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第4話

ジゼルが振り返ると、そこには感情の読めない冷やかな表情のセヴランが立っていた。



 ジゼルはセヴランのことも幼い頃からよく知っている。


 特別かわいがってもらったわけではないが、アレットに仲間外れにされたり置いてけぼりにされて泣いていると無言でハンカチを差し出してくれたり、手を引いて令息たちの輪に連れて行ってくれたりしていた。


 彼は幼い頃からあまり感情を現さない子供だった。


 何を考えているのかわからないところは、昔から変わっていないが実は決して冷たい人ではない。


 ひとつ年下の妹のアレットの苛烈な性格を嫌っていて、彼女とは仲のいい兄妹とは言えない。




「な、なにをでしょうか?」


 彼が何を見たのかを問うているのかがはっきりしないので、ジゼルは恐る恐る質問で返してみる。


 彼の妹アレットの失態のことだろうか?


 王子がサビーナをかばうために令嬢たちの中へ突入したことだろうか?



 それとも……



「彼女、笑ったでしょう?」


「えっ?」


 ジゼルは心臓が飛び出しそうなくらい驚いた。


「サビーナが、さっき殿下にかばわれて彼の背の陰で笑ったでしょう?」


「あ……」



(やっぱり、私の見間違いではなかったのね……セヴラン様も、ご覧になったのね)



「殿下が彼女をサロンに連れてこられたころから、彼女の言動に違和感を感じはじめて。それで注意して観察するようになってわかったんです。彼女は意図的に殿下に近づいたのだ、とね」


「ええ?」


 ジゼルは目を大きく見開いて驚きの声を上げた。そしてすぐにはしたなかったと気が付いて、自分の口を手でふさぎ、セヴランに謝罪した。


「し、失礼いたしました」


 セヴランは小さなため息をついた。そして穏やかな目でジゼルを見て、口の両端を少し引き上げた。


「大丈夫です、ジス。ほかに人はいませんから、幼い頃のように気楽に話しましょう」


「あ、はい、セヴィお兄様」


 ふたりはお互いを幼い頃の愛称で呼んだ。

 


 午後の光が斜めに差し込む回廊。


 柱のひとつに寄りかかった物憂げな様子のセヴランは、淡々と話した。



「初めは誰もが少し彼女に同情していました。母親がメイドだったために子爵の私生児として隣国の修道院で忘れられたまま育ち、ある日突然、跡取りが必要だという理由で何もわからないまま子爵家に呼び寄せられた。王太子となることが決まっている第一王子に砕けた接し方をしても、修道院育ちの世間知らずなら仕方がないかと皆も大目に見ていました」


 たしかに、サビーナは貴族としての作法をすべて身に着けているとは言えない。


 第一王子に対する敬意がないわけではないが、上位の貴族令嬢でも絶対にしないようなことを平気でしてしまう。初めて参加した舞踏会では自分からオーブリーにダンスを申し込んだり、図書館で待ち伏せして偶然を装って話しかけたり。


 普通の令嬢がしない、というかできないことなので、令嬢たちからすれば規則やぶりで小ずるいやり方に見えて腹が立つのだ。


 だからアレットがサビーナを攻撃するのは令嬢たちのルールを無視するからであって、本当は「理由のない意地悪」ではない。



 作法がどんなに重要なことかは貴族に生まれれば誰しもが厳しく教えられることだから、アレットから見ればサビーナの言動はでたらめすぎて腹立たしいのだろう。


 オーブリーはあまり作法の細かいことに関しては、気にしてはいないようだ。


 それどころか、サビーナの素朴さになにかしらの新鮮な魅力感じているようだ。


 彼の周囲には今までいなかったタイプ。妹分として周囲に認められているジゼルでさえ、サビーナがするようにべたべたとオーブリーに触れたり彼の飼い猫のように甘えてすり寄ったりしたことはない。



「彼女は無邪気さを装っているのだと思います。殿下だけではない、私やノエルや第二王子殿下にまでも媚びを売るのです。しかも、相手によって微妙に接し方を変えているので巧妙と言えば巧妙です。最近はちょっと油断してきたのか、先ほどのようにボロを出すこともよくあります」


