二匹の悪魔と謎の魔術師

第7話

翌日、城下町へ向かう馬車の中。



 座席にはジゼルとカミーユが向かい合って座っている。カミーユの隣には二匹の黒い子猫。


 ガタゴトと馬車は揺れながら石畳の道を進む。


 ジゼルは二匹の黒い子猫たちをじっと見つめている。


「なぜこの者たちをそんなにじっと見つめる?」


 カミーユの問いにジゼルは二匹から目をそらさずに真剣に答える。


「いえ、便利だなと思って。四人で乗るには少し狭いから。子猫ならば人ひとり分にもならないものね」


 一匹は丸くなって眠っている。もう一匹も大きなあくびをしている。ジゼルは二匹をそれぞれ指さす。


「赤い目のほうが女の子でリリア、青い目のほうが男の子でウァラク、でしょう?」


「うん」

 


 

 昨夜、晩餐のあとにジゼルはカミーユの部屋へ遊びに行った。


「おかえりなさぁい~」


 黒いメイド用のお仕着せドレスにフリルの付いたかわいらしい白のエプロン姿の十三、四歳くらいの美少女が、カウチに寝転がって両手をふりふりと振った。


 ジゼルは面食らってひっと小さく叫ぶ。大きな赤い瞳はすこし吊り上がっていて、ネコのように見える。長い艶やかな黒髪は左右でおさげに編まれている。メイドにしては主人が戻ってきたのに態度が大きすぎる、というか傍若無人以外の何ものでもない。


「ん。ウァラクはどこへ行った?」


 カウチに寝転がるメイドの少女を気にするでもなく、カミーユはその向かい側のソファに座ってジゼルにも隣に座るよう指で差して促した。


「あいつはおなかが減ったと言って、狩りに出かけました」


「まさか、人間は食わないようにとお前も念押ししただろうな?」


「はい。人も家畜もペットも食わないように言い聞かせました。今頃は近くの森で、野生の獣か魔獣でも捕まえているでしょう」


「ならよい。ジス、これは夢魔のリリアだ。リリア、この人間は私の従姉妹のジゼルだ。襲うなよ」


 ひょいひょいとそれぞれを指で指し示し、カミーユは簡単な紹介をした。



「夢魔?」


 ジゼルは眉をひそめた。


「夢魔って、あの夢魔? 彼女は女の子だからサキュバスってこと? こんな幼いのに?」


 ジゼルのいぶかし気な質問に、ごろりと起き上がったリリアはくすくすと笑って妖艶な美女に姿を変える。黒いオーガンジーの短いローブ姿はどこを見てよいのかわからないくらい露出度が高くて、ジゼルは思わず赤面して目をそらした。


「これがお仕事する時の本当の姿。子供姿は普段人間の前に姿をさらすときね。もっと魔力を省エネするときは、これ」


今度は妖艶な美女は、赤い目の黒い子猫に姿を変えた。


「うわぁ……」


 ジゼルは目を輝かせる。黒い子猫はあおむけになり、カウチの上でころりと大の字になる。


「そういうことで、リリアは子供メイド、時々夢魔の本当の姿、時々猫だ。それからもう一匹。今戻るように命じたからもうじき現れるだろう」


 そう言い終わるや否や窓辺のカーテンがふわりと揺れて、バルコニーに何か大きな影が差して、軽いものがふぁさりと着地した微かな物音がする。



「なんだよお嬢! せっかく大物をしとめようとしてたのにいいところで呼び戻すなんて! 欲求不満になるじゃないかっ!」


 痩せてひょろりと背の高い少年が立っている。肌は浅黒く、艶やかな黒髪に真っ青な瞳。ジゼルと同じくらいか、少し下か。人間でいえば十五、六歳くらい。彼も夢魔と同じく恐ろしく美形である。機嫌が悪そうに開いた口の中には鋭い犬歯がちらりと見える。


「こちらへ来い。私の従姉妹に自己紹介をしろ」


 カミーユの命令に唇を尖らせて少年は窓辺から歩いてくる。こちらはネイビーのコートと白のトラウザーズに黒革のロングブーツと、公爵家の騎士団の騎士服を着ている。少しの足音も立てずにジゼルの座るソファの脇まで来ると、少年は片膝をついて恭しく頭を下げた。


「ウァラクです、ジゼル殿。以後お見知りおきを!」


「ああ、はい。よろしく。もう私の名前、ご存じなのね。あなたも夢魔なの?」


「はぁぁぁ? こいつと一緒にしないでくれる? 俺はもっと崇高な悪魔だから。一応人間界ではお嬢の護衛で公爵家の騎士ということで。人間でいえばソードマスターってやつに強さは調節してある。時々黒いドラゴン、時々こいつみたいにネコ、基本はこの姿、たまに頭がふたつあるドラゴンに乗る。よろしく!」




 

 ――というようなやり取りがあった。


 目の前のかわいい黒い子猫たちは、夢魔と、ドラゴンに変身する少年悪魔なのだ。


「あの」


 ちらり、ジゼルは従姉妹を上目遣いに見る。


「うん?」


 人間の世界でも恐ろしいほどに美しい容姿を持つカミーユは従姉妹を気だるげに見返した。


「もしかして、カム、あなたもその……別の姿になったりするの?」


 その問いにカミーユはいたずらっ子のようににやりと笑む。


「ああ、お前の家を片足のひと蹴りで倒壊させるほどの巨大な銀のドラゴンに変身する」


「ホントに⁉」


「いや、うそだ。半魔がそんなものに化けられるわけないだろう?」


「……はは」


 からかわれたとわかり、ジゼルは乾いた笑みを浮かべた。


 


