くほどに床面積がだんだん狭くなり、最上階には瑠璃色のガラスを張ったクーポルがある。
「見るからにまがまがしくて……なんかわくわくしてくるな! この雑多な魔力がごちゃごちゃ混ざった感じ、懐かしい」
青い目の黒い子猫が嬉しそうにしっぽを揺らす。
「うむ。お前とはつねに意見が相いれないが、その点には同意する。この雰囲気、人間界のどこよりも落ち着く感じがする」
赤い目の黒い子猫も首を伸ばし嬉し気に目を細める。
「お前たち、ここの魔術師を食わないようにな。あとで魔塔主に頼んで、養殖魔獣をもらってやるからおとなしくしておくように」
はぁぁい、と二匹の悪魔は素直に返事をする。
カミーユはモスグリーンの丈の長い貴婦人用のマントを羽織っている。黒く染めた繊細でやわらかなガチョウの羽毛がフードや裾を縁取っている、優雅なデザインだ。いかにも、高位の令嬢らしい感じ。
「ようこそおいでくださいました、レディ・カミーユ」
音もなく巨大な観音開きの鉄の扉が開くと、濃い紫のローブ姿の大男が恭しくお辞儀をしてカミーユを出迎えた。
二メートルはあるだろうか、とにかく長身で大きくて筋骨隆々な体形がローブの上からも容易にわかる。魔術師というよりも百戦錬磨のグラディエーターのようだ。浅黒い肌、精悍な顔つきは整っていいて、そこに深い知性が現れている。大鷲のように鋭い赤茶色の瞳、プラチナブロンドのハリネズミのような短い髪。胸の前に添えた左手の手首には、黒い鋭いスタッズがぐるりとはめ込まれた黒革のリストバンドをふたつはめている。左の中指には、彼の親指の爪ほどの大きさのオーバル・ブリリアントカットの黒水晶が銀の台にはめ込まれたごつい指輪をつけている。
「サブルと申します。上級魔術師のひとりです。魔塔主のところまでご案内させていただきます」
「ああ、よろしく頼む」
カミーユは短く答えた。
入り口からすぐ正面は吹き抜けのホールになっている。見上げるとはるか上空にクーポルの瑠璃色のガラス屋根の内側が見えて、その青い光が地階のホールの石床にまで届いていてとても美しい。外観からは想像できない広さと明るさ。中央には何もないが、周囲を取り囲むように無数の部屋があるようだ。部屋の前には通路があり、それがらせん状に上階へと続いている。
一見するとただのしゃれた文化施設のようにも思えるが、魔力のある者たちからすれば目には見えない様々な力があちこちに散らばり漂って融合し、あるいは反発しあっているのに不思議と調和を保っている、そういう特殊な空間に感じる。
「この塔は一種の巨大なタワーハウスと言えます。百六十名ほどの魔術師たちが働くとともに居住しているのです」
「ここは千八百年前にベリアルさまが一夜にしてお建てになったと聞いたが、外観も内部もまるで新築のようだな」
そう。言い伝えによると、初代の魔塔主から不滅の塔を立ててほしいとお願いされたベリアルが、その魔塔主の魂を対価として契約して建てたという。
周囲を見渡してカミーユが言うと、サブルは口の端を引き上げて微かにうなずいた。
「その通りです。当時からこの塔の主となった歴代の魔術師たちが、保存魔法と防御魔法をかけ続けています。最近では現在の魔塔主が就任した二百二十年前にかけられました。ちょうどこの国が建国され、新たに築かれた王城とともにかけたと聞いています」
「そうか。魔術師たちの巣窟をヘマタイトで築くとは、さすがベリアルさまだ。この石は魔力を持つ者たちには、精神浄化と心の平安を保つことを助けてくれる」
カミーユの言葉にサブルはうなずいた。
「よくご存じですね」
サブルはカミーユの表向きの事情しか知らないので、そう思うのももっともだ。カミーユの強い魔力は関知してはいるだろうが、いくら上級魔術師の彼でもカミーユが他国の魔術師であれ、まさか半魔だとは夢にも思わないだろう。
「基本的なことは学んだ。ところで、第一王子から上級魔術師は5人ほどしかいないと聞いたがあなたもその中のひとりだな」
「はい。この塔内の魔術師はほとんどが一般魔術師ですが、一般とはいっても過酷な競争を勝ち抜いてきたエリートたちです。毎年、この国だけでなく周辺国も含め、五千人ほどの魔力保持者たちが適性検査を受けます。国家魔術師になると高給と衣食住が保証され、研究費の心配なく修練に没頭できるので、志願者は後を絶ちません。私は一般魔術師になってから五十年ほどで上級になることができました」
「あなたが最年少者か?」
「いいえ。私よりも年少のものがあと二名おります」
「そうか」
「実際、魔力が強くそれをいかに使いこなすことができるかやどれだけ優れた魔術師であるかを証明すれば、見た目の年齢も自由に止められますので年齢はあまり重要ではありません。先日使者としてレディのもとへ参上した者も、まだ十歳ですがすでに頭角を現しています」
カミーユはサブルと話をしながら彼のあとをついて歩きだした。緩やかに上がるらせん状の通路を歩いていくと、いつの間にか地階から一階まで上がってきた。
「ちなみに、五千人の中で厳しい適性検査に合格した百名ほどが国立の養成所に入り、数年修練します。通常は三年ほどですが優秀ならば飛び級も可能です。そうして年に一名から三名ほどが、魔塔の魔術師となるのです」
「魔塔に入れなかった者たちは?」
「さらに個人で修練を重ね、再挑戦することができます。しかし、養成所を出たものは全員、不測の事態に備えて予備登録をする義務があります」
「予備登録?」
「ありえないことですが……万が一、魔塔が滅びるようなことになれば、予備役の魔術師として出動要請が行くということです」
「ああ、なるほど」
「養成所を出たものたちは登録後には自由に働くことができます。街で薬屋を開いたり裕福な商人や貴族の子女の家庭教師となったり公立の学校で魔術を教えたり、大きな商家や貴族家門、あるいはギルドの専属魔術師として就職したりすることができます」
「つまり、この塔で働く者たちは全員、魔術師として国家に登録されているということか」
「はい。そうすることで、どれくらいの魔力を持った魔術師が何人存在しているかを、我々は把握することができるのです。外国人であっても、魔塔の魔術師になれば国籍を与えられるのです。さあ、着きました。こちらへどうぞ」
サブルは一枚のドアに手をかけた。そしてカミーユに礼をした。
「こちらに入っていただければ、魔塔主のいる最上階まで一瞬で昇ることができます。私はここでお帰りをお待ちしております」
「わかった。案内をありがとう」
カミーユは少しもためらうことなくサブルが開けたドアの内側に歩を進めた。そのあとを少し慌てて、しっぽを直角にぴんと立てた二匹の黒い子猫が続く。
サブルは再び頭を下げてそっとドアを閉じた。
「あ」
カミーユは思わず声を上げた。
地上から一階ぶんしか上がっていない部屋のひとつに入ったが、目の前に広がるのはどう見てもそんな低層階の部屋には見えなかった。
見上げる高い天井は、様々な青色のガラスがはめ込まれたドーム状のガラス天井。
薄い灰色の石のモザイクの床には宝石のようにキラキラと光る石のかけらが埋め込まれていて、青いガラス天井から差し込んでくる日の光を反射して輝いている。
そしてその部屋はひとことで言えば部屋というよりは温室のようで、たくさんの草花や木々がごちゃごちゃと植えられている。観賞用の温室というよりも、研究用の、と いう感じだ。
ガラスドームのちょうど中心部分、頂点のあたりだけは透明なガラスがはめ込まれていて、そこからはスポットライトのように光が差し込んでいる。
ちょうどの真下には、白いアイアンレースの丸テーブルと同じ素材の白い椅子が二脚置かれている。
行ったことはないが……まるで天界のような美しさだ、とぼんやりと考えた。
「ようこそ魔塔へ」
背後からおもむろに聞こえてきた抑揚のない声に、カミーユははっと我に返って振り返った。
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