誰にでも幸せのレシピはある

第82話

料理人の幸せは、人に称賛される素晴らしい料理を作ることじゃないって思う。




自分の作った料理を食べた人たちが、それを幸せな記憶としていつまでもいつまでも覚えていてくれたら、それは料理人冥利につきる、最高の幸せだと思う。




古いメキシコの映画で(原作は小説だけど)、ひとりの女性料理人の話があるの。


彼女は好きな人と結ばれない。なぜかというと、家のしきたりで末の娘は年老いた親の面倒を見なければいけないから。


母親は彼女の好きな人を、彼女の姉と結婚させる。彼は彼女のそばにいられるのならと、その結婚を承諾する。


台所で生まれ育った彼女の作る料理には、不思議なことが起こる。


彼女の感情が料理に反映されるの。悲しい気持ちで作った料理は人々を悲しくさせ、愛を込めて作ると食べた人の心に情熱が宿る。



私は真心を込めて料理を作り、それを食べた人が幸せな気持ちになってほしいといつも思う。


おいしいね、と笑顔で言ってもらえたら、どんな技巧を尽くして修辞を駆使した流麗な評論家の言葉よりも、最高の賞賛になる。



とよしま亭を継ぎたい。


そう思った時に私はそんなことを考えていた。


だってうちの店に来た人はみんな、「おいしかった、ごちそうさま、また来ます」って笑顔で言ってくれる人たちばかりだったから。






「もしもあなたが家族以外にレシピを渡したくないって考えているなら、そこにいるオーナー会社の副社長と、とっとと家族になって店を乗っ取ればいいだけの話ではなくて?」


病院のVIP病室のベッドの上。私がリクエスト通りにウサギにカットしたリンゴをしゃくしゃくとおいしそうにかじりながら、80歳過ぎとは思えないつやつやした顔に笑顔を浮かべた高柿先生は、しれっと言った。



はっ。



隣にいる瑛士が、愕然とする。


「——なるほど、そういう手があったか!」


「い、いや、そんな、あの」


そうすると、私はとよしま亭欲しさに、自分を売ることになるのかな?






あの夜——



静かに目を閉じた高柿先生に、私と瑛士は必死で話しかけた。



死なないでください!


先生、目を開けて!


まだまだ、話したいことがあるのに!



駆け付けた医師や看護師たちがひととおり先生の様子を見て、泣いて動揺している私と瑛士に苦笑しながら言った。



「どうやらお疲れになって、眠っていらっしゃるだけのようですね」



……えっ?


「では、どこも悪くないと?」


瑛士の質問に医師がうなずいた。


「ええ、このお年にしては内臓も丈夫ですし、表彰したいくらいに健康でいらっしゃいますよ。今回は疲れで血圧が上がってしまってお倒れになっただけのようで、念のために3日ほど検査入院していただくことになっただけですから」


「はぁ?」


私たちはお互いを見て、そしてやっと理解した。




私たちはまた、ハメられたのだ。




「私が病気だなんて、ひとっっことも言ってなかったでしょ? 牧田だって、私が危篤だって言ってた?」


しれっと、勝ち誇ったように彼女は言った。




くぅぅぅぅ。




「ずっと忙しかったから、ちょっとした骨休めになったわね。休み癖が付くと怖いわぁ。あ、ねぇねぇ紗栄さん、私ね、一度ヨーロッパに行ってみたかったのよ。今度私を連れてってくれないかしら? 最後のババ孝行だと思って、ね?」


退院すると、いつもの先生に戻っていた。




「最後」じゃないでしょう。ええ、きっとあと20年くらいはなんの心配もなさそうです。




高柿先生のはったりが功を奏したのか、会長の口から夫人に高柿先生が私にすべてを相続させるらしいと伝えると、瑛士にお見合い攻撃が仕掛けられることはなくなった。



5月の末に開かれたサペレの創立記念パーティには、料理教室のSクラスの生徒たちも招待された。


私は瑛士のパートナーとして出席した。そこで会長と会長夫人にも会ったけれど、会長は始終上機嫌で夫人からは早く予定を立ててくださいと言われただけだった。予定って。



別の意味で、なんか大変かも。




そして……このパーティで、私はあいつに再会した。

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