崖っぷちのモブ令嬢

1

第2話

人間界。




 ここはジスカール王国。東側は海に面しているが、三方はそれぞれ別の国々と国境を接している。


 おもな産業は貿易だが、北側の山脈には金の鉱山を有してる資源豊かな国だ。


 小高い丘の上に立つ王宮敷地内には、国家魔術師たちの暮らす大陸でもっとも由緒ある魔塔も置かれている。


 城下に広がる街はあらゆる種族の人々が行き交い、どこも活気づいている。




 この国はジスカール家が治めている。


 現王は二十年前の他国との戦争で国を勝利に導いた英雄で、当時婚姻によって同盟を結んだ隣国の王女を王妃としている。王妃との間には今年十八歳になる第一王子がいて、ひと月後の誕生日に立太子の儀も行う予定でいる。また、一方では自国の公爵家から側妃を迎え、第一王子とはひとつ違いの第二王子を儲けている。


 立太子の儀を控え、第一王子のために国王は家臣たちに命じて王太子妃の候補者を探し始めているという。その噂は城下の街まで聞こえてきて、国民たちは王太子妃の選定に高い関心を寄せている。






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 王宮内の図書室。


 そこは古今東西の膨大な数の本が収容されていて、王家から閲覧を許された者たちのみが立ち入ることができる。


 利用するのは主に王家の人々、一部の上位貴族とその子女、そして魔塔の上級国家魔術師たち。奥の別室には禁書も数多く収められている。



 そんな敷居の高い図書室では今、週に一、二度の第一王子主催の「サロン」が開かれている。


 将来この国を治める時に彼を補佐することになるだろう同世代の優秀な貴族子女を招き、共に学び知識や教養を高め親交を深めるための集まりである。


 毎回出席するのは未来の王の側近中の側近となる者たちだ。


 本日、第一王子以外では五名の子女が出席していた。




 中央の大テーブルにいるのはもうすぐ立太子する第一王子オーブリー・ド・ジスカール。十八歳の誕生日を控えている。


 キャメルブロンドの髪に紫がかった青い瞳。優しげな雰囲気の白皙の青年。父方母方両方の王家の血を受け継いでいて、生まれながらの気品が備わっている。


 社交的でおおらか、公明正大で誰からも好かれる魅力的な王子。王となるべく最高の教育を受けてきているが、まだまだ世間知らずな点は否めない。




 王子にジスカール周辺国の共通語である古代語であるブクレール語を教えているのは、サビーナ・ド・ボードリエ。ベルジュロン子爵令嬢である。


 ピンクブラウンのふわりとした髪に薄いグリーンの瞳。小柄で肌は抜けるように白く、触れようとすればはにかんで姿を隠してしまう妖精のように可憐な少女。十八歳になるが、年齢よりも幼く見える。


 諸事情により彼女が子爵家に引き取られたのは半年ほど前になるが、それまで隣国のある修道院で暮らしていた。そこで修道院長の手伝いで古書の整理を担当していたため、旧国の古代語に精通していた。




 二人は肩を寄せ合ってひそひそと囁き合いながら、楽しそうに一冊の古書を覗いている。誰が見ても仲睦まじい。彼らの目の前、テーブルの上には数冊の本が積み上げられている。



 テーブルから少し離れた窓にはめ込まれたウィンドウシートには、一人の青年がけだるげにまどろんでいる。ノエル・ド・ファリエーレ子爵。王弟エライユ公爵の令息であり、第一王子の従兄にあたる十八歳。


 彼のヘーゼルの瞳は閉じられているが、ブラウニッシュブロンドの髪は日の光を浴びてキラキラと輝いている。物静かで知的、少々斜に構えたところがある。猫のようにとらえどころのないところが、本人の意思によらず令嬢たちの関心を惹いてしまう。



 神話の一場面の女神の大きな絵画が掛けられている壁際のソファセットには、優雅に足を組んで読書する青年がいる。セヴラン・ド・メイエ伯爵。ジスカール王国の三大公爵家のひとつであるワトー公爵家の令息、十八歳。


 父の公爵はこの国の宰相を務めていて、彼も将来はその跡を継ぐ予定である。ダークブロンドに淡い青の瞳。感情をあまり表情に出さないため、彼をよく知らない人たちからは冷酷だと思われている。



 

 そしてテーブルから離れた本棚と本棚の間には、一番奥の壁に寄りかかって座り込み熱心に読書する一人の少女。ジゼル・ド・キュヴィエ。ヴィレット伯爵令嬢。


 流れるハニーブロンドの髪、緑がかった大きなヘーゼルの瞳。小動物系の愛らしい顔立ちをしているのに、わざと適当に手を抜いた半端なおしゃれのせいで、良くも悪くも至極平凡に見える。


