呪いの魔女姫と呪いの若君
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第5話
主役から招かれてもいないのに、身内だけの食事会に自分が参加してもよいものなのだろうか?
ヒューはうっすらとした不安を感じてかすかなため息をついた。
昼間、庭園の
第七王女とは決して見かけることのできない、幻のような存在だった。
第三王子と第四王子の幼馴染として幼少時から王城には頻繁に出入りしていたが、彼らの異母妹であるヴァラには不思議と会ったことはなかった。噂では、王が魔術師の予言によって魔女に産ませた姫君だという。
「呪いの魔女姫」
あるいは、
「呪いの姫君」
それが彼女の通り名だ。
もともとは「呪いを解く魔女姫」だったのが、人の口に上るたびに省略されて「呪いの魔女姫」や「呪いの姫君」になったようだ。
幼いころからあまり噂を耳にしなかったのは、今思えば王も兄王子たちも、彼女が人々の好奇の視線にさらされないために情報操作をしていたからだったのかもしれない。
成人の儀も、彼女の時は兄弟たちと王妃、側室たちまでしかお披露目はされなかった。本人は人嫌いで、社交の場には一切姿を見せない。
もっとも、太陽にさらされると消滅するとか、夜な夜な子供の血肉を求めて都中の空を飛び回るとか、気に入らない人間は呪い殺すとか根拠不明の無責任なうわさを流されれば、誰でも人嫌いにもなるだろうけれど。
北の塔を居住場所にしていて、本館にもめったにやってこない。
そういったうわさとは実にあてにならないものだということは、ヒュー自身が身に染みて理解している。
彼にも理不尽なうわさが纏いついているからだ。
庭園の盛りのバラたちの
何も考えられない間に、心臓をがぶりと得体のしれない巨大な獣にかぶりつかれたような気がした。
優雅に裾を床に引きずる赤いコタルディのV字の胸元のふくらみが、規則正しく浅く上下していた。
小さな顔に長いまつ毛。瞼の下に隠された瞳の色は何色か知りたかったけれど、きっと何色でも美しいに違いない。
生まれて初めて、ヒューは誰かに見とれてしまうということを体験した。
彼女を見かけたと話したときの、バルとイギーの様子を思い出す。何かに驚き、多少ためらいもあったようだ。そのあとすぐ、バルは彼を夕食会に誘った。
しかし、もし二人の王子たちの誘うままに夕食会に顔を出し、人嫌いの彼女が自分を見てあの美しい顔に不快な表情を浮かべら?
ちょっと…いや、結構ショックだなとヒューは苦笑する。
その懸念を吐露すると、イギーはあははと軽く笑い飛ばした。
「そんな心配はするなよ。フランツだって行くんだ。お前は彼女の毛玉犬に気に入られたみたいだし。兄上にも、なにか思うところがあるんだろうし」
そう、バルは何を考えて自分を妹の祝いの席に呼ぶのか。訊いてもきっとあいまいにして、あの王太子スマイルではぐらかすに違いない。
幼いころから、彼は自分の仮説が確定するまでは周りに何も話そうとはしないから。
とりあえずついて行って、不興を買うようならば挨拶だけして帰ってくればいい。それでも気まずいことには違いないが、ダメージは軽減しそうだ。
王子たちと積もる話をしながら、強引な展開にヒューは軽い諦めを感じていた。
本館の大広間には大きな長テーブルが置かれている。
白いテーブルクロスが掛けられたその上には、燭台、木製や銀製の食器類、二股フォークやスプーンのカトラリー類、バラのブーケやフィンガーボールが並べられている。
王太子バルとその弟で近衛騎士のイギー、同じく近衛騎士で南家のフランツと彼らの友人北家のヒューは先にやってきて着席していた。そこにイェルとハイデとそれぞれと手をつないだヴァラがはにかんだ笑みを浮かべて入ってくる。
先に着席していた四人は席を立つ。
「誕生日おめでとう、ヴァラ」
バルは妹の頬に軽く口づける。おめでとう、とみんなが同様に祝福を口にする。
ヴァラは少しひざを折って挨拶をしてから優美に微笑む。
「ありがとう、バル、みんな」
バルはヴァラの肘にそっと触れて反対隣りのヒューを紹介する。
「ヴァラ、私とイギーの幼馴染を紹介するよ。今日偶然にも、留学から帰国の挨拶に来たところを捕まえて誘ったんだ。北家のマイヤー子爵のヒューだよ。イギーと同い年なんだ」
