第9話

カミーユは小さくため息をつく。



(まったく、せっかく狩りの許可を出してやったというのに、あいつらはどこで何をしているのやら……)



 魔獣のような狂人が襲い掛かってくる。


 魔界では万年下級の魔力しか持ち合わせてはいないが、師のメフィストフェレスに言わせれば、そんなカミーユでも人間界では十分すぎるほどの魔力を持つことになるらしい。


 人間の魔術師はほとんどが魔方陣を描いてじゅを詠唱して魔力を操るという。しかし、彼女はそんな必要はない。




 念じればいいだけ。




 カミーユに襲い掛かる寸前で、男の体はカミーユの魔力に跳ね返されて、その巨躯は石畳に激しく打ち付けられた。


 男の着地点を中心に石畳が放射線状にひび割れ、あちこちが無作為に盛り上がる。普通の人間ならば気を失うか、打ち所が悪ければ即死するほどの威力だ。


 それでも異常に凶暴化した男は痛みを感じないらしく、咆哮しながら跳ね起きた。そして獣のように荒い息をつく。両方の目玉が飛び出さんばかりに盛り上がり充血し、猛犬のようによだれを垂れ流している。


 カミーユは口の端を引き上げて皮肉な笑みを浮かべる。


「人間にしてはしぶといな」


 男はまた咆哮と共に襲い掛かってくる。


「学習しないとは、低能はなはだしい」




 とどめを。




 カミーユが突進してくる男の脳天を割ろうと邪視を向けようとした時――にわかに強い魔力を感じた彼女はつい気をそらしてしまった。


(しまった……!)



 両手を顔の前にかざし、防御の姿勢を取る。弾くことはできるだろうが、もしかしたらダメージを受けるかもしれない。


「……!」



 一瞬、周りのすべてを飲み込むような強い閃光が走る。



 両手の隙間から眩しさに目をすがめつつ見上げると、閃光の中、男の体は宙で左右にばりぼりと引き裂かれた。


 びちゃり、ぼとぼと。


 べしゃっ。


 大小無数の肉塊と化した狂人の体が石畳に落ちる。



 カミーユは息をのむ。


 狂人の死体の三メートルほど後ろ。


 濃い紫のフード付きの長いローブをまとった男がひとり立っている。


 背が高い。


 男の眼もとはフードの陰になってよく見えないが、顔にかかる髪はシルバーだ。


(――この男だ)


 カミーユは確信する。彼女が感知していた、強力な魔力。


 数日前に街中で見かけた、時を止めたあの騎馬の男。



 カミーユは目を見開いた。


(これほど強い魔力を持つ人間がいるなんて……しかも、あのかた・・・・ととてもよく似た魔力!)



 呆然と立ち尽くすカミーユが恐怖で固まっているとでも思ったのだろうか、男は殺気を収めてフードの下でうつむいてぼそぼそと呟いた。


「……驚かせるつもりは……」


 低い声。その声までもが、カミーユの知るある存在によく似ている。


 彼女は何かを考えるよりも先に、一瞬のうちにローブの男の目の前に移動した。男は驚いて身を固くする。彼は普通の令嬢にそんなことができるとは思いもしなかったらしい。


「なっ……?」


 彼が反応するよりも速く、カミーユは華奢な手で男のフードをさっと外した。そして彼の顔の下半分を自分の手で覆って彼女は息をのんだ。


やはり、時を止めたあの男だ。しかも。



(ベリアルさま……?)



 彼女はゆっくりと男の顔から手を下ろした。驚愕した男の顔は、彼女の憧れの大悪魔ベリアルとそっくりだった。


 善も悪も魅了する恐ろしいまでの美貌。神秘的で魅惑的で、壮絶で絶対的。まさにその美しさゆえに神に愛され、疎まれて地獄に落ちた堕天使。


 しかも彼は、魔力までもがベリアルに似ている。




(人間のはずなのに……なぜこうも、あのかたに似ているの?)