 伯爵令嬢ではあるが父が祖父の爵位を継承すれば、もとは王族に連なる血統の公爵令嬢となる予定である。つい最近十六歳になり成人となったが、気が弱く自己主張が苦手で「長い物には巻かれろ」を信条としている。




 ジゼルが熱心に読んでいるのは図書室の難解な本ではなく、自宅から持ち込んだロマンス小説だ。年の近いメイドが貸してくれたもので、身分の低い女性が王太子に見初められ、様々な困難を乗り越えて王太子妃になるというような内容だ。


(まさに今、目の前で起こっているような話ね……)


 ジゼルは本を開いたまま膝の上に置いてため息をついた。



 体をずらし、本棚の隙間から大テーブルの二人をそっと盗み見る。楽しそうなオーブリーとサビーナ。


 もうすぐ王太子となる第一王子と子爵令嬢。ノエルやセブランのような高位貴族の令息たちのように父親の従属爵位を名乗っているわけではなく、父親の爵位が子爵位だから、厳密にいえば王子とは身分違いである。


 身分違いの恋。本当に小説のネタみたい。


(私だって、殿下をずっと前からお慕いしているのに)


 ジゼルは再びため息をつく。体勢を戻し、壁にもたれて天井を見上げる。




 ジゼルが王子の「サロン」に参加しているのには、いくつかの理由がある。


 一、 第一王子やほかの令息たちとは生まれたときからの幼馴染であるため。

 二、 大陸西部の共通語であるタムニ語が流暢なため。

 三、 他の令嬢たちのようにへんな下心がないため。


 なによりも、ただの子爵令嬢のサビーナを参加させたかった王子が、世間の非難を彼女に向けないために自分の妹分のジゼルも「ついでに」参加させたのだと、ジゼルは思っている。


 

 そう……妹分。



 物心ついたときからそういう立ち位置だった。



 姉妹がいない王子は、王妃ははおやの侍女であったヴィレット伯爵夫人の一人娘ジゼルを、自分の妹のようにかわいがってきた。兄弟姉妹のいないジゼルも、王子を兄のように慕ってきた。でもいつごろからか彼女は彼を兄としてではなく、ほのかな恋心を抱く対象として見ていた。


 しかし彼は、半年前に突如現れたひとつ年上の妖精のような子爵令嬢に夢中なのだ。


(もしも殿下が彼女のことを未来のお妃として考えていらっしゃったら、私は永久に妹分のままね……)



「なに、いないと思ったらこんなところで。もうお開きにするってさ」


 頭上に影が差す。


 見上げるとノエルの呆れ顔が見えた。彼が差し出す手に自分の手を載せると、ふわりと引っ張り上げられた。立ち上がりドレスのスカートのよごれを軽く払う。


「何読んでた?」

 

 ジゼルが小脇に抱えた本のタイトルを見ようと身を屈めたノエルから、ジゼルは必死に本を体の後ろに隠した。


「た、たいした本ではない、です……」



 もしもこれがもう一人の幼馴染で第二王子の騎士であるファビアンだったら、ジゼルの手から本を奪い取ってひどくからかってきたことだろう。でもノエルはそんな子供じみた真似はしない。ふうん、と言ってそのまま背を向けた。


 図書室の扉の前で解散の挨拶をすると、第一王子とセヴランは王子の護衛騎士と合流し、王子宮に向かう。ノエル、ジゼル、サビーナの三人は、それぞれの邸へ戻るために一緒に回廊を歩く。


 サビーナはノエルに何かを楽し気に話している。ノエルはそれをうわの空で聞き流している。



 二人の数歩後ろを歩きながら、ジゼルはそっとため息をつく。


 サロンの帰り道は、いつも憂鬱な気分になる。



 回廊の途中でノエルは用事を思い出したと言ってどこかへ去って行った。ジゼルはサビーナに出口まで一緒に行きましょうと声をかけようとする。口を開きかけると、サビーナが事務的な口調で先に言った。


「それではジゼル、ごきげんよう。またお会いしましょう」


 ジゼルは失望を隠し、なんとか口元を引き上げる。


「ああ、はい、サビーナ。ごきげんよう」



 ジゼルは軽く片手を上げた。


 サビーナはくるりと身を翻してさっさと去りかける。ジゼルは肩を落とす。


(そうだよね。私と話しても、面白くないよね……)


 うなだれたジゼルの耳に、鋭く棘のある少女のソプラノが聞こえる。




「あぁら、サビーナ嬢じゃないの?」




 ジゼルははっと顔を上げる。


(き、来た……)

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