ヴァラがヒューに深い青の瞳を向ける。矢車草のような濃い青。いや、真冬の凍った湖のような透明な深い青。思慮深く慈愛に満ちた、見たこともない美しい青。
ヒューは動揺を押し殺して何でもないように洗練された様子で挨拶した。
「シュタインベルク家の嫡男、ヒューと申します。王女殿下、本日はおめでとうございます」
ヴァラはヒューの自然体の堂々とした、他意は感じられないそのままの態度に好感を持った。
イギーと同じ年と言っても、もう少し大人びて見える。もっとも、イギーがまだ年よりも幼く見えるだけなのだけれど。
バルよりも少し背が高い。端麗な顔立ち、知的で穏やかなブルーグリーンの瞳。低く落ち着いた声と完璧な所作。
彼は美しいものが大好きな魔女の興味を引くには十分魅力的だ。ヴァラは微笑を浮かべ軽くひざを折る。
「初めまして、マイヤー卿。お祝いの言葉を、ありがとうございます」
意外なほどさっぱりとしたあいさつにヒューは好感を持つ。人嫌いといううわさだが、まっすぐと目を合わせて話すし、年頃の女性たちにありがちな妙な媚も感じない。ぱっと見た感じ、姉だという第六王女のほうがもっと幼く見える。
バルがヴァラの椅子を引く。ハイデの椅子はイェルが引く。二人の姫君たちが席に着くと、残りの全員も着席した。
「……どう? 気に入った?」
席に着くなり、バルがヒューにだけ聞こえるように囁く。
「忘れているのか? 私には婚約者がいる」
ヒューも同様にバルだけに聞こえるように囁き返して苦笑した。
「それは私の質問に相対する的確な答えじゃないよね」
くすりとバルが笑う。
ほどなくして、王の侍従がその到着を先ぶれする。王が姿を現すと全員が起立したが、それを王は手で制した。
「よい。家族の集まりだ。座りなさい」
王は自身も着席すると隣のヴァラの手を取り、その指先に軽く口づけた。
「愛しいヴァラ。誕生日おめでとう。お前のおかげで末のフベアトもすこぶる元気に育っている。あとはバルデマーが妃を娶り世継ぎに恵まれるよう、どうか協力しておくれ。お前だけが頼りだ。お前はお前の望むように何をしてもよい。ただ、健康で幸せに生きてくれれば、私はそれだけで嬉しい」
「ありがとうございます、父上」
ヴァラは目を細め優美に微笑んだ。王は軽く頷く。
「解呪に関しては、バルデマーに一任してある。何か必要なものや困ったことがあれば何でも兄に相談するとよい。お前の兄弟たちは、みんな喜んで協力する。さて、私はまだ公務があるので戻らねばならない。お前たちはヴァラとともに楽しく過ごしなさい」
王があわただしく去るとバルは苦笑した。
「本日は南方の貿易国の使者が友好条約の申し入れの親書を携えてきていることでご多忙なのだろう。御言葉通り、私たちは楽しく過ごすとしよう」
ヴァラは誰にも気づかれないようにかすかにため息をつく。
隣に座るといつも、父王の緊張が伝わってくる。
たぶん父は、母そっくりに成長したヴァラを見ると複雑な気持ちになるのかもしれない。
ヴァラをこの世に生み出すためだけに、父と関係を持った母。彼らの夫婦としての時間はたったの三ヶ月半だった。彼女はヴァラを産むと、ヴァラと王のもとから姿を消した。ヴァラを産んでから一度も戻ってきたたことはない。
父は魔女である母を、どう思っていたのだろうか。
父王の場合、多くの側室を持つことは好色ゆえではなく、血統を絶やさないという切実な問題ゆえだ。
国外の公女や王女、国内の貴族や裕福な商家の娘を妃や側室に持ち、それぞれには敬意を払って愛情をもって接している。
しかし魔女であるアーヴァは異質だった。
飛び切り美しく妖艶で魅力的でどこまでも自由な彼女を、王はとどめることができなかった。
生まれた時から母親の存在がないヴァラには何でもないことだが、アーヴァに捨てられたことは父の心に深い傷を残したのかもしれない。顔も知らない母だが、父には似ていない自分はきっとよく言われるように、母にそっくりなのだろう。
だから父は成長するにしたがってヴァラを見る目に悲しみが浮かぶのだと彼女は思っている。
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