「それは……どのようにしてわかったのですか?」


 ジゼルの問いにセヴランは薄い唇の片端を引き上げて苦笑した。


「おかしいと思い始めたころから、何度がアレットをけしかけてみたんです。わざと殿下が目に付くところで、彼がすぐに気づくように仕向けて。すると先ほどのように、数回に一度は、あのようにボロを出すことに気づいたのです」


「ええ? いや、セヴィお兄様、けしかけてって……それはまずいのではないですか? アレット様は王太子妃になることをお望みなのに……」


 そのような、噛ませ犬のようなことは……と、は言えずにジゼルはもごもごと言葉を濁した。


「かまいません。幼い頃からの友人として、そして将来の君主にお仕えする従僕として、私は我が妹が殿下にふさわしい伴侶ではないと思っていますから」


 殿下も我が妹は苦手のようですしね、実の兄の私も苦手ですがとセヴランは肩をすくめた。



「とにかく、彼女は無邪気でも純粋でもないと思います。令嬢たちにいじめられている自分を殿下にわざと見せつけているように思うのです。つまり、愚かなアレットは彼女に利用されているのですよ。ジスはアレットからサロンでサビーナを監視するように命じられているのでしょう? 適当に当たり障りのないことだけ伝えればいいですから」


「わぁ……すべて、ご存じなのですね……」


 ジゼルは尊敬のまなざしでセヴランを見上げた。


 


「ああ、ジス! よかった、まだいたな。セヴラン、呼び止めておいてくれてありがとう」

 

 回廊を速足で戻ってくるオーブリーが手に持っていた本を掲げる。彼のキャメルブロンドの髪が回廊の柱の隙間から射す日の光できらきらと輝いている。


 ジゼルの心臓は大きくどきりと跳ね上がる。



「先ほどの話は確信が持てるまで、内密に」


 セヴランがジゼルにだけ聞こえるように早口で囁いたので、ジゼルはこくりと微かにうなずいた。



 オーブリーがふたりの前まで来て足を止める。


「サビーナ嬢は帰ったのか?」


 セヴランの口調がさらに砕けたものになる。


「ああ、帰ったよ。この本をジスに渡そうと来たのに……厄介なものに出くわしてしまったな」


 オーブリーは一冊の本をジゼルに差し出した。


「殿下、これは……?」


 ジゼルが首をかしげて本を見つめると、オーブリーは微笑んだ。


「なんだ、セヴランと僕しかいないんだ。くだけた呼び方をしてほしいな、ジス」


 ジゼルは恥ずかしくて赤くなった顔を隠すために少しうつむく。



「は、はい、ビーお兄様」


「うんうん、そんな感じで。それで、この本、これ、ジスに貸してあげようかと思って。タムニ語のきみのお気に入りの作家の最新作の詩集」


「えっ? 手に入ったのですか? すごい!」


 ジゼルは自分の本を持っていないほうの手で、彼から差し出された本を受け取る。



(うれしい、けど、お、重い……)



 分厚い本が自分の分と合わせて二冊。ジゼルの引きつった顔を見てセヴランが苦笑する。


「どうやらジスには重そうだぞ」


「うん? そうか? ならば僕が馬車まで持って行ってあげよう」


「そんな、大丈夫です」


「遠慮するな。さ、行こう」


 ひょい、と二冊ともジゼルの腕の中から取り上げて、オーブリーは笑顔で促す。


「あ、ちょっと、それっ」


 メイドに借りてきた本のタイトルを見られたくなくて本を取り返そうと手を伸ばすけれど、ひょいと高い位置まで上げられてしまい奪還に失敗した。



 先に戻ります、と言ってセヴランはもと来た方角へさっさと去ってしまう。


 ジゼルが届かない高さで本のタイトルを見たオーブリーはくすくすと笑う。


「なに、ジスもこんな本を読むんだね。知らなかった」


 ジゼルは恥ずかしさのあまりうつむく。


「からかってるわけじゃないよ。今度僕にも貸して」



(わ、私今、ビーお兄様とふたりきりで歩いてる……!)



 先ほどの嫌な気分はどこかへ消えてしまった。



 天にも昇るような幸せをジゼルがかみしめている頃、ジゼルの家の上空には、茫漠とした黒雲が不気味に立ち込めていた。

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