七月桜と蛍
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第10話
羽那は一瞬何かを言いかけては止めを二度ほど繰り返し、すこし思案気に沈黙してから諦めたようにため息をついた。
そして少し恥ずかしそうに苦笑しながら言った。
「恋の歌、といわれても、なんかよく理解できなくて。お恥ずかしながら、歌の意味を自分なりに深く解釈して理解しきれなくて」
「ああ~。そうですね……もう作者本人から話を聞くこともできないから、後世の人たちがあれこれと解釈するしかないですからね。歌の詠まれた状況とか……歌合せで読まれたものならお題に合わせて作られた美しいフィクションだろうし……」
「お坊さんが詠んだ……『恋ぞつもりて』みたいなやつでしょうか?」
「そうそう。『新古今和歌集』のあたりになると技巧がメインでしょう、光景が目に浮かぶような、絵画的な」
「そうですね……」
「絵画的ってことは、描いてある絵に合わせやすい歌も、中にはあるかと思います」
「なるほど。今までは歌の一首一首の意味ばかり重視して探していましたけど、絵に合う内容の歌を選ぶという手もアリですね。わぁ……いいですね。ありがとうございます」
両手を胸の前でぱちりと打ち合わせて、羽那は嬉しそうに微笑んだ。
「今夜泊めていただくお礼に、僕もなんか会いそうな歌を探すの手伝います。職業上、何かを探したり分類わけして整理したりするの得意なんで」
そう。
夕飯の席で話し合ったのだが、とりあえず一週間ほどお世話になることにしたのだ。
この辺りは地図にも載っていない山奥で、素人ならば確実に迷子になる複雑なところだ。
ちょうど一週間後には羽那は別の仕事のためにここを去ると言うので、その時に一緒に行けばいいと提案されたのだ。
「でも、その、食料とか僕がいるとご迷惑になるのでは……」
「大丈夫ですよ。5日前に親戚の子が友達を引き連れてきて庭でキャンプしてたので、食材は多めにあるんです」
「それはありがたいですが……その……」
もじもじと言いよどむ財前を、羽那はきょとんとして不思議そうに見つめる。
「女性がおひとりでいるところにお世話になるわけには……」
「え」
「いや、あの、その……」
「……」
5秒の沈黙。
ふ、と羽那が笑う。
「ああ、お気遣いなく。部屋ならありますし、迷子を山の中に放り出すなんて倫理に反します。それに財前さんは悪いひとには思えませんしね。薪集めとか掃除とか手伝ってくれればいいですよ」
「そ、そうですか……」
財前はあいまいな笑顔を見せた。
悪いひとには見えない。それはよい。でも裏を返せば、若い女性に警戒心を起こさせないくらい、男としての魅力がないということかもしれない、けど。
そういうことで、お世話になることになったのだが。
実は財前には、羽那に面と向かって訊けないことがあった。
この家には電気が通っている。
裸電球にカサが付いた、長いコードのレトロな照明。確か母の実家の田舎で小さなころに見たことがある。昔は電気代が高額だったから、各家庭には照明はひとつくらいしかなくて、長いコードは別の部屋まで持ち歩けるように着いてたのだとか。1960年代半ばくらいのもの?
でも財前のために羽那が布団を敷いてくれた部屋にも同じ照明がついていた。
「トイレに行くときは外なので、ランプを使ってくださいね」
トイレは……そう、外の小屋なのだ。マッチでランプに点火して、それを持ち、トイレに入り、壁際の棚に置いて用を足す。
中国の地方の農村に出張に行った時に見た、穴に木の板を両側に渡しただけのトイレ。
まあ、それはいいとしても……
スマホは当然のように「圏外」。
念のためバックパックにはチャージャーをひとつ入れてきたが、役に立たないので電源はオフにしておいた。
電話を借りようと思ったが、固定電話はどこにも見当たらなかった。テレビもない。冷蔵庫もない。
コンセントは一か所だけ茶の間にある。天井の照明以外に、電化製品が見当たらない。
用意してもらった部屋に行き、布団の上で胡坐をかいて考えこむ。
(もしかして僕は、みんなには死んだと思われているだろうか? 車は谷底だし、連絡手段もない)
そして、はっと目を見開く。
(ま、まさか、
なんとなく、感じ取ったことだけれど。
あの子供たちの言っていたことが脳裏をよぎる。
『どうしてこっち側に来ちゃうかな?!』
『どうしてこんなところに来ちゃったの?』
『だから! こっちにきちゃだめなの! はやくむこうにかえってよ!』
その他もろもろ……なんか、妙なことを言ってたよな?
(「こっち」ってさ……まさかね……)
「あっ!」
財前は驚愕の声を上げる。
(たしか……あの赤い着物の女の子が言ってたな……)
『だめだめ。
「……」
なんで、だめなのか?
もし、もしも。
この家があの子供たちの家と左右対称っぽいところを見ると、この家でもあの家でのルールが当てはまるとしたら?
なんかほら、昔、古典の授業で習ったような。黄泉の国の食べ物を口にすると黄泉の国の住人になって、二度と生き返ることはできないって。
(もしもここがあの世で、僕が土砂崩れで死んだんだとしたら、あの子供たちも羽那さんもあの世の人で、僕は花那さんが作ってくれたごはんをたらふく平らげてしまったわけで……)
ふわりと、不安が胸に広がった。
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