第8話

「……どうかしたのか?」


 驚くジゼルにカミーユが平静を装って尋ねた。


「あれは近衛騎士団だわ。なぜ街中であんな……」


「ウァラク、調べて来い」


「御意っ!」


 空気がしゅっと一瞬揺れたかと思うと、ウァラクの姿はもうどこにもなかった。二分くらいして、また彼は突然姿を現した。


「どうやら、王城から賊を追跡していったらしいよ!」


「賊? 暗殺者のようなたぐいか?」


「それはよくわからないみたいだけど、謁見の間の王座の背に第一王子を王太子にすれば国に災いが起きるという怪文書を貼っている不審者とかなんとか」


「えっ?」


 ジゼルは息をのむ。


(そんな……)


「ということは、反第一王子派の仕業か」


「カム。そんなことを口にしたら危ないわ……」


「大丈夫だ。このテーブルの周りには音が漏れないよう、防音魔法を施してある」


「そうなのね……それにあなたには、その一派が何なのかもうわかっているみたいね」


「人間界に来る前に、師からこの国のことはひとおとり学んだからな。十中八九、シャイエ派だろう」


「ええ、可能性は一番高いでしょうね。第二王子の生母であられるマルグリッド夫人のご実家、シャイエ侯爵家。現当主は夫人の実の兄君」


 ジゼルはため息とともに目を伏せる。


 カミーユはまた別の意味で一人考え込む。先ほど、時を止めて馬を駆って行った三人の男たち。彼らがどうも怪しい。


 あの、一番後ろを走って行った男……あの男の瞳は……




 すでに第一王子が立太子することは三年前からの決定事項だが、シャイエ侯爵とそれに賛同する貴族の一派は第二王子を新たに立太子させるという野望のもとに反逆を企てているらしい。


 当の第二王子クリストフは王位にも政治にもまるで興味を示すことなく、のらりくらりと遊び暮らしている。彼が唯一心血を注ぐのは剣術くらいだ。しかし彼の生母と伯父は、絶対的な権力を欲していた。



「そういえば」


 ウァラクは何か思いだしたように天井を見上げて言った。


「追跡されていた賊は三人くらいいたらしいけど、この店の前の道を逃げて行ったらしいんだ。そんなやつら、見たっけ? 今、マナの形跡を微かに感じたんだけど、人間にしては相当強い魔力の魔術師がひとり、混じっているみたいだ。なんていうかな、あんな強い魔力の人間なんているのかってくらい強い」




 カミーユは心臓が口から飛び出そうになるのを堪え、無表情で平静を装ってふうんとうなずいた。


 三人。


 やはり先ほど時を止めて逃げて行った男たちのことだ。





 

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 翌々日。

 

 第一王子のサロンが開かれる。王子からカミーユに正式な招待状が来たので、ふたりは少し早めに登城することにした。


「お前たち。くれぐれもおとなしくしていろよ」


「はい」


「へーへー」


 カミーユは馬車の中に残していくリリアとウァラクにくぎを刺す。リリアは神妙にうなずき、ウァラクは適当に返事をする。


 どうせ止めても子猫の姿かあるいはもとの姿で城内をふらつくだろう。


 いつもは地味なジゼルは、あまりに地味だとカミーユの侍女と間違われるというリリアの苦言を受けて、本来のかわいらしさを生かす装いをしている(というか、させられた)。


 この世のものとは思えないほどに神々しい美しさを放つカミーユは、装飾の少ないシンプルなドレスを着ていても人目を引いた。馬車止めからずっと、すれ違う人々は彼女の美しさに驚いて歩くのも忘れてぼんやりと立ち止まってしまう。


 ジゼルはハニーブロンドを生かしてゆるめのハーフアップにピンクのガーネットでできた小バラの髪留めを挿している。カミーユはダークシルバーの髪を同じようにハーフアップにして、深いブルーのサファイアでできた一輪バラの髪留め。ジゼルは可憐に、カミーユは美しく、ふたりは金と銀の妖精のように見える。



「ねぇ、カム。くれぐれも王子殿下には口調、気を付けてね」


 回廊を歩きながらジゼルが念を押す。


「わかっている。面倒だが仕方がない」


 わかっているのかいないのかわからない態度でカミーユがつんと応える。そして彼女はかすかに眉根を寄せる。


「それよりも。人間の王城も普段からこのようにまがまがしい気配が漂っているものなのか」


「え? まがまがしいですって? いいえ。いたってすがすがしい朝じゃない……うん? なんか、騒がしいわね……」


 回廊の奥から多くの人々の靴音と声が聞こえてくる。十メートルほど先のT字路を、衛兵たちが駆けてゆく。


「何かあったのかしら?」


 ジゼルは首をかしげる。

 



