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第3話

ジゼルは顔を上げて前方を見る。


 

 数メートル先で、サビーナは微動だにせず立ち止まっている。



 彼女の目の前には四人の令嬢が壁のように立ちはだかっている。その中でも一番高価そうな凝った仕立てのドレスを着た、すらりと背の高い赤毛の令嬢が威圧的な口調で言う。


「この時間帯だと、第一王子殿下のサロンの帰りかしら?」

 

 こくり。ジゼルは喉を鳴らす。


 知っていて訊いてるんだわ。だって、待ち伏せしていたに決まってるもの。


 華やかな美女。でも惜しいことに、性格のきつさが顔に出てしまっている。


 波打つ美しい赤毛、強い意志とゆるぎない自信を宿したアイスブルーの切れ長の大きな瞳。ワトー公爵令嬢にして、セブランの妹であるアレット嬢である。


 自己中心的で傲岸不遜、この世界は自分のためにあると信じて疑わない。王妃となるために育てられ、将来は確実にそうなるだろうと自身も思い込んでいる。敵に回してはいけないタイプの上位貴族令嬢。


(この本でいうところの悪役令嬢ってやつね……)


 ジゼルは胸に抱えた本をきゅっと握りしめる。



 彼女は最近第一王子の周りをちょろちょろとするサビーナが、目障りで仕方がないのだ。たかだか子爵令嬢の分際で、第一王子はおろかその周囲の令息たちにまで愛想を振りまいているのが気に入らないと、目の敵にしていた。



(……要するに、嫉妬なのだろうけど)



「レディ・アレット、ごきげんよう。みなさんも」

 

 サビーナは目の前に立ちはだかった華やかな集団に事務的なお辞儀をした。


 アレットは眉をひそめる。


「いくら正式に子爵邸に入ったのが半年ほど前とはいえ、いまだに正しいお辞儀ができていらっしゃらないようです。お父上でいらっしゃる子爵も恥をおかきになるでしょうから、登城されるのは正しいマナーを身につけられてからがよろしいのでは?」



 アレットはサビーナよりも一つ年下だが、彼女のほうが家格は高い。


 その上、サビーナが本妻の子ではなく、子爵が昔メイドに手を付けてできた子供であることも周知の事実。


 隣国の田舎の修道院育ちというところも、この国の貴族のマナーも常識も知らないのに上京してわずか半年で第一王子に取り入ったことも、生粋のお嬢様育ちであるアレットにとっては面白くないことだらけだった。


 しかもサビーナは、田舎の修道院育ちにしては妖精のように可憐で、修道女たちに囲まれていたとは思えないほどに異性に愛想を振りまいて取り入るのがうまいのだ。



 そういうわけで、主だった令嬢たちはみんなサビーナを憎んだ。彼女のことを悪く噂して、アレットを煽って憂さ晴らしをしようという取り巻き連中もたくさんいた。


 令嬢たちはいつの間にかサビーナを取り囲み、あることないことののしり始める。数メートル離れたところで恐怖で固まったまま立ち尽くしているジゼルは、何をどうすることもできない。


 そんなとき彼女は、自己嫌悪にさいなまれる。アレットたちを止めることもサビーナをかばうことも、どちらも勇気がなくてできないのだ。



 ジゼルはどちらかと言えば、アレットの取り巻きの一人だった。


 目立たず装わず、アレットという絶対的な権力者の陰に隠れて賢く世を渡る。目立たなければ目を付けられることはない。


 意地悪に加担するのは嫌だが、サロンでサビーナを監視しろと言われるくらいならばできないこともない。ジゼルは幼い頃から第一王子の妹分ではあるが、アレットにとっては脅威とはみなされていないらしい。


 それに父親が爵位を継げばジゼルもアレットと同じ公爵令嬢となるのだ。


 ジゼルが第一王子の目に留まらない限りは攻撃する必要はない、むしろ友好な関係でいたほうが都合がよい。将来先にアレットが王妃になれば、ジゼルを自分の侍女にすることもできるからだ。



