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第4話
およそ二百年ほど昔、この藍の国は狭い海峡を隔てた海向こうの強国の侵攻を受けた。
それは夜間の海上からの奇襲攻撃で、当時の王はなすすべなく、友人であるある偉大な魔術師に助けを求めた。魔術師は国を救うために王の命を対価として求めた。
王は一度承諾したものの、いざ対価の支払時になると命が惜しくなり、魔術師をだまして代わりに彼自身の命を対価にさせようと毒を盛った。
魔術師は復讐として、王家に呪いをかけた。今後王の血筋は八割方が成人するまでに命を落とす。子孫たちは断絶の不安を感じながら細々と血をつないでいかねばならない。魔術師の呪いは、同じ血を持つ選ばれしもののみが解くことができるであろう……
以来、王家は王子や王女たちの
実際、ヴァラたちの父である現王も先王の第七王子だった。第一王子から第六王子までは、そのほとんどが十五歳以前に亡くなってしまい、残りの王子たちも二十歳未満で亡くなってしまったのだ。彼は王子としては唯一の生き残りだった。
父王の子供たちの上にも呪いは例外なく降りかかり、すでに五人の王子王女が夭折していた。
十七年前、五人目の子であった第三王女をたった五歳ではやり病で亡くして悲嘆に暮れていた王のもとに、一人の魔術師が謁見を申し出た。
魔術師の名はエドセリク。208年前、王によって毒殺される前に王家に呪いをかけた魔術師の子孫だという。
若き王は大変驚いた。
魔術師の呪いは同じ血を持つ選ばれしもののみが解くことができる。だから代々王家は呪いをかけた魔術師の血筋のものを見つけては宮廷魔術師として丁重に迎え入れて従事させ、呪いを解く手立てを探させた。
しかし誰も解くことはできていない。きっと、「選ばれしもの」でなければいけないのだ。王家が探し出すことができた呪いの施術者の子孫は五代前ほどで断絶したかと思われていた。
魔術師エドセリクが言うには、彼は呪いをかけた魔術師の末娘と、彼の唯一の弟子の血を引くらしかった。魔術師が王に毒を盛られた後、臨終をみとった者たちの子孫らしい。
弟子は師の死後、その魂を鎮めるために日々祈り続け、子孫にもそれを課した。エドセリクも例外なく鎮魂の祈りを引き継いだ。そしてある日、彼は夢の中で「声」から啓示を受けた。
「この二百年余り、王家が引き継いできた不安と悲しみと絶望、お前たちが引き継いできた鎮魂の祈りをどちらも受け容れよう。七番目の息子の七番目の娘に、呪いを無に帰す力を与えるとする」
エドセリクは数週間の間考えを巡らせた。
そして現王が第七王子だったことを思い出した。その一方で、ある女を思い出した。東森の小国の青い森の奥深くに住む魔女。
かつて彼が修行中の若いころに恋に落ちて情を交わした女。彼は彼女を十何年かぶりに尋ねた。するとすでに彼女は亡く、そこには彼女の面影を映す、彼と同じ真冬の凍りついた湖のような青色の瞳の若い魔女が住んでいた。
若い魔女を見た瞬間、彼は悟った。
彼女は彼の血を引く娘であり、彼女こそが七番目の息子との間に七番目の娘を生むべき魔女なのだと。
魔女は自らの魔力を受け継ぐべき娘を必ず一人は産む。父親が誰かということは重要な問題ではない。彼女は初めて会った父親に向かって、いつか来ると思っていたと告げた。
魔女には予知の力がある。
「七番目の息子の七番目の娘を儲けよ」という「声」も、夢の中で何度も聞いてきたという。だからエドセリクが藍の国の王との間に娘を儲けよと突拍子のない言葉を告げても、彼女はまったく動じなかった。
