Once in a blue moon

第23話

「夢の中では何日も一緒にいて、いろんなことを話したんですが……その」


財前はうなだれた。


「その……もしも実際に会ったら、失望されたりしないでしょうか……?」



「……」


「……」


藤倉夫妻は目を見開いて財前を見つめた。


ここ数年で、彼らはどこかしら表情とかしぐさが似てきたばかりか、喜怒哀楽のポイントも似てきたと財前は思う。


「し、失望って……土砂に流されて助かって、迷い込んだ家で子供に突き落とされて庭に倒れていたっていう話の筋は、彼女の言っていたこととも一致してるが」


「なんていうか……夢の中? でも、財前さんは財前さんのまんまなんじゃないの……?」


二人は「何言ってるの?」というような表情で財前を見ている。


「いやもう、なんだかよくわからないけど、とにかくめったにない珍しい縁じゃない? どうなるにしろとりあえず会ってみたらいいと思うんだけど……」


紗栄はテーブルの端に置かれていた二つ折りにしてある展覧会のチケットをトントンと指先で示した。




二人が帰った後、財前はソファの上で石像のように固まっていた。


目の前のローテーブルには、展覧会のチケットと事故当時のジーンズのポケットに入っていたという和歌の書かれた和紙と、羽那の直筆の名刺が置かれている。


彼はため息をついて、オットマンの上に投げ出している自分の左足に視線を落とした。


骨折していたという、左足首。今では松葉づえ無しでもなんとか歩けないこともない。


夢? の中ではいつのまにかすぐに治っていたけれど……


テーブルの上に視線を移す。




(ああ、本当に……自分はあの手跡をよく知っている)



夏の床の間いっぱいに書き散らされた和紙。筆を持ち流麗な文字を生み出す、神々しいまでに真剣な横顔。


柔らかそうな色素の薄い髪が日の光に透けて黄金色に輝く。


彼女が近くにいると、動くたびにふわりと甘やかな薫りがする。


「財前さん」と名前を呼ぶ、静かな、ちょっと低めの声。


目が合うとほわんと微笑む優し気な白い顔。




(あのひとが……実在するなんて)



いや、実在することがいけないことや悪いことなわけではない。


あの山の家で数日一緒に過ごしたことが夢だったとしても、がっかりすることでもない。


どこかで、思っていたのだ。


これは現実じゃない。


もしかしたら、自分は土砂に巻き込まれてもうこの世にはいないのかもしれない。


だからこれは、きっと現実ではないんだ。


だから彼女も、この世のものではないのかもしれない。


でも、それでもかまわない。


彼女と過ごした数日は今までない穏やかで幸せで、不思議な数日だった。


なにが現実で何がそうじゃなかったとしても、あの幸福感だけは本物だった。


意識不明で寝たきりの状態で見ていたとは、まったく驚くことだけれど。





電話が鳴る。


ソファの上に無造作に置いていたスマホを手にして着信する。


「なんだ、片瀬」


「出ていきなり『なんだ』はないでしょ? 失礼な。久々の自宅はどう? 足の具合は? 頭は正常?」


「足はまあ、もうすぐ包帯も取れるけど。頭って……もとから正常だから」


「そうだっけ? ねぇ先輩、それで、れいのひとには会ったの?」


「いや、まだだけど」


ち、と片瀬は舌打ちした。


「なにぐずぐずしてるの? 杖ついてでも早く会いに行きなさいよ。ほんとに夢の中のひとなのか、早く確かめてよ。すごく気になって、ずっと話してくれるの待ってるのに」


ふん、と財前は鼻で笑う。


「そんな心配してるフリして。ただ吉川君と賭けをしてるだけじゃないか。ちなみに片瀬は、彼女が夢の中に出てきたひとと一致するほうに賭けたんだろう?」


「そうよ。吉川はそんなことありえないねって、100%信じてないから、私は一万円賭けてやったわ。だからはやく結果を報告してよ」


「片瀬、お前さ。それって僕のためじゃなくて、お金のために心配してるってことだよね?」


「長い付き合いだから正直に言えば、まあ、半分はそうね。でも、先輩の身に起きた滅多にあり得ないことに、なんかわくわくしてるのも事実よ。なんて言っても、宝くじの一等に当選するよりもありえないことだもの。結果は知りたい。これで先輩が幸せになるならなおさらいいじゃない? 私も老後に偽装結婚しなくて済むし」


「あのさ……やさしいの? ひどいの?」


「やさしいに決まってるでしょ? いつも飲みにもグチにもつきあってあげてるじゃない! 現実には絶滅危惧種だと思われていた理想のタイプなんでしょ? 捕まえないと!」


「でももしかしたら、実際はちがう感じかもしれないし……」


「あぁぁぁ、面倒くさい。とにかく、会ってみたらいいじゃない? どうなるかはそのあと考えればいいし、なんか違ったら相談に乗るから。でも、会いに行く前にどんな格好で行くのかはチェックさせてね。初めて実際に会うなら、印象よくしないといけないから!」


「片瀬……」


「来週の展覧会の最終日なんてどうかな? 花束を持って行くのよ。あ、感想文も忘れずに書いてよね」


「……やっぱりお前はそういう奴だよね」


「いやまあ、それでうまくいって、カノジョになってくれるといいね。本当にいいひとなら、もう捕まえちゃって。そうすれば私の一万円は無事に帰ってきて、新たに三万円ももらえる。そしたら一杯おごるからさ」


「ええ? 吉川君、ダメなほうに三万も賭けたのか……」


「そうよ! だからわかってるでしょうね、先輩。気合入れないと! あいつの夏のボーナスから三万円もらっちゃおう!」


まったく、やさしいのかひどいのか。でもやっぱり、いい奴なのだろうと財前は思う。




電話を切ると、彼は天井を仰いでため息をついた。



そうだ。


会ってみよう。


会ってみないと、確かになにもわからない。



「よし……」



財前はうなずいてソファの上の右手をぎゅ、と握りしめた。

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