第11話

第一王子のオーブリーは護衛騎士のジェレミーに視線で合図を送った。


 ジェレミーは頭を下げ、大股でドアに向かって歩いた。彼はドアを開けると隙間からするりと外に出て行ったん扉を閉める。なにやら話す声が聞こえ、少し動揺した様子で戻ってきてオーブリーに耳打ちした。


「えっ?」


 ジェレミーから何やら耳打ちされたオーブリーは驚きで目を見開いた。彼はジゼルを見て、それから一度深呼吸してカミーユを見て言った。


「魔塔主からカミーユ嬢あてに使者が来たようです」


 サロンのメンバーは全員驚愕してカミーユを見た。



「もうすでに魔塔主とはお知り合いでしたか」


セブランの問いにカミーユは平然と答える。


「私の家庭教師の旧友だと聞いていますが、まだお会いしたことはないです」


「ま、魔塔主が、家庭教師の友達……?」


 ノエルが呆然と繰り返す。


 マルクは眉をひそめる。


 ジェレミーは少し動揺している。


「殿下、お通しするべきでしょうか」


 ジェレミーの問いにオーブリーは首をかしげる。


「僕は構わないが、カミーユ嬢を訪ねてきたわけだから、彼女に訊くべきだろう」


「う、はい。ではカミーユ嬢、お通ししてよろしいですか?」


「お願いします」


 少しの迷いもなくカミーユがそう答えると、全員がジェレミーの開けるドアに注目した。



「失礼します」


 入室してぺこりと頭を下げた使者を見て、令息たちとジゼルはまたはっと驚く。


 全く動じていないのはカミーユただひとり。


 大テーブルの前に立っているのは、明るい紫のローブを纏った十一、二歳くらいの少年だった。ローブから覗く彼の髪は赤毛で、大きな瞳は新緑のように鮮やかなグリーンだ。変声期なのか、彼の声はところどころ掠れる。


「わたくしは魔塔の中級魔術師、アンセルムと申します。第一王子殿下はじめ皆様にはお初にお目にかかります」


 少年魔術師は少しも言い淀むことなく、堂々と自己紹介を述べた。


「わが師魔塔主より、ルエル公爵令嬢カミーユ様宛に魔塔への招待状をお持ちいたしました」


 アンセルムは銀色の蝋で封印された一通の黒い封書をカミーユに差し出した。カミーユはそれを受け取ると少年魔術師に微笑んだ。


「ご苦労、アンセルム殿。謹んでお受けする」


 アンセルムは片膝を床につけ、左手を胸に当てて恭しくお辞儀をした。お遣いがうまくいったので、彼の口元には薄い笑みが浮かんでいた。


 もう一度ドアの前でお辞儀をすると、彼は図書室を出て行った。



「魔塔主直々の招待って……」


 ノエルがつぶやく。


「僕でもまだない。たしかカミーユ嬢は、魔力の制御を魔塔主に師事することになっているんですね?」


 オーブリーの問いにマルクは驚く。


「え? まさか、カミーユ嬢は魔術が使えるのですか?」


「はい、多少は」


 カミーユはためらうことなく即座に応える。


 多少なんて程度ではないわ。時間を止められるのよ? と、ジゼルはひそかに苦笑する。


 何かを考えこむマルクを横目で確認して、カミーユは知らぬふりを通す。


「魔塔について何かご存じのことがあれば、教えていただきたいのです。たとえば先ほどの使者アンセウムのローブの色ですが、魔塔の魔術師たちはみんなあの色のローブなのですか?」


 カミーユの質問に一同は首をかしげる。


「そうですね。魔塔自体、あまり他所とは交流がないので、知られていることは少ないと思います。ローブの色は一般の魔術師たちが青、彼のように中級の魔術師たちは紫、高度の攻撃魔術を使うことのできる上級魔術師は黒に近い紫のローブを纏うと聞いたことがあります。ちなみに、魔塔主は黒いローブです」


 オーブリーが答える。


「なるほど。高度な攻撃魔術とは?」


「例えば、他国との戦争で主力兵器となるような魔術のことです」


「では、今現在、上級の魔術師は魔塔にどれくらいいるのですか?」


「うーん。一般の魔術師が百人前後、中級がその半分。上級は五人ほどでしょうか。中級では先ほどの少年が最年少でしょう。特に上級は認定が難しくて、現在の最年少は三十歳だとか」


「三十歳? もっと若い上級魔術師がいるでしょう? 私たちくらいの」


 カミーユの問いにオーブリーは苦笑して首を横に振る。


「十代の上級魔術師はいないと思います。成長期ではマナの量も魔力も十分とは言えず、魔力も安定しないですから、どんなに優秀でもせいぜい中級です」


「……そうですか」


「魔塔は秘密主義だから、国家魔術師とはいっても国に申告していない機密も多いようです。招待されたことだし、直接魔塔主に訊いたほうがはっきりするでしょう」



 あの濃い紫のローブの男は、どう見ても十八、九だ。そんなに若い上級魔術師はいないとなると、可能性はふたつ。


 魔塔の上級魔術師を装った民間の魔術師。だが、王城内にいたことでその可能性は低い。兵士たちは彼を「グリ様」と呼んでいた。第一王子にグリという名前に訊き覚えはないか訊いてみてもいいが、そうすると今朝の自分の行動を説明しなければならなくなり、あらぬ誤解や疑いをかけられると面倒だ。


 それに……先日、王城から逃げた三人の賊のひとりが今朝のローブの男だった。逃げていたなら第一王子の立太子を望まないシャイエ派。でも、囚人を捕まえようとしたら邪魔をするなとウァラクが怒鳴られたということは、今朝は追う側、任務に忠実な魔塔の国家魔術師であったのだろう。


 つまり、魔塔所属の国家魔術師であることは確かだが、正体を明確にしていないことから、何者かに命じられて動いている第一王子立太子賛成派かシャイエ派どちらかの……間諜かもしれない。


 ……これはこの場で、第一王子と彼の未来の側近たちを相手に話すことではない。今後のためにも、下手な誤解を受けたくない。カミーユは適当に話を切り上げることにした。




 結局その日はいつもとは少々違った雰囲気でサロンはお開きになった。


 自分やサビーナと違う、圧倒的な美女カミーユの存在感をジゼルは傍らで体感して感動を覚えた。世慣れた態度の年上の幼馴染たちも、カミーユの前ではシャイな子犬たちのようだった。


「今朝はどこへ……」


 回廊を戻る途中、今朝のことを訪ねようとするジゼルに、カミーユは人差し指を唇の前に立てて制した。彼女の琥珀色が散った美しい青い瞳が左後ろに向けられたので、自分たちの会話が誰かに聞き耳を立てられていることに気づき、ジゼルは言葉を飲み込んだ。




 誰かに、つけられている。




 カミーユはそっとジゼルの腕に自分の腕を絡めて立ち止まらせた。


 ジゼルは従姉妹を見つめてこくりと小さくうなずく。


「出てこい」


 カミーユは人影のない背後を振り返って、静かに命じた。



 少しの間を開けて、回廊の石の床にコツコツと靴音が聴こえる。


「あ……」


 背後に歩み寄る人物を振り返って見て、ジゼルは驚きでヘーゼル色の瞳を大きく見開いて息をのんだ。

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