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第80話
私は若い頃、まだ男しかいない厨房で紅一点、周りにいじめられながら修行に励んでいたの。
毎日つらかったけど、料理が好きだったから耐えられたわ。
それにほんの一握りだけど、私の料理を認めてくれて、助けてくれる人たちもいた。紗栄さんのおじいさんみたいにね。
私は料理に一生を捧げるって決めていたし公言もしてきたから、生涯独身を貫いてきたって思われてるけどね。
実はたった一度だけ、大恋愛をしたことがあったのよ。
相手は北陸の料亭で修行していた23の時に出会った、駆け出しの陶工でね。
その人の焼いた皿に私の料理を盛って、高級料亭で出せる日が来るといいなんて二人で夢を見てたわ。
結婚の約束をしていたんだけど、山の窯場にいたとき大雨で地滑りに巻き込まれて死んでしまったの。
一生分の涙を何日も流したわ。
それでね、ある日、身ごもっていることに気づいたのよ。
死んだ人の子供なんて、一人で産むものじゃない、苦労するのは目に見えてるって、周りの人たちに反対されたわ。
でもね、この世でたったひとり愛した人から受け継いだ命だもの、どんなことになったって、産まないわけにはいかないでしょう?
幸い、おなかはあまり大きくならなかったから、臨月ぎりぎりまで働いたの。
料亭の旦那さんやおかみさん、女中のお姉さんたちが協力してくれてね。
料亭の離れで産婆さんを呼んでもらって出産したの。女の子だったわ。
私は子供の顔を見た瞬間、どんな苦労をしてもいいから、この子と二人で生きていきたいって思ったの。でも周りの人たちに説得されて……子供を欲しがっているという、裕福な家に泣く泣く養子に出したのよ。
それから私は今まで以上に修行に励んだわ。こちらに戻ってきて、腕前も認められるようになった。
仕事は順調になり、名前も知られるようになったの。
毎日が充実していてやりがいがあったけど……一日だって、生き別れた子供を忘れたことはなかった。
どこの家の養女になったのかはわかっていたから、時々こっそりと会いに行ったのよ。親としては無理だったけど、あの子の成長を陰ながら見守っていったの。
本当にいい人たちに引きとられたわね。明るくて優しげで、素敵な娘に育っていったの。
でも不幸なことに、彼女が高校を卒業するころに、養父母がバス旅行の事故で無くなってしまったの。
私は匿名で学費の援助を申し出て、彼女をうちの専門学校に入れたの。
不思議なものね。
彼女は、自然と私と同じ調理の道を選んだのよ。すごいと思わない?
彼女の場合、お菓子職人を目指していたんだけどね。
彼女は優秀で、センスも腕前も良かった。
私はあくまで理事長として特別奨学金を与えて、パリに留学までさせたわ。
それでますます腕を上げて、卒業すると大企業に菓子職人として就職したのよ。
母親だとは名乗れなかったけど、ほんとうに、心から誇らしかったわ。
でも彼女は……
そこで妻子ある男と、恋に落ちてしまったの。
相手は絶対に結ばれない人。
彼女の働く菓子店のグループ会社の社長だったのよ。
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