エドセリクの娘・魔女のアーヴァは、初めて会った父の驚くべき申し出をあっさりと受け入れた。魔女として娘を生み次代に魔力を受け継ぐ覚悟はあったが、具体的な実行は思いついてはいなかったのだ。しかし、一方の若き王は狼狽した。
魔女との間に娘を儲ける。
その娘は二百年以上続く呪いを解く者となる。
かわいい子供たちをすでに五人も亡くしていて、残りの子供たちもいつ奪われるかわからない。
王は決心した。そしてエドセリクに魔女を娶ることを承諾した。
「三日後、城の北の塔を整えておいてください。月が中天に差し掛かる頃に私の娘が陛下のもとを訪ねるでしょう」
王は藁をもすがる思いだった。正直、魔女と聞けばなんとなく恐ろしい。しかし、試してみる価値はある。これ以上、子供たちを一人も失いたくはない。残され子供たち、第三王子、第四王子、第二王女と第四王女、そしてもうすぐ生まれてくる王子か王女たちを。
何十年も封鎖されていた北の塔。
満月の晩、彼は一人で北の塔の上の、海を見渡せる部屋で魔女を待った。
魔術師の言葉通り、月が中天に差し掛かかると海風がふわりと寝台の天蓋の紗を揺らし、人の気配が窓辺に現れて王はぎょっとした。
さえざえと青白い月光が差し込む窓辺にたたずむ細い影に王は慎重に近づいた。
王が目の前まで来ると、アーヴァは妖艶に微笑んだ。そのあでやかな美しさに王は驚嘆した。
魔女は不敬にも—―彼女には敬不敬など関係なかったが—―王を見上げて「悪くない」と涼やかな声で言った。
三十を少し過ぎた王は男盛り、知的で優美で呪いによって子供たちを奪われた悲しみと苦悩をまとっていたが、それが悩ましげな色香となっていた。
美しいものが好きな魔女の本能を刺激するには王は十分に魅力的だった。
王もまた、魔女を一目見て恐怖を忘れてすっかり魅了されてしまった。
うっかり、自らの立場や事情も忘れてただただ見惚れてしまった。好色とは別の理由で多くの側室を持つ身ではあるが、この魔女のような美しい女はかつて見たことがなかった。
その夜から三ヶ月半、王は北の塔に通い詰めた。魔女はほどなくして懐妊し、真冬の雪が真っ白く森を覆い隠した極寒の満月の夜明けに一人の女児を産んだ。
王の七番目の王女。
それがヴァラだった。
アーヴァはヴァラを産むと彼女に魔女の祝福を与え、王には何も告げずに姿を消した。
魔術師エドセリクも孫娘に祝福を与え、一匹の使い魔を付けた。それから彼女の住まいとなる北の塔に守護の結界を張り、彼もどこかへ消えた。
残されたのは、魔女が生んだ赤子。
王の七番目の王女、ヴァラ。
「
ヴァラは物心がついたころにはもう、様々な不思議な力を発揮していた。
彼女が夜泣きすれば、空に雷鳴がとどろき稲妻が走り雨嵐が吹き荒れた。
幼い彼女が庭の草の上をよちよちと歩くと、歩いた後に四葉のクローバーが道のように生えた。
芝生に座り込めば城の裏手の森から小鳥が飛んできたり動物たちがやってきて彼女を取り囲んだり。
室内でおとなしく座り込んでいるかと思えば、窓から差し込む日光に手をかざし、床の上に七色の光をちりばめて一人遊びに没頭していた。
物覚えが早く、五歳になる頃から図書室であらゆる書物を読み始め、十二歳で数か国語の読み書きや話すことができるようになった。
第二王女と第四王女はそれぞれ外国に嫁いでいった。無事成人を迎えた第三王子は立太子して王太子となり、第四王子はその近衛騎士になった。第六王女、第五王子もヴァラとともに去年無事に成人を迎えた。十一歳の第八王女と末っ子の五歳の第六王子も元気に育っている。
彼女が生まれて以来、王の子供たちは誰一人として命を落とす者はいなくなった。しかしそれは解呪したことにはならなかった。
どうすれば呪いを解くことができるのか。それはまだ、誰にもわからなかった。
そして十四歳で初潮を迎えたころから、ヴァラは気になる夢を見るようになっていた。
夜間いくらたくさん眠っても見ないのに、昼間ふと眠気に襲われてうとうとと居眠りすると見る夢。
何度も何度も、同じ場面が出てくる。
忘れないようにと、夢の内容を書き留めるようになると、別の場面の夢を見るようになった。
それに気づいてからは、彼女は居眠りの間に見た夢を書き留める習慣を身に着けた。それ以来今までずっと書き留めている。もしやこれは、呪いを解くカギとなるのかもしれない。
夢のせいなのかどうかははっきりしないけれど……
最近、ヴァラは誰かの悪意の視線を感じる。
時には殺気さえ感じることがある。城内はエドセリクの守護結界や使い魔のおかげで危険はないが、夜見る夢の中に、ヴァラは時々「誰か」を感じる。
顔も姿も見えないので、どんな人物なのかわからない。声も、耳で聞く音としての声ではないので、その主が男なのか女なのかわからない。
「こちらへ来なさい」と声が言う。ふうわりと漠然とした不安感が胸の中を満たす。心惹かれるのに、「行ってはいけない」と何かにとめられる。
昼間居眠りの中で見る夢は、呪いを解くためのヒントである、ということは間違いないらしい。
かつては彼女の乳母のひとりであり、物心ついたころから魔術の師である老魔女アルダギーサが、いまは森の中の湖のそばに住んでいる。
「ばば。夢で見た魔法円を描き呪文を唱えても何も起こらないの。どうすればいいのですか?」
老魔女は深いしわに埋もれたうすい緑の目でヴァラを見つめて何でもないことのように言った。
「お前さんは生まれたこと自体が呪の一部だ。初潮を迎えたころから夢が始まったのならば、一人前になったときに、呪いを解くことができるのであろう」
「一人前の…魔女?」
「そうさ。お前さんが自分の意志で選んだ誰かを誘惑して惚れさせて、情を交わすのさ」
ヴァラにもその意味は分かった。
でも……
そもそも、誘惑する相手がいない。
周辺には兄弟たちだけだし、社交の場にも行かないので出会いもない。行ったところで呪いを解くべくして生まれた魔女姫と言われ、恐れられ敬遠されるだけだ。
血縁ではない唯一の異性といえば、夭折した第三王女のもと婚約者の近衛騎士のフランツくらいだ。背が高く武人らしい鍛え上げた逞しい青年で、ブラウニッシュブロンドのとても短い髪にアイスブルーの瞳。男らしいが端正で知的でもあり、異性としての魅力に満ちている。
異母姉のハイデが片思いしているので彼女には言えないが、彼は王太子バルの侍女の一人と深い恋仲であるらしい。思い人がいる人を横から誘惑するのも気が引ける。
「なに、焦ることはない。お前さんの生まれが予言されているならば、呪いを解くまでのことももう
老魔女はそう言った。
そんなものなのか、とヴァラは納得した。どうせ夢の中の謎もまだ全て解けているわけではない。焦ることはない。
しかし、呪いが解けるのは一体いつになるのだろう。
北の塔はヴァラの居住塔だ。
魔女姫の居住エリアには兄弟たち以外は誰も近寄らない。
「呪いを解く魔女姫」は、いつしか「呪いの魔女姫」や「呪いの姫君」と呼ばれるようになり、使用人たちに恐れられている。
「どんな人なのかな、兄上たちの幼馴染」
黄色のコタルディに着替えたハイデは首を傾げた。
「それがさぁ……ヴァラに負けないくらいすごい通り名があるみたいだね」
イェルがにやりと笑う。
薄いブルーのコタルディのV字の襟元を整えながらヴァラがイェルを見る。
「どういうこと?」
イェルはほかに聞いている人もいないのに声をひそめる。
「実はさ……」
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