「あっ、ジス!」


 王室第二騎士団の青鈍色の騎士服の少年が、ジゼルに気づいてこちらに向かって駆けてくる。


「あっ、ファビアン!」


 ジゼルも少年に気づいて名前を呼ぶ。ひとつ年下の幼馴染のファビアンだ。まだ華奢な体つきながら背はすでにジゼルよりも十センチは高い。ダークオレンジの髪に、少し垂れ気味の明るいグリーンの瞳。やんちゃな感じの少年騎士だ。


「ジス、魔力で凶暴化された暗殺者の囚人が、さっき地下牢から脱獄して逃亡中なんだ。捕まえるまで謁見の間に行くんだ。国家魔術師たちが防御のシールドを張ってるから」


「そんな……」



 キ—―ン、と耳鳴りがする。


 


「あっ!」


 ジゼルは小さく叫ぶ。


 また……


 時間が止まっている。


 カミーユを振り返る。


「カム?」


「その囚人が捕まればいいわけだな」


「はい?」


「ちょっと、様子を見てくる。お前はその騎士について行け」


「カム!」


「見つけたら殺してもいいか?」


「そ、それは、私には何とも……」


「リリア、ウァラク。退屈しのぎに狩りでもして来い」


カミーユがそう呟くと、彼女の背後にメイド姿の少女と騎士服姿の少年が現れる。


「見つけたら、精気を吸い尽くしてもいいですか?」


 赤い瞳をらんらんと輝かせた少女がかわいらしく首をかしげる。


「何を。俺が先に見つけて骨まで残さず食い尽くすぜ!」


 青い目をぎらぎらと輝かせた少年がぺろりと舌を出して上唇をなめる。


「早い者勝ちだな」


 カミーユがそういうや否や、二匹の悪魔の姿はもうそこにはなかった。



「カム」


 ジゼルは不安げな視線を、何かを感じ取ろうと宙を見つめるカミーユに向ける。


「先ほどから、ある知り合いによく似た強い魔力を感じる。何者なのか確かめたらお前の所に行くから、先にその騎士と行っててくれ」


 カミーユは小さな子供に言い聞かせるようにゆっくり穏やかに言った。


「わかった。確かめたらすぐに来てね。危ないことはしないでね」


 カミーユは唇の端を少し引き上げた。



 はっ。ジゼルが我に返るとすでにそこにはカミーユの姿はなかった。


 兵士や衛兵の怒号。多くの足音。


「ジス!」


 ファビアンは彼女の手をつかんだ。


 ジゼルはうなずいて彼に従った。


 


 庭園。バラの花が咲き乱れている。

 

 遠くから兵士たちの声が聞こえる。


 あっちだ、森の方向へ逃げたぞ、五人殺されてる、などと叫んでいる。



 円形の噴水の前に立ち、あたりに漂う強い魔力の流れをカミーユは感じ取ろうとしている。


 強く、圧倒的な、そして抗いがたいほどに魅惑的な魔力。


 彼女がよく知る、ある大悪魔のそれにとてもよく似ている。


 彼女は目を閉じる。


 近い、近づいてくる。


 カミーユはその感覚を思い出し、うっそりと微笑む。


 これは……



 美しく刈り込まれた垣根が突如乱暴になぎ倒される。


 カミーユは目を開けてゆっくりと乱入者のほうに目を向ける。


 薄汚れた簡易な服のところどころは斬られ、破れ、引き裂かれて返り血にまみれている。腕、わき腹、太ももも斬られてあちこちから流血している。


 大柄で筋骨隆々の、鍛えあげられた体格のいい男。


 魔力で凶暴化されたと、先ほどの少年騎士が言っていた。なるほど、囚人生活でやつれていてもおかしくはないのに、盛り上がった筋肉に血管が浮き上がっている。瞳孔が開き切って血走った薄茶色の目はらんらんと狂気に輝いている。



 男は噴水のそばにたたずむカミーユを見ると、獣のように咆哮しながら彼女めがけて狂ったように走り出した。

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