「失礼いたしました……」


 サビーナは頭を低く下げる。アレットのとりまきたちはくすくすと嘲笑する。


 ジゼルはさらに本を握りしめ、唇をかみしめる。



(ああ、いやだ。大勢でひとりをあんなふうに辱めるなんて……)



「殿下に取り入って、どうするおつもり?」


「先ほどはノエル卿にも腕などお触りになって、親し気に話しかけていらしたわ!」


「この前はほかの方々ともぴったりとくっついて親密な様子でしたわね」


「第二王子殿下とも、この前の舞踏会では二回も踊っていらしたわ。婚約者でもないのに、二回も!」


「媚びをお売りになるのは、第一王子殿下にだけではないようですね」


 とりまきの令嬢たちは腹の虫がおさまらないらしい。ここぞとばかりにサビーナを責め立てる。


 彼女が現れて国の優良な婿候補の令息たちに誰彼かまわず愛想を振りまき始めてから、彼女たちの不満は募るばかりだった。



(確かに……ちょっと節操ないとは思うけど。どなたも未婚だし、婚約者もいらっしゃらないから集中的に非難されるほど問題はないのでは……)



 ――と思えども、そんなことを口にすれば、火に油を注ぐだけなので心の声だけにとどめておく。


 割って入ってサビーナを弁護する勇気もないので、ジゼルはただ少し離れたところに石像のように佇んで、唇をきゅっとかみしめている。




「何をなさっているのですか」




 ジゼルの背後から抑揚のない鋭い声がする。


 アレットと令嬢たちはいっせいにこちらを見たのでジゼルはますます凍り付く。


(わ、私が言ったんじゃありません!)


 ぶるぶると震えるジゼルの脇を、ふわりと風が通り抜ける。柑橘系のさわやかな香油がふわりと香る。よく知ってる、嗅ぎ慣れた匂い。


 彼女は自分を追い抜いて令嬢たちに近づいていくその後姿を見て、ヘーゼルの瞳を大きくする。


「で、殿下……」



 アレットが固まったまま青ざめる。


 一冊の本を手にした第一王子のオーブリーが、サビーナと令嬢たちの間に大股で近づいて割って入る。


「大勢でひとりを責め立てるとは、淑女のふるまいとは思えませんね」


 オーブリーの堂々とした声は、低く冷たく回廊に響いた。


 表情には全く出していないが、あきらかに彼は怒りを抑えている。



 令嬢たちもアレットのように青ざめてうろたえだす。アレットは下唇をきつく噛み、それから落ち着いた声で言った。


「まだよくご存じないようなので、作法を教えて差し上げていただけですわ」


 アレットの言葉にオーブリーは冷笑する。


「それはこのような場所で取り囲んで教えるようなことなのでしょうか?」


 どちらも、間違ってはいない……と思う。


 オーブリーとアレットのあいだに緊張が走る。とりまき令嬢たちは息を殺してふたりを見つめている。



(えっ?)



 その様子を見つめていたジゼルははっと息をのむ。


(私の、見間違い……かしら?)


 オーブリーの背にかばわれたサビーナが彼の背後の死角でほんの一瞬、くすっと笑って微かに肩を縮めたのだ。


「……」


 それは本当にほんの一瞬で、そのあと彼女はずっとうつむいていた。うつむいているので、泣いているようにも見える。



(さっきは確かに笑ったわ……)



 オーブリーはまだ声を荒げないまま、演説しているみたいな口調で令嬢たちに何かを言い続けている。ひと通り言いたいことを言い終わると、サビーナの背中に手を添えて気遣うように彼女の顔を覗き込んで促し、令嬢たちの元を離れて回廊を去って行った。


 残された令嬢たちは、動揺した様子で何もできずにただただふたりを見送った。




 王子とサビーナの後ろ姿を肩を怒らせて見送った後、真っ青で固まった表情のまま怒りながらその場を去って行くアレットのあとを、全員があたふたとついていく。




 そして誰もが、ジゼルの視界から消えた。


「……」



 ふう、と大きく呼吸して肩を落とす。歩き始めようとしたところ、背後から声が聞こえた。


「見ましたか?」



 まったく、ひとの気配を感じなかった。



「……っ……」


 ジゼルはびくりと身を縮めて微かな悲鳴を飲み込んだ。

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