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第78話

高柿先生は閉じた扇子を右手でぎゅっと握りしめていた。


あまりにも強く握りしめているために、か細い手がこわばってぷるぷると小刻みに震えていた。


「せ、先生……?」



おそるおそる、高柿先生の顔を覗き込む。


私、何か粗相をしたのかな……?



「『あ……あなたは……あの子の生みの母親のように、なる、必要は、ないのです』……ですって……?」


あああ。


お顔が、真っ青だ。


どうしよう? どうしたらいいの? 先生の眉尻のあたりに、青筋が立っている。高齢者をこんなに怒らせてしまうとは、一体、どこが気に障ってしまったんだろうか。


私は席を立ち、おろおろと先生のそばに行く。個室だから、他には誰もいない。


「先生、先生、あまり興奮なさらないでください。お体に障りますから……」


私は震える手にそっと手を添えた。ひやっと冷たい。


急いでグラスの水を差し出すと先生はそれに気づき、水を一口含んで、胸を抑えると長くゆっくりと息を吐いた。



「——同じ過ちを、また繰り返そうとしているのはどっちなのよ。紗栄さん、悪いけど、私のバッグの中から電話を出してくれるかしら?」


まだ少し震える低い声で、高柿先生は静かに言った。


「は、はい!」


私は失礼しますと言って高柿先生のハンドバッグの中からスマホを取り出して先生に渡した。老眼鏡も一緒に。


「ありがとう」


もはや、いつもの陽気なにこにこ顔はどこかへ消え失せていた。厳しい表情のまま、先生は老眼鏡をかけて画面を見ると、どこかへ電話をかけた。



どどど、どうしちゃったの……? 



私何か、とんでもない地雷を踏んじゃったのかもしれない……



「あ、牧田? 藤倉の会長に連絡を取ってちょうだい。なるべく至急に、私に会いに来てほしいと伝えて」



えっ?


え?


なに?



多分、今度は私が青ざめている、はず。



失礼します、という声がして、高柿先生がはいと返事をすると給仕係がワゴンを押して入ってくる。美しい前菜とスープ、メインのお皿を先生と私の前に並べ、会釈をして退室していった。


電話を切るとそっと白いテーブルクロスの上において、高柿先生はいつもの笑顔を浮かべ、ぱん、と両手を打ち鳴らして言った。


「さぁ、お料理が来たわね。いただきましょうか」





あれは、何だったのか。



夕方、私は帰宅して着替えると、ソファに寝転がって不安感に押しつぶされそうになりながら考え込んだ。


あれは、怒りだ。


でも、私がされた仕打ちに対しての怒りじゃないように感じた。


確実に、会長夫人のあの言葉自体に対する怒りだった。


でもどうして?


先生は藤倉会長と会いたいと言っていたけど……



不安に押しつぶされそうだった。


どうしよう? 


瑛士に言う?


いや、忙しいはずだし、私からしばらく来ないでと言ってまだ数日しかたってないのに、あまりにも勝手だ。



ぐるぐる、同じことばかり繰り返し考えてる。


そして突然着信の音が鳴って、私はびくっと体を縮めて震えあがった。



発信先は、牧田さんだ。


私はおそるおそる出た。


「もしもし……豊嶋ですが」


牧田さんは落ち着かない、不安げな声で言った。


「先生が、さきほどお倒れになり、京倫会総合病院に搬送されました」

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