「お嬢様、到着いたしました」


 馬車が止まり、外から御者が声をかけてくる。


「ウァラク、リリア、起きろ。降りてお前たちの仕事をしろ」


「ふぁ~い」


「御意!」


 二匹の子猫は一瞬のうちに護衛の少年騎士とお仕着せの少女メイドに姿を変え、扉を開けて先に外に飛び出る。


 御者が踏み台を置き、外からウァラクが手を差し伸べる。ネイビーと白を基調とした公爵家の騎士服姿の彼は「悪魔的なほど」とても美しくて、道行く人々が見とれている。


その手を取って石畳に降り立ったジゼルは美しい従姉妹を振り返って微笑んだ。


「さあ、楽しみましょう!」



 まずは最新流行のドレスをオーダーメイドする店だ。


 邸に呼びつければいいのに、という祖母を説得して、わざわざ店まで出向いてきたのだ。街に来れば他のところにも寄り道し放題だからだ。


 その容姿のすばらしさを称賛され、あちこちを採寸され、カミーユは花がしおれるようにどんどんぐったりしてくる。靴や小物を選ぶのも面倒そうだ。宝飾店でも、店員とジゼルがノリノリで、リリアは飽きてウァラクに蹴りを入れて退屈をしのぎ、カミーユは機嫌が悪くなってくる。



 ようやく一軒のティールームに入って落ち着くと、彼女は機嫌を取り戻した。


「魔界にもドレスショップや宝飾店やティールームはあるの?」


 ジゼルの無邪気な質問にカミーユは冷ややかな視線を送る。


「あるわけないだろう? ほしいものなど頭の中に思い浮かべれば限りなく出現させることができるのが普通だ。魔界では人間の嗜好品などないし」


「では、クッキーやビスケット、ケーキの代わりに何をおやつにするの? ホットチョコレートやたっぷりのお砂糖とミルク入りの紅茶の代わりに何を飲むの?」


「天界も魔界も、飲み食いする必要はない」


「そうなの? でもこのふたりは……」


 ジゼルは同じテーブルで無心にケーキやタルト、甘いペイストリー類をがつがつむしゃむしゃと平らげ続けているリリアとウァラクを横目で見て苦笑した。


 カミーユは額に手を当てて目を閉じる。


「こいつらは卑しいだけだ」


「ひどい! 嬢さま、こんな甘くておいしいの初めてで感動してるんです!」


「そうだよお嬢、ものめずらしいんだ!」


「はいはい。もっと人間らしく食え。不審な目で見られたら、師に報告するからな」


「いやっ、それだけはご勘弁ください! メフィスト様の拷問はエグいです!」


「んぐ! 菓子がまずくなるような脅しはやめてくれよ!」


「だから静かに食えと言っているのだ」



 三人(ひとりと二匹?)のやりとりをジゼルは楽しそうに見つめている。


 こんなに楽しいお茶の時間は、初めてかもしれない。あまり人目につかないように奥の席に視線よけのスクリーンまで立ててもらっているので、ふたり(二匹?)がどんな食べ方をしようと、気にする必要ないけれど。



「……」


 ぴく、とカミーユの右眉が上がった。


 彼女は無意識に呼吸を止めた。




 時が――止まる。




 彼女の仕業ではない。リリアとウァラクは意地汚くおやつを貪ったまま静止しているし、それを見つめるジゼルも微笑んだまま動いていない。


 金縛りにかかったようにカミーユも体が動かない。キーンとひどい耳鳴りがする。


「!」


 ズシリと重い何かを感じた。


 体は動かないが、ものすごい力で頭を抑え込まれて床に体がのめりこみそうだ。




「何か」が、近づいてくる。




「……っ!」


 眼球だけはかろうじて動く。ただならない魔力を感じて窓の外を見たとき、彼女は驚愕して目を見開いた。



 通りを騎馬で駆け抜けてゆく、黒いマントを羽織った三人の男たち。


 周りの時が止まっているにもかかわらず、彼らは馬を駆っている。


 つまり、彼ら――あるいはその中の誰かが時を止めているのだ。


 ひゅ、っとカミーユは息をのんだ。


「……!」


 三人のうちの一番後ろを走っていた男。


 黒いマントのフードを目深にかぶり、その上から黒い布で顔の下半分を覆い隠している。


 その男と一瞬、視線が絡み合った。


 金が散った、ブルーグリーンの瞳が窓越しに彼女を見て驚きで見開かれた。


 多分、一秒もない……ほんの刹那。


 三人は瞬く間に走り去ってしまった。





 はっ、とカミーユは息をつく。


 リリアとウァラクはがつがつと高級な菓子を平らげ続けている。それを見てジゼルがにこにこと微笑んでいる。スクリーンの向こうからは店内の人々の話声や笑い声、食器の立てるかすかな音などが穏やかに響いて聞こえてくる。




 ――誰も何も、気づいていないのか。悪魔たちリリアとウァラクさえも?




「……」


 カミーユは先ほど目が合った男のことを考える。あの目。金色が散ったブルーグリーンの瞳なんて、そんな稀有な色の瞳を持つ者など、カミーユは人間界に降りてくる前からただ一人しか知らない。





 ふと、外の通りが騒然となる。


 道行く人々が悲鳴や大声を上げながら、両脇に急いで非難する。地響きが低くとどろく。


 そして間もなくそこを騎馬の青い制服姿の騎士たちが二十名ほど走り抜けてゆく。


「何かしら……」


 ジゼルが窓の外を覗いて眉をひそめる。




 そして彼女は通り過ぎる騎士たちを見てあっと小さく叫んだ。

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