第76話

「終わったことならもういいじゃない? 夕飯にしようよ」


瑛士はため息をつく。


「やけにあっさりしてるんだな。やっぱり紗栄は、俺のことはどうでもいいんだな」


「誰もどうでもいいなんて言ってないじゃない? ほら、手洗ってきて、テーブルにおいでよ」


私はバスルームのほうへ瑛士の背中を押しやった。




オーブンを覗く。


ちょうどいい感じ。



冷蔵庫から小鉢に盛ったサラダを出して、IHのスイッチをオンにしてコーンポタージュスープを温める。


真っ白な27㎝の大皿にはニンジンのグラッセとほうれん草のバター炒め、皮つきフライドポテトを盛る。



スープとサラダを先にテーブルに置く。



「あれ? この付け合わせ、何か見覚えがある」


戻ってきた瑛士が首をかしげる。


「ワインを開けておいてくれる?」


私は引き出しからワインオープナーを取り出して瑛士に渡す。


テーブルに置いたブルゴーニュ産の軽めのピノノワールは、今夜のメインにとてもよく合う。



ライスプレートにご飯を盛って。



「できた」


オーブンから出したメインを付け合わせののったお皿にのせて、鍋で煮込んでいたデミグラスソースをかけたら、完成。



「あれ?」


瑛士が目を見開く。


「ハンバーグ?!」


私は不敵な笑みを口元に浮かべる。


「これは料理教室で教える予定のレシピじゃないからね?」



そう。


とよしま亭のレシピ。


盛りつけも、サラダとスープのセットも、完全再現。



「……」


感動のあまり絶句するエイジに苦笑する。


「冷める前に、めしあがれ?」



あ。


泣きそうな顔してる。


「本当は、誕生日に作って驚かせようと思ってたんだけど。最近、忙しくて元気がなかったから、フライングお披露目」


「は? 俺の誕生日、知ってるの?」


「7月7日、七夕の日でしょ? だから……会社に乗り込む前に、藤倉瑛士をネット検索したって言ったじゃない? 誕生日も身長体重も載ってたよ」


「ちょっと……感動しすぎて泣きそう」


「泣くより先に、食べてよ。冷めちゃうじゃない。食べてから泣けば?」


ナイフとフォークで一口大に切り分けて、デミグラスソースを絡めてハンバーグを口に入れた瑛士は絶句する。


しばらく固まっていたかと思ったら、無言で次のひとくち、次のひとくちと食べ始める。


「ちょっと……メインだけ先に食べちゃって、ライスはどうするのよ?」


まるで小さな子供が食べているみたい。一心不乱にハンバーグを平らげるのを見ているのが楽しくて、まだ何も食べていないのにおなかいっぱいな気分になる。


私は彼を嫌って、憎んでいたはずなのに。どうしてこの人はこんなにもかわいくて、愛しいんだろう?



「紗栄!」


半分くらいハンバーグを平らげた瑛士が、突然何かを思い出したように席を立ち、私をぎゅうぎゅうと抱きしめた。


「わかった、わかったから。まだ食事の途中でしょ?」


ぽんぽんと、大きな背中を叩く。



結局、すべてを平らげて――私のハンバーグも――瑛士はソファで私の肩にもたれて転寝をしていた。


ここしばらくの忙しさとか会長夫人からの執拗なプレッシャーに対するストレスとかで、疲れていたんだと思う。


私は買い取られた後のとよしま亭に関しては、なにも訊かなかったし、瑛士も話さなかった。


でも財前さんがぽそっと言ったことがある。


一流のシェフをホテルから引き抜いて新しいとよしま亭を任せてある。再オープンと同時に連日大盛況だけど、副社長は浮かない表情のまま。


どんなに一流の料理人を雇っても、本当のとよしま亭の味は再現できないんだ、と寂しそうに言っていた、と。



思い出は、いくら大金を積み上げてもお金では買えない。


思い出には、金銭的な価値はつけられないから。



はっ、と瑛士が目を覚まして頭を起こす。


「うわっ、眠ってた?! どのくらい?」


「10分くらいじゃないかな」


「10分も? もったいない」


「何がもったいないの? もう眠いなら、ほら、歯を磨いて寝る準備したら? 部屋に戻って寝る? うちで寝る?」


立ち上がり手を引っ張ると、のろのろと立ち上がる。


そして私を抱きしめて、耳元でぼそぼそと呟いた。




「ここで寝る。一緒に寝る。一生、一緒に寝る」



私は瑛士の背中を赤ちゃんをあやすみたいにぽんぽんと叩いて苦笑した。





無理だよ。




そんなこと。

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