第12話

「マルクお兄様……」


 ジゼルは表情を固くした。


 マルクはそんなジゼルを見下ろして困ったように薄くやさしげに微笑んだあと、カミーユに向かって真剣な口調で言った。


「あなたと、少し話したいことがあります」


 カミーユは唇の端を上げる。


「いいでしょう。ジス、今こちらにウァラクが迎えに向かっているから、奴と共に先に邸に戻れ」


「でも……カムはどうやって帰ってくるの? 馬車は?」


「心配ないよおちびちゃん。カミーユ嬢は私が責任を持って公爵邸まで送り届けるから」


 マルクはジゼルを安心させるために、再び彼女にやさしげに微笑んだ。




 王城内の、ボー伯爵家が使用する専用の部屋の応接室。


「本来であれば未婚の女性と密室でふたりきりなど体裁が悪いのですが、話の内容を誰にも知られたくないので、ご容赦ください」


 ソファでマルクが苦笑する。


 ローテーブルを挟んで向かい合って座るカミーユは涼しい表情でこくりとうなずく。


「ご心配なく。使用人たちには私の顔は認識できていない術をかけているので誰が尋ねてきているのか彼らにはわからないし、今この部屋の音も一切外部に漏れることはありません」


 マルクは目を見開く。


「なるほど。お美しいだけでなく、相当な魔力をお持ちなのですね」


「お世辞は結構。話したいこととはなんですか」


「はは。いいでしょう、単刀直入に伺います。なぜ、魔塔の上級魔術師のことをお知りになりたいのですか? 正確には……ある特定の魔術師のことを」


 カミーユは美しい複雑な色合いの青い瞳を細める。


「やはりあなたは、何かを知っているな。図書室ではすぐにでも私に食って掛かりそうだった」


「殿下やほかの者たちの前では訊けません。答えてください。なぜ、彼のことを知りたいのです?」


「答えたら、私の質問にも答えてくれるのか?」


「質問によりますが、できるかぎり」


「いいだろう。今朝の脱獄騒ぎで濃い紫色のローブの男が、その囚人を殺すところに居合わせた。あの魔力は人間離れしていた。兵士たちは彼をグリと呼んでいた。彼は魔塔の魔術師なのか? もしそうだとしたら、なぜ第一王子は彼の存在を知らない?」


 緊張をほぐそうと、マルクは静かに深呼吸した。


「正確には……殿下はグリという魔術師の存在はご存じだが、グリがどういう人物なのかはご存じないのです。彼は、何者かではあるが、何者でもないのです」


 カミーユはああ、と小さくうなずいた。


「なるほど。つまり、魔塔の上級魔術師としてグリは存在するが、誰もグリが男なのか女なのかいくつぐらいでどのような容姿をしているのか、魔術で隠しているからわからないということか」


 マルクはうなずいた。


「そういうことになります。ところで今朝、彼が囚人を殺す現場に居合わせてあなたは一体なにを目撃したのですか?」


「彼の魔力の強さと、彼の、本当の姿・・・・


「ということは……あなたには、彼本来の姿が見えてしまったということですか? あれを見破れるとは、あなたは一体……?」


 カミーユはふっと笑みを浮かべる。


「そういうあなたも先ほどからグリを『彼』と呼んでいる。あの銀髪の魔術師を、個人的に良く知るみたいだが」



「……」


 どう答えたものか、マルクは躊躇する。


 彼にとってカミーユはまだ、秘密を話してもいいのかどうかわからない不確定な存在のようだ。


 社交的で大胆不敵、頭の回転が速く損得の計算がうまい。ものごとを何通りか想定しておいてから行動に移す慎重さも持ち合わせている。大人たちとも対等に渡り合うことができるマルクは、将来は外交面で活躍するだろうと言われている。その彼が今、自分より年下の深窓の令嬢の前で、どうしても動揺を隠せずにいる。


 出方を一歩間違えば、おおごとになってしまい、「彼ら」の計画が台無しになってしまうおそれがある。


「しかもどうやら、あなたにも彼と同じような……あるいは別の種類の秘密があるようだ」


「えっ?」


「先日の城での、玉座に怪文書を貼り付けた不審者の逃亡騒ぎ。近衛兵たちが街中まで賊を追いかけて行ったようだが、その賊の一人は彼だった。王族も気づかない彼の秘密を知るということは、あなたも第一王子派でありながら、シャイエ派にも多少のかかわりがあるということだろう?」


 マルクはざっと青ざめる。彼は膝の上に置いた両方のこぶしをぐっと握り締める。


「ち、誓って……殿下を裏切るようなことは、していない」


 彼は拳の震えをさらに握りこむことで抑えようとする。指先が真っ赤に鬱血する。


「マルク卿。私には関係のないことなので、あなたのことはこれ以上追及する気はない。一方で、その魔術師の正体を暴いてどうにかしたいわけでもない。ただ私は彼に会って、いくつか質問をしたいだけなのだ」


「……」


 マルクは必死に動揺を抑えようとしている。しばらく逡巡したあと、観念したように深く息を吐きだした。


「いいでしょう。あなたが話したがっていることは、彼に伝えておきますが……期待はしないでください。あとは……彼自身と、魔塔主の判断を待ちます」


「それで結構です」





 公爵邸、カミーユの部屋。


 三階の一番日当たりの良い広い部屋は、かつては母親のシャノンが使っていた部屋だという。


「では、魔塔主に会った時に、その男のことを質問してみるのですね?」


 赤い目の黒い子猫が首をかしげた。


「ああ、おそらく、魔塔主はグリの秘密に協力しているか、あるいは容認しているのだろう」


「お嬢、あれは普通の人間じゃないよ。かといって、悪魔でもないと思うけど。とにかく、気を付けたほうがいいよ!」


 青い目の黒い子猫が背中をそらせて伸びをしながら言った。


「メフィストフェレス様は魔塔主のジネブラ様のことはいろいろと詳しくおっしゃっていたけど、そんな魔力の強い人間がいることは、まったくおっしゃっていなかったですね」


「メフィスト様はここ数百年は人間界に来てなかったし、単なる情報不足じゃないのか? あっ、告げ口はするなよ! ここだけの話!」


「お前もたまにはまともなことを言う。確かに、師がご存じないだけなのかもしれない。しかし、あの魔力、お前たちも感じただろう? 一瞬、ベリアルさま本人かと思ってしまったくらいに、あまりにも似ていた。あの人間は普通の魔術師ではない」


「ベリアル様でないことは確かだと思うけど、あれだけ似ていれば確かに気にはなるよね。どうしてあんなに似ているのかをお嬢が知りたがる気持ちは理解できるよ」


「そうね。私も気になるわ。いくら優れた魔術師でも、あれだけ大悪魔に似た魔力を持っているはずはないもの。ね、嬢さま?」



 カミーユは鏡台の前で髪をとかしながらぼんやりと考え事をした。


 確かに、よく似てはいたが、あれはベリアル本人ではなかった。それはわかる。彼は明らかに人間だ。


 ふと、ティーテーブルの上に置いた黒い封筒が目に入る。彼女は立ち上がりティーテーブルに近づくとそれを手に取った。


 魔塔主〈かのじょ〉は、カミーユが知りたいことについて答えてくれるだろうか。それとも、話してはくれないだろうか。



 銀の髪、金色が散る、緑がかったブルーの瞳。冷たく整った美貌。


 あの若さで、圧倒的なあの魔力。

 

 ローブの男は、何者なのか。



 カミーユは親指と中指でつまんだ封筒を軽く一振りした。


 封筒に青白い炎が燃え移り、たちまちのうちに黒い煙となってあとかたもなく霧散した。

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