第22話

夢の中。


実在する祖父の形見の、山奥の作業場。


小川のそばに倒れていた一人の男。


今まで悩んでなかなか進まなかった仕事が、夢を見るたびにはかどるようになった。



「親戚の遺品を整理しに来て、土砂崩れに遭って道に迷ったと言っていました。その人が、名乗ったんです。財前直哉さん、と」


副社長夫妻は驚きで顔を見合わせている。


「自分は大手の外食産業の会社の……サペレの副社長秘書だとも。夢の中では肩書なんて気にも留めずに聞き流したんですが……」


夢の中だからこそ。


スポンサーの名前が出てきたとしても、何の不思議もないと思ったから。きっと、記憶が混じって出てきたんだろう、と。


そんなあやふやな夢の記憶ではと、ネットで検索もしてみた。


副社長秘書ということは、もしかしたらどこかで名前が引っかかるかも……と。


記事では、わからなかった。でも。


今、目の前に座っている副社長、藤倉瑛士氏。


そして、その隣に座っている夫人。


ネットニュースの、二人の結婚式の日の画像を見たら……




チャペルの外でのライスシャワーと紙吹雪と花びらの中、祝う人々の人混みの中。


見間違うはずがない。


夢の中に、たびたび出てきたあのひと。


財前直哉。


彼の姿を顔のぼかしも入らないくらい小さな小さな姿を、見つけたのだ。


彼は、この世に本当にいたのだ!




羽那はしどろもどろに言い訳をした。頭なのおかしな女だと思われたら終わりだ。


でも、言えば言うほどおかしいと思われそうだ。もしかしたら、もうすぐ警備員が来て、追い出されるかもしれない。ぎゅ、と両手のこぶしを膝上で握りしめる。


もごもごと羽那が尻切れ気味に話し終えると、夕日の差す部屋はしん、と沈黙で満たされた。


それは十秒くらいだったかもしれないし、二分くらいだったかもしれない。




「財前直哉は……確かに、私の秘書です」


今まで黙っていた瑛士が静かに言った。羽那ははっと顔を上げる。


「本当ですか?」


「本当です。でも今は、ここにはいません」


羽那は眉根を寄せる。


「ここにはいないとは、どういう……」



それには紗栄が微かにうなずいてから答えた。


「三週間ほど前から、病院にいるんです」


「病院? どこかお悪いんですか?」


「いいえ。ずっと、意識が……ないんです」


「ええ?!」





それは羽那にとっても、藤倉夫妻にとっても吃驚仰天なことだった。



夢の中で財前が言っていたこと。


うろ覚えだが、断片的に覚えているところは現実と一致していた。


山の中に入った理由も一致していた。


そして。



「あなたの話を、こちらも信じるしかありません」


大企業の副社長は、真剣な面持ちで静かにそう言った。


羽那は信じてもらえていることに逆に疑問を持ち、首をかしげた。


もしも自分がいきなりそんな突拍子もない話を初対面の人間にされたら、絶対にいぶかしがるはずだ。


それなのに、目の前の夫妻はどちらも真剣な様子なのだ。


「私は……財前さんの看病をしていたんですが……意識が戻らないながらも時々、何かをつぶやいていて……それで最近やっと聞き取れた言葉が、『はなさん』だったんです」


夫人の言葉に羽那は息をのんだ。



「私たちも、財前さんの家族も、誰もその名前が思い当たらなくて……でも、今思えば、あなたのことだったのかもって……」


「で、では……私は、意識不明のひとと、夢の中で会っていた、ということですか……」


「何の根拠も確信もありませんが……そういうことになるかもしれないですね」


副社長は苦笑した。


「早く、本人が目を覚ましてくれたら訊けるのにね」


夫人は今にも泣きそうな表情で微笑んだ。






「——そいうわけで、意識不明だった財前さんと、突然ここにあなたを訪ねてきた相良羽那さんの言うことは、奇妙にもつじつまが合うっていうわけなの」


「信じがたいことだが、信じるしかないだろう? ありえないことが起きた、としか言えない」


副社長夫妻は薄い苦笑いを浮かべながらそう言った。


「僕は……」


財前はまだ半信半疑の呆然とした表情のまま言った。


「まだ、よくわからないんですが……自分はあの土砂崩れで、あの世に行ってしまったんじゃないかとなんとなく思っていたんです。羽那さんも多分、実在しないんだろうな、と。第一、あんな辺鄙な山奥に、あんな若い女性がひとりでいるわけないでしょう?」


「まあ、なんだか昔話っぽいよな」


「実は山姥だったとか、そういうやつ?」


「ちょっと紗栄さん、山姥って……せめて、ツルとか雪女とかあるでしょう?」


「あはは……ごめんなさい。でも彼女は実在していた。あなたたちは現実世界では面識がないのに、夢の中なのかどこなのか見当もつかないけど……知り合っていたのよね。」


「ありえない。非現実的すぎるよな」


「そうですね。副社長のおばあさんが高柿先生だったってことよりもはるかに、ありえないですね」


「それで、どうするの? 相楽羽那さんは、あなたが目覚めたら連絡が欲しいって言ってたんだけど」


「……」


紗栄の問いかけに財前ははっと固まってしまった。


「財前? どうした? どこか具合でも悪いのか?」


瑛士が眉をひそめて財前の顔を覗き込んだ。


「あ、いえ、あの……そういうわけではないんですが……」


財前は力なく苦笑いを浮かべた。

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