 つややかなシルバーの髪、そして金色の光が散った、緑がかった青の瞳。なにもかも、ベリアルと同じだ。




 男もまた、至近距離でカミーユを見て驚愕した。


 令嬢の顔など誰のものもまともに見たことはないが、まぎれもなく、彼女ほどに美しい女は稀有であろう。


 ダークシルバーのゆるやかにながれる髪、すべてが整った黄金比の完璧な美貌。そして何よりも、藍色の上にあかるいアクアブルーが浮かび、中心には琥珀色が散った、そのえもいわれぬ美しい瞳。


 人間離れしたその美しさに、彼はしばし我を忘れて見とれた。ふたりとも、それぞれの意思に反してお互いを食い入るように見つめ合う。




 ――噴水のほうで、何か光ったぞ!


 ――たぶんグリ様の魔法だろう


 ――皆の者、庭園に向かえ!




 近づいてくる複数の声に、ほぼ同時にふたりはわれに返った。


 兵士たちの声が、だんだん近づいてくる。




 ローブの男は一歩下がってフードを目深にかぶりなおした。そして「失礼」と小さく呟くと声のするほうに向かって足早に歩き出した。



 カミーユは何ひとつ納得できなかったが、兵士たちが来る前にその場を去ることにした。ローブの男が背を向けた瞬間に、彼女は姿を消した。



「!」


 ローブの男は再び噴水を振り返って息をのんだ。


 そこにはすでに、あの美しい令嬢の姿は忽然と消えていた。



 狂人に襲い掛かられたというのに、彼女は怯えることもなかった。彼がその狂人を真っ二つに裂いて殺しても、悲鳴を上げることも気を失うこともなかった。


 そして……見たことのない完璧な美貌。


 彼女は一体、何者なのか。


 彼ほどの魔力の持ち主ならば、普通ならその人の持つマナの量、性質、魔力の強さまでわかるはずなのに……彼女からは全く何も感じなかった。それどころか、気配オーラさえも感じ取れなかった。



 そんなことは、彼にとって初めてだった。




 

 王城の東の塔の最上階。


「お前たち、どこで何をしておやつを食べそこなった?」


 小さな見張り窓から外の景色を見下ろしながらカミーユが訊くと、彼女の目の前にしょんぼりとうなだれる夢魔は唇を尖らせて言い訳をした。


「それが……ごちそうを捕まえようと思ったら、なんだかものすごい強い魔力を感じて……怖くて動けなくなってしまったんです」


 彼女の隣でうなだれる少年悪魔もごにょごにょと言い訳をする。


「まじで怖かった。この前、街中で感じた強い魔力の残留気配、たぶんそいつだと思う。竜の姿になって脅そうとしたら、先手を打たれて稲妻で捕縛されたんだ。邪魔をするなって怒鳴られた。捕縛はすぐに溶けたんだけど、なんだあれ、人間かな。まるでベリアル様みたいな超絶すさまじい魔力だった。まさかご本人だったのかな?」


「ベリアル様なら、あんたも私も嬢さまもわかるはずよ。確かに……すごく似てたけど、あの魔力は……あれは人間のものだわ」


「濃い紫のローブをまとっていたな。その男が脱走した囚人を殺した。確かに、ベリアルさまに魔力がとても似ていたな。しかも、顔もそっくりだった」


 カミーユはため息をついた。


「えええ? ベリアル様とそっくりの人間なんて、信じられませんよ! あの方の美貌は、天界でも魔界でも比類なきものなのに!」


「そうだが。お前も見れば納得するよ」


「うーん。濃い紫のローブってことは、魔塔の魔術師だな。でも大悪魔に匹敵する魔力を持つ人間なんているのか? お嬢、ジネブラ様に会いに行った時に訊いてみればいいよ!」


「確か、グリと呼ばれていたな」


灰色グリですか……魔塔にそんな魔術師はいないはずですが……」



 カミーユはローブの男のことを考えた。


 本当に、ベリアルにそっくりだった。美しき堕天使、地獄の公爵ベリアル。


(そんな彼にそっくりの人間がいるなんて……しかも人間にしては恐ろしく強力な魔力を持っている……)


 彼ぐらいの魔力があれば、人間の国のひとつやふたつ滅ぼすことなど容易いことだろう。


 それなのになぜ、紫のローブに身を包みこの王国のために働いているのだろうか。



「近いうちに、魔塔主を訪ねる必要があるな」


 カミーユは独り言のようにそう